第1章 王都追放編 第18話 公爵令嬢
おっとっとっと……。
「きゃっ♡」
俺はそのまま、目の前の公爵令嬢にぶつかりそうになったものだから、衝撃を和らげるため、とっさに両手を広げて、彼女を抱き包むような格好になった。
そして、ひとつになった俺たちは、そのまま、流れるように体を寄せ合う。タイミングよく曲が始まり、そのまま踊ることになってしまった。
ぎこちない俺に合わせて、リードしてくれるかのように体を預けてくれるイザベル。何だか俺のことを助けてくれているみたいだ。
さっきから、ほのかにいい匂いがするし、俺の腕の中のイザベルはどこまでも柔らかい。白い首筋が、ほのかに赤く染まっている。
肌の露出は抑えてはいるものの、豪華なドレス。ちりばめられた宝石。普通の女性なら、こんなものを着ていては衣装負けしてしまいそう。にもかかわらず、イザベルは存分に着こなしているように見える。
あくまで、世間に疎い俺の目にそう映るだけで、本当の所はわからないが……。
「…レオ…ン…様…。お…おした…い…して、おりました」
お…したし?
俺の胸の中で、何事かつぶやくイザベル。
よく聞き取れなかった俺は、聞き直そうと思ったのだが、いつの間にか曲が終わっていた。
聞き返すタイミングを外して何やらばつの悪い俺と、恥ずかしそうにもじもじしている公爵家の御令嬢。
しばらくして、室内には、がやがやとざわめきが戻っていた。
どうやら、最後のカップル同士は、そのまま腕を組んで隣室にある部屋でお茶をするのが習わしらしい。
俺もそのまま自然と流されていきそうになったのだが、ここでようやく我に返った。
逃げちゃだめだ、いや、逃げないとだめだ! このまま流されるのは危険だと俺の本能が告げていた。
このまま、イザベルに目がくらんでしまえば、どうなることか……。
“迷わず行けよ、行けばわかるさ”
いやいやいや。行ってしまえば手遅れでしょう。この一瞬の判断ミスで、俺の今後の人生が、決定されてしまいそうな気がする。
さっきから俺の心の中では、非常ベルが鳴っているのだ。
「レオン様」
うっとりとした顔で、俺の手を取るイザベル。
「あの……コロシアムの大会、拝見いたしました」
「そ、それは、ありがとう。う、嬉しいよ……」
「あのとき……レオン様は私にウインクしてくださいましたわ」
そう言うと、イザベルは、改めて俺を見上げて頬を染めた。
……え?
「あのときから、私たちは、両想いでしたものね」
両手で頬を覆い、恥じらうように、身をくねらせるイザベル。
……は?
「では、行きましょう」
そう言って、すっと腕を組んでくるイザベル。
お、おい、いや、待て、待て、待て……。
「式はお父様とお母様に任せるとして、新居はどういたしましょう」
俺は、彼女が言っている意味を理解するのに数秒費やしたと思う。ただし、体感時間では数分かかってしまったが……。
このイザベルとかいう公爵令嬢は、コロシアムで試合を観戦してくれたという。
そして、俺とシークとかいう最高師範との特別試合の後。
俺は、この試合、見事に吹っ飛ばされ完璧に負けたのだが、そのとき、折れた肋骨に加え目つぶしを食らった右目も痛かったことを覚えている。
試合も終わり、改めて大声援に気付いた俺は観客席の方を振り返った。
そういえば、たまたま少し上を見て、まぶしくて目をつむったな。何しろあのときは、目つぶしを食らった目に、太陽の光がやたら眩しかったから。
どうやらイザベルは、そんな俺の仕草を、何と、自分に向けての求愛を意味するウインクだと思い込んでいるようだ。
あのときから、すでにイザベルの中では二人は両想い。それどころか、結婚する前提で妄想が進んでいるようである。
「やっぱり、最初は女の子の方が、育てやすいと思いますの」
恥ずかしそうに、とんでもないことを言っている。
……な、なんという謎理論! それ、勘違いですからね!
恐らく、生まれてこの方、自分を中心に世界がまわり続けてきた結果、こんな答えが導き出されたのだろう。
もし、俺が、公爵家の御令嬢、しかも、こんなイザベルと結婚なんてすると、どうなることか……。
さすがに鈍い俺でも、その後の人生は容易に想像がつく。
恐らく……俺は美しい妻の尻に敷かれながら、宮廷を舞台とした窮屈な貴族社会の中で、一生を過ごすことになるのだろう。
しかもこれは、結婚どころか、お見合いした……いやいや、このお茶会に出席した時点で、決定付けられてしまう未来だと思う。
このような、王国の大貴族たちが集まった中でそんなことをすれば、それこそ既成事実として国中に承認されてしまうに違いない。
「さあ、レオン様。そろそろ私たちも行きましょう」
イザベルに腕を組まれ、冷や汗を滲ませた俺が振り返るとそこには笑顔のモルトの姿。満足そうにしていやがる。
まあ、確かに執事として、公爵家などという大貴族と婚姻することが出来れば、それはモルトの手柄になるだろう。
何やら、さっきから、しきりともふもふ尻尾をぶんぶん振って、笑顔で両の拳を握っている。
俺の事を「頑張れ!」と、後押ししてくれているようなのだが、人の背中を不意に押して欲しくはなかったぞ。
「レオン様、頑張ってください。勝負所っすよ!」
そして俺は、この、はた迷惑な声援を聞いて腹を決めたのだった。




