第1章ー18
岡陸相が沈黙を半ば強いられたのを、横目で見ながら、長谷川参謀総長は言った。
「先ほど、林元帥が8万人程の死傷者は覚悟していると言われましたが、それと中国との満州問題がどう関連しているのです」
長谷川参謀総長も内心では分かってはいるが、山本首相に明確に言わせて言質を取って置きたかった。
「牧野外相に説明させる」
山本首相は、長谷川参謀総長の内意を覚ったのだろう。
牧野外相に話を振った。
「青島要塞を攻略した後、山東半島で独が租借した土地は日本が管理する必要があります。これは国際法上当然のことです」
会議の参加者全員が肯いた。
「しかし、中国の袁政権にはそのことが分かっていません。早速、日本が龍口湾に陸軍を上陸させたことについて中立違反だと抗議したり、日本が青島要塞を占領したら、中国に速やかに引き渡すべきだと主張したりしているのです。日本が相手にしないでいると、欧米諸国の外交官に自国の主張が正当であると訴えて回っています。欧米諸国の外交官は誰も相手にしていませんが」
会議の参加者の中には失笑する者まで出だした。
袁政権は欧州での戦争に対して中立を宣言したが、諸外国は完全に無視している。
袁政権の主張は実態に全く合っていない。
「青島要塞が陥落した時点で、中国と交渉して、山東半島の独権益について戦後も日本が確保するようにします。それに併せて、満州問題の解決も図るつもりです。ですが、このことは確実に欧州諸国の国民世論の反感を招きます。自分たちは欧州で大量の血を流しているのに、日本だけ山東半島の独利権を独り占めし、更に満州利権まで確保するのですから。ちなみに外務省の予測では、英仏両国の死傷者はこの戦争で併せて100万人に達することもあり得ると推測しています。それだけの犠牲を自国は払ったのに、同盟国の日本は死傷者をほとんど出さずに利益だけむさぼる、こう見られては、下手をすると袁政権の主張を認めて、日本は中国の利権を本来の持ち主である中国に還すべきだという世論が欧州で巻き起こりかねません。そのためにも日本は欧州に派兵して戦う必要があります。日本が欧州で血を流した上で、中国の利権を確保したいと言えば、欧州世論は我々に味方するでしょう」
牧野外相は発言を終えた。
「更に言えば、米国国務省も我々の行動をある程度なら黙認すると言ってきた。何しろ満州利権は日米共同の利権だからな。米国も本音では満州利権をこのまま確保したいのだ。つまり、米国は基本的に日本の味方になる。日本が欧州に派兵するのに心配することは何もない。もちろん、中国に対して欲をかきすぎないのが大前提になるが」
山本首相が更に発言した。
長谷川参謀総長は唸った。
日露戦争で、一時的とはいえ欧米の世論を敵に回したお蔭で、日本は不本意な停戦をせざるを得ず、更に講和条約も思うようにいかなかった。
満州利権を確保するためにも、欧米の世論を敵に回せないという訳か、更に日本の安全に関しても何の心配もない。
欧州列強は戦争の真っ最中だし、米国は日本の友好国だ、どこが日本と戦うというのだ。
ここまで理詰めで言われては是非もない。
陸軍は欧州に派兵しないということで矛を収めよう。
それにしても高い代価だ。
「欧州派兵と満州問題が関連していることにつき了解しました」
長谷川参謀総長は渋々言った。
「9月末を期して、欧州へ海兵隊は向かってください。前線に赴くのはいつごろになりそうですか」
陸軍関係者が沈黙した機を捉え、山本首相は林元帥に尋ねた。
「欧州で装備を整えるので、来年の3月以降の見込みです」
林元帥は答えた。
「奮闘を期待します」
山本首相は言った。
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