幕間ー8
「いつものこととはいえ、全くかなわんな」
斎藤実海相は口には出さずに憮然とした表情をすることで耐えていた。
欧州派兵拡大に伴い、大規模予算編成が必要になったこともあり、1916年3月末までの予定で帝国議会が開かれており、斎藤海相も大臣として出席している。
準与党(山本権兵衛首相は政友会の党員ではないため)の政友会議員の発言はともかく、野党の立憲同志会議員等の発言は斎藤海相にとっては聞くに堪えない代物だった。
今の発言者の立憲同志会議員も支離滅裂なことを言っている。
「斎藤海相にお伺いしたい。
この新聞記事にも書かれている通り、日本の商船は地中海で独等の潜水艦の襲撃を受けており、多大な犠牲を被っています。
特にこの時は、日本海兵隊の遺骨や遺品が載せられていた商船が沈没したとか。
異郷の地中海の海の底に眠る日本海兵隊の兵士の遺骨、ああ何と冷たい海の底に眠ることになったことか。
私はこの兵たちに心からの哀悼の念を抱きます。
そして、日本海軍の艦船が護衛していればそのようなことは無かったと思うのですが、海相の存念をお伺いしたい」
おいおい、立憲同志会は欧州派兵反対の立場だろう。
そこに所属する代議士が更なる海軍の欧州派兵を望むのかい、第一、地中海は暖かい海だ。
斎藤海相はカチンと来ていたが、取りあえず冷静に返答することにした。
「この時は、英海軍のコルベットが護衛しておりましたが、護衛しきれなかったとのことです。
決して護衛がいなかったわけではない」
「このようなことがあっては、海兵隊の志願者の確保も困難になると思いますが、いかがですか」
痛いところを衝く、斎藤海相は決して口に出せないことを思った。
海兵隊は基本的に志願制だ。
そして、海兵隊員の確保先は貧困層だ。
これは幕府歩兵隊が江戸の無産市民層から志願者を募って以来の伝統でもある。
貧民でもお国の役に立てる、そして、海兵隊の下士官になれば妻子も持てる、これが余り表だって言うことはできないが、海兵隊員募集の際の殺し文句だった。
だが、それも戦死者が少ないというのが大前提になる。
おそらく欧州の地で海兵隊は大量の戦死者を出すだろう、更に戦死者が粗末に扱われるという悪評が立てば海兵隊員の確保は困難になる。
日露戦争末期に一部の海兵隊員を徴兵制により海軍本体に採用された兵を回してもらうことで対処したことはあるが、海軍本体はよくない兵を海兵隊に回してきた。
幾ら自分や鈴木貫太郎次官が目を光らせても限度がある。
そういったことから考えると海兵隊員の志願制による確保は何としても維持したかった。
そういった想いもあり、斎藤海相はつい、口に出してしまった。
「そこまで言われるということは、立憲同志会は海軍本体、つまり艦隊の欧州派遣を望むということでしょうか」
「いや、そこまでは」
発言した代議士は慌てだした。
斎藤海相はその態度からますます腹立たしさを増した。
要するに山本内閣に難癖をつけるために発言していたのだ。
分かっていたことだが、ここまであからさまにされると腹立たしさが倍になる。
「世論が望むというのなら、海相としても日本海軍の、艦隊の欧州への本格派遣を検討しましょう」
腹立ちまぎれに斎藤海相は遂に言ってしまった。
「困るよ。海相の独断で言ってしまっては」
山本首相は斎藤海相を議会の休息中にたしなめた。
斎藤海相もさすがに言い過ぎたと縮こまった。
「世論はあてにならん。
感情ですぐに動いてしまう。
ポーツマス条約締結の時を忘れたのか」
山本首相の言葉には千鈞の重みがあった。
「本当に艦隊が欧州に行くことにならねばよいが」
山本首相は独り言を言った。
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