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第2章ー24

「大魚を逸したか」

 林忠崇元帥は8月9日早朝現在のトルコ軍と英仏日連合軍の間の最新の戦況図を見ながら、独り言を言った。

 それを横で聞いた黒井悌次郎少将は合いの手を入れた。

「むしろ、画竜点睛を欠いたというべきでは」

「確かにそうだな」

 林元帥は半分独り言で黒井少将の言葉に返した。


 8月9日早朝、スヴラ湾に日本海兵隊が上陸したことから始まったガリポリ半島攻防戦は一段落の状態になっていた。

 英仏日連合軍はトルコ軍に対するこれ以上の追撃は困難として、トルコ軍に対する追撃を事実上断念していた。

 トルコ軍も英仏日連合軍のこれ以上の攻勢に対処するために、野戦陣地の急造に血道を上げる状況になっていた。

 お互いに戦闘が一段落したと判断し、相手の判断に異論を唱えられる戦況では無くなっていたのだった。


「トルコ軍の将帥は予想以上に機を見るに敏だし、欲を持たないな。

 将帥として本当に優秀だ。

 下手に有能なところが将帥にあると、将帥が勝手に欲をかいて自滅してくれるのだが」

 林元帥は独り言を続けた。


「仕方ないでしょう。

 事を謀るは人にあり、事を成すは天にあり、とも言います」

 黒井少将は林元帥を慰めた。

 黒井少将自身、内心では無念さに溢れている。

 トルコ軍の主力を一網打尽にする千載一遇の好機が失われてしまったのだ。


 8月7日昼、ムスタファ・ケマル将軍はザンデルス将軍の許可を受けて、ヘラス岬方面に展開していたトルコ軍8個師団の撤退を開始させた。

 ケマル将軍自身も、トルコ軍8個師団の撤退が成功する可能性は極めて低いと考えて開始した作戦ではあったが、従前からのケマル将軍の名声が結果的に8個師団の将兵の多くの命とケマル将軍を救うことになった。


 撤退を開始した8個師団のトルコ軍の将兵は、トルコ軍が誇る名将のケマル将軍のためならと命を惜しまない奮闘を披露した。

 そして、無事に撤退作戦が成功した後は縦に斜めに横にとトルコ軍の将兵はケマル将軍の助命に奔走した。


 トルコ軍最高司令官のエンヴェル将軍はガリポリ半島の敗戦の責任を有耶無耶にするために、現場に責任を押しつけてケマル将軍を銃殺刑にする予定だったらしいが、多くのトルコ軍の将兵にしてみれば、命の恩人ケマル将軍を銃殺しろと命ぜられるのが分かった上で。ガリポリ半島に自分達は展開しているようなものだった。


 そのために上は将軍から下は一兵卒に至るまでが、ケマル将軍の助命のためにトルコ軍の将兵が奔走することになり、結果的にケマル将軍は助命されてお咎めは一切なしという処分になった。

 もっともそのためにガリポリ半島のこの敗戦の責任はトルコ軍は誰も取らないという結果にもなった。


「良かったのか、悪かったのか」

 ケマル将軍は、8月半ばに独り言を言った。

 最終的に自分はお咎めなしになり、11個師団の内7個師団に相当する将兵がガリポリ半島の突端部からの脱出に成功して、再度の防衛線構築を行っているのだ。

 本来的には満足するべきだった。


 あの時点で脱出を決断していなければ、11個師団のほとんどが英仏日連合軍によって殲滅される憂き目にあっていただろう。

 だが、4個師団相当の将兵が今回の英仏日連合軍の大攻勢で失われ、ガリポリ半島の大部分も失われたのも事実で、明らかにトルコ軍の大敗だった。

 本来は誰かが敗戦の責任を取らねばならないのに、誰も敗戦の責任を取らないということになったという。


「敗戦の責任を誰も取らないようでは、将来に禍根を残すぞ」

 ケマル将軍はトルコの未来をあらためて昏く感じた。

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