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第3章ー9

 ヴェルダン要塞攻防戦に本格的に日本の海兵隊が参戦してから数日が経った。

 大田実中尉率いる小隊は気が付くと独軍と最前線で対峙しており、連日、大田中尉の部下の小隊員は何人も死傷していた。

 小隊員の1人が負傷しただけの日は本日は異状無しと小隊長の大田中尉が中隊長に報告するための書類には書かれるのではないか、と部下の兵がひそひそ声でささやくのが風に乗って大田中尉の耳に入った。

 自分でも思わずそう書きたくなる激戦が繰り広げられている。


 5月11日の時点で、大田中尉の率いる小隊は約50名いるはずの人員が、30名を切っていた。

 勿論、全員が亡くなっているわけではない。

 20名以上の死傷者の内で実際に亡くなったのは5名程だ。


 だが、じりじりと小さな傷が出血を続ける内に致命傷になってしまうように、大田中尉率いる小隊は文字通り全滅への一方通行の道を歩み始めていた。

 ガスマスクにしても完全に毒ガスを防げるわけではない。

 砲弾の弾片の直撃や着弾の衝撃により、ガスマスクが機能を果たさなくなったために毒ガスの影響を受けてしまい、死傷する兵もいる。

 大田中尉は悪夢を見る想いをしながら、最前線で指揮を執り続けた。


「このままでは5月いっぱいも持ち堪えられないのではないか」

 5月12日に、土方勇志大佐は部下から上がってきた損害の報告を集計した書類を見て絶句しながら考えた。

 ヴォー堡塁を死守してほしい、仏軍のペタン将軍から日本の海兵隊に出された指示は何とも簡潔なものだった。


 日本の海兵隊を率いている林忠崇元帥はヴェルダン要塞を守備する総司令官のペタン将軍にとっては、自らの母校であるサン・シール士官学校を10年ほど先に卒業した大先輩になる。

 そして、林元帥の戦歴はペタン将軍にとって讃仰するに足るものだった。

 そのためにペタン将軍から林元帥に対する指示は上司から部下への命令と言うよりは、部下から上司へ頼みごとをするようなものになっている。


 林元帥は後輩からの頼みは断れんからな、と表面上は笑っていたが、ヴォー堡塁は日本の海兵隊にとって悪夢の地と化しつつあった。

 5月12日の時点で、2個海兵師団、5月1日の時点で4万人近くいた将兵の内1万人以上が死傷している。

 攻撃側の独軍にそれ以上の損害を与えているらしいのが慰めといえば慰めだが、旅順要塞攻防戦の時と違い、こちらが守備側なので戦場の主導権を相手の独軍に渡してしまっている。


 戦場の主導権をこちらに取り返すために最も効果的なのはこちらが攻撃に転じることだが、海軍航空隊の再編が完了して、ヴェルダン要塞の上空に出撃可能になるのが6月になるとあっては、当面は守勢で耐えるしかない。

 土方大佐は焦慮せざるを得なかった。


「分かっていた。分かっていたことだ」

 同じ頃に林元帥は海兵隊が被った損害の集計報告書に目を通した後でつぶやいていた。

 来月になれば、海軍航空隊も再編が完了して出撃可能になるし、鈴木貫太郎少将が率いる第3海兵師団もヴェルダン要塞で戦うことが可能になる。

 海兵隊だけのことを考えるならば、そうすべきだった。


 だが、英仏との協調関係を保たねばならないという政治的な事情を優先せざるを得なかった。

 そして、今の海兵隊はここで軍事的にはよく全滅とされる3割以上の死傷者を出さないとヴェルダン要塞から撤退するわけには行かなかったのだ。

 だが、実際にそれだけの損害を被った現在、海兵隊は引くに引けない状況に陥りつつあった。


「ペタン将軍に依頼して仏軍の援軍を受け取り、今月一杯は耐え抜く。

 そして、来月から反撃を行おう。

 それまでは何としても耐える」

 林元帥は決断した。

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