エピローグー4
日本の山県有朋元帥と似たような思いを欧州で林忠崇元帥も抱いていた。だが、林元帥の周りには日本から欧州に赴いた陸海軍の将軍、提督が集っている。陸海軍合同での忘年会を行いたいと秋山総参謀長が音頭を取って開かれた忘年会だ。欧州にいる日本の誇る将帥が綺羅星のように集まっていた。一人一人と林元帥は挨拶を交わしながら、寂寥の思いをふと抱いていた。秋山中将ですら初陣は日清戦争だ。戊辰戦争どころか西南戦争ですら経験しているのは、この中ではわし1人か。忘年会の席では、フランスの最上質のワインの香りが漂っている。鈴木商店が忘年会の酒の注文を受けて、戦時下にも関わらずどこからか調達してくれたものだ。その香りに誘われて、林元帥は遠い祖国の事、若かりし頃のことを追想した。
戊辰戦争の嵐を経験したとはいえ、その時は自分はお殿様で前線ではほとんど戦ってはいない。人見勝太郎や伊庭八郎らと遊撃隊の一員として、あの時は肩を並べて戦っていた。そして、仙台近郊で自分達は薩長軍に降伏した。
滅藩処分という戊辰戦争で唯一下された重い処分を自分は受けた。そのためにお殿様で無くなった自分が選んだ道が海兵隊に入隊することだった。海兵隊は旧幕府諸隊の生き残りの多くが参加していたのだ。大鳥圭介や荒井郁之介といった海兵隊創設の幹部のメガネに自分は適い、フランスに留学した。そして、中途で帰国。士族反乱の鎮圧という嫌な仕事に取り組み、西南戦争で戦うことになった。だが、そこで古屋佐久左衛門、滝川充太郎、土方歳三という海兵隊草創期の名提督の薫陶を自分は戦場で直接受けられた。特に土方提督には幾ら感謝しても感謝しきれない。
そして、西南戦争後に自分はまたフランスに留学して、最新の欧州兵学を学んで帰国。それを海兵隊の後輩に自分は伝えた。その後で起こった日清・日露戦争、本多幸七郎や北白川宮殿下、自分の3人は役割分担をして、海兵隊を精鋭に鍛え上げて戦い抜き勝利を収めた。だが、皆、気が付けば自分に先立ってしまっている。わしが唯一の生き残りになるとは思いもよらなかったな。
世界大戦参戦のために欧州に赴き、表向きは平然と指揮を執っているが、自分にとっては戦場の変化の早さに戸惑うばかりだ。飛行機が登場し、潜水艦が実用的な兵器となっている。毒ガスが現実の兵器となっており、独は攻撃の際に日常的に使うようになったようだ。戦車とかいう兵器まで登場した。補給を馬ではなく自動車が一部担うようにもなっている。戊辰戦争どころか、日露戦争でも思いもよらない話だった。日露戦争が終わって20年も経っていないのが嘘ではないかさえ、自分には思える。わしも古稀になった。これが最後の戦場経験になるだろう。そして、最後の戦場経験で、初めてと言うことを数多く経験し、多くの戦死者を出すことになった。本当にこんなことになるとはな。
フランスの誇る最上質のワインは、林元帥にとって口当たりがよく、つい杯を重ねてしまっていた。いつの間にか懐旧の想いや昨今の戦況にまつわる雑感に捕らわれ、林元帥は涙を浮かべ、視界が歪んでいた。
「林元帥、どうかよろしくお願いします」土方提督が亡くなったはずの時よりも老けた姿で、林元帥に声をかけてきた。林元帥は慌てふためいた。大恩人の土方提督が何故にここに来られているのか。
「土方提督」林元帥は慌てて敬礼した。
「酔われましたな。土方勇志です。確かに父に似てると言われますが」涙を拭ってよく見ると確かに土方勇志だった。林元帥は思った。土方提督の息子も50歳が近く、提督になる年か。本当に歳月が流れたものだ。
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