第3章ー22
1916年10月、仏日連合軍のヴェルダン要塞完全奪還のための攻勢は開始された。日本の海兵隊、いや海軍にとって、これが今年、いや来年前半までに取れる最後の攻勢になる。これに成功するにせよ、失敗するにせよ、海兵隊は補充と再編制のために一時的に後方に完全に下がらざるを得ない。
「短時間に嵐のような砲撃を浴びせるか。しかも移動弾幕射撃を浴びせる。砲兵の練度が未だに何とか維持されているのが救いだな」第3海兵師団所属の第10海兵連隊長代理を務める米内光政中佐は双眼鏡で最前線を見ながら言った。本来なら第10海兵連隊長が死亡するか、戦闘不能になった場合、第10海兵連隊所属の大隊長が代理になるが、その大隊長まで本来務める者が全員死亡か、戦闘不能という惨状のために米内中佐が臨時連隊長を務めることになった。大隊長全員が代理か、第10海兵連隊がヴォー堡塁死守のために死力を尽くし、最大の戦果を挙げた代償だが、海兵隊、いや日本海軍にとって余りにも高い代償を我々は支払い続けている。我々は、この支払いをどこまで続けられるのだろうか。
「全員突撃開始」高木惣吉少尉は指揮下にある小隊に命令を下した。米内連隊長の訓示をあらためて思い出す。今や日本海軍の人材は払底しつつある。何としてもこの攻撃に成功せねばならない。これが最期のものになると考えよ。最期か、自分自身でさえ2月短縮で少尉任官する羽目になった。海軍兵学校の後輩の教育期間は更に短縮されたらしい。士官の速成教育を行わねばならない状況に海軍は陥りつつあるのに、陸軍は一兵も欧州に送り出そうとしない。ここまで海軍が損耗しているのに、陸軍は自国、いや自分達のことしか考えない。高木少尉は陸軍の頑迷固陋さに怒りを通り超して呆れ果てる想いに駆られていたが、今は自分が生き残ることだ。海軍少尉の初陣が、ヴェルダン要塞攻防戦か。少尉候補生として遠洋航海に行けるはずが、少尉候補生を省略して少尉任官、欧州派遣が遠洋航海の代償とは悪い冗談にも程がある。高木自身は本来は海兵隊ではなく、海軍本体所属である。だが、人材が払底した海兵隊のために海軍本体から派遣されている。予備役海軍士官を海兵隊に派遣すべきだという意見があったが、さすがに海兵隊が拒否した。予備役海軍士官は商船学校等で士官教育を受けているが、陸戦教育を受けていない。幾らなんでも無理があった。海軍兵学校で陸戦教育があったが、どこまで身に入っていたか、6月の初陣の際は不安だった。海の上で自分は初陣を飾るつもりだったという思いが拭えなかった。だが、気が付くと自分は歴戦の海兵隊士官になっている。海の香りではなく、火薬の臭い、血と肉の臭い、そして、毒ガスの塩素臭を体全体がおぼえつつある。戦争が終わった後に、自分は海軍士官に、船乗りに戻れるのだろうか。高木少尉はそんな思いを頭の片隅に抱きながら、突撃を開始した。
「いよいよ始まったか」短時間に嵐のような砲撃を浴びせ、敵の弱点を衝いて突撃していく。言うは易いが実際にやるのは別だ。林忠崇元帥は不安を覚えたが、やるしかない。特別部隊を先鋒にしたかったが、そんな余裕はなかったので、全部隊で行うしかなかった。陸軍を派遣してもらわないと、最早、どうにもならん。ここまで欧州の戦場が血を要求するものだったとは、わしも耄碌したか。それを言ったら、欧州の政治家、軍人が全員、そうかもしれんがな、林元帥は思わず現実逃避の諧謔を覚えた。何とか成功してほしいものだ。
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