幕間ー10
「本当に辞表を出すのかね」
山本権兵衛首相は、斎藤実海相の辞任を惜しんだ。
斎藤海相は言った。
「後任として加藤友三郎海軍中将を推薦します。
彼なら、海軍本体の本流ですし」
「確かにな」
山本首相は言った。
加藤中将は連合艦隊参謀長を日露戦争の一時期務めていた。
もし、バルチック艦隊と連合艦隊の世紀の一戦があれば、その際の連合艦隊参謀長として戦史に名を止めていたろう。
その他にも海軍次官や第1艦隊長官の経験があり、海軍本体の期待の星ともいえた。
「加藤が悪いとは決して言わん。
だが、ここまで君が頑張ってくれたのに、君が予備役になって引退するというのは余りにも惜しまれてな」
山本首相は斎藤海相を慰留した。
斎藤海相は笑った。
「海兵隊出身者が海相になることは無いと言われていました。
それなのに海相を務められたのですから満足ですよ」
「そこまで言ってくれると助かる。
その代り、欧州派遣軍総司令部と遣欧艦隊の件は私が必ず実現させる」
山本首相は断言した。
山本首相が言えば、まず大丈夫だろう。
斎藤海相は安心して、海軍省を去ることにした。
鈴木貫太郎海軍次官は身辺整理をしていた。
海軍次官の後任には秋山真之軍務局長が就任することが決まっており、自分は新編の第3海兵師団長への転任が決まっていた。
再び戦場の臭いが嗅げる、鈴木次官は心が逸るのを感じていた。
東郷平八郎元帥の内心はざわめいていた。
遂に海軍本体、艦隊も欧州に赴くことになった。
バルチック艦隊を眼前で見過ごして以来、再び、日本の艦隊が大規模な戦場に赴くことになったのだ。
世界大戦の開戦直後に独東洋艦隊の捕捉殲滅戦があったとはいえ、東郷元帥の目からすれば、あんなもの子どもの遊びに過ぎない。
欧州で華々しく日本艦隊が戦えるのは、喜ぶべきことだった。
だが、独大海艦隊は開戦以来、ほぼ引き籠り状態が続いている。
むしろ、独潜水艦が活発に戦っていて、日本艦隊もその対処のために駆逐艦を主に派遣することになるということだった。
林忠崇元帥と同格と言うことで、加藤新海相らは東郷元帥を遣欧艦隊司令長官にすることも考えたらしいが、東郷元帥は断った。
何が悲しくて、連合艦隊司令長官の下に自分が付かねばならないのだ。
(遣欧艦隊司令長官は連合艦隊司令長官より格下なので、その命令に基本的に服すことになる。
かといって、遣欧艦隊司令長官と連合艦隊司令長官を兼務とすると連合艦隊司令長官は日本不在になってしまう)
そして、山本首相は大手を振って、遣欧艦隊を欧州派遣軍総司令部の隷下においてしまった。
確かに林忠崇元帥が欧州派遣軍総司令官である以上、遣欧艦隊司令長官が八代六郎海軍中将では欧州派遣軍の隷下に遣欧艦隊がおかれるのは仕方ないともいえるが、東郷元帥としては何とも言えないやるせない気持ちになるのは仕方ないことだった。
大庭柯公は、東京朝日新聞の自分の席で、斎藤海相の辞任と加藤新海相の就任、遣欧艦隊派遣の決定とそれに合わせた欧州派遣軍の設置という政府の発表を把握して、無意識の内に鼻を鳴らしていた。
斎藤海相の辞任は、自分の失言を高く売ったということだろう。
そして、遣欧艦隊の派遣が正式に決まった。
ますます日本は世界大戦の深みにはまりつつある。
それに対処して、山本首相はいろいろ手を打っているが。
大庭はそこまで考えた後で、あらためて思った。
ガリポリ半島の一件で人心一新を図るという大義名分を掲げて英国ではアスキス内閣が辞任した。
日本でもそろそろ同様のことが起こるのではないか。
幕間の終わりです。次話からヴェルダンに舞台が移ります。
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