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第4章ー4

 林忠崇元帥としては、1917年夏、具体的には7月以降に伊軍を督励してウィーンへ進撃を協働して開始、墺帝国を民族、宗教対立を煽ることにより崩壊させ、その後はブルガリア、トルコを連鎖崩壊させるとともにベルリンに海兵隊を進撃させて、旭日旗をベルリン市街に1917年クリスマスに翻えさせることにより、1917年中に世界大戦を終結させることを考えていた。そのために陸軍に対し、明石元二郎中将を首班とする大規模な工作班を編成して欧州に派遣することを新春早々に要請し、更に日露戦争時に露帝国に対してやったことと同等以上の民族、宗教対立を墺帝国において煽る工作を秘かに欧州派遣軍総司令部に立案させていた。さすがに陸軍の大御所の山県有朋元帥がそんなことをしたら、その工作の後始末に日本自身が困ることになると難色を示したので中止になったが、これを第一次世界大戦終結後に把握したチャーチル元英首相は、この明石工作が断行されていたら、東欧は民族宗教対立の巷となり、逆に第二次世界大戦は起こらなかったのではないか、何故なら、東欧が民族宗教対立で混乱しては独伊ソに混乱が波及する。難民が独伊ソに溢れ出ることになり、更なる混乱を巻き起こす。特にソ連はどうなっていたことか、とこの幻の工作の詳細を把握した際に私は震え上がったと第一次世界大戦回顧録に書く羽目になった。だが、山県元帥の反対に関わらず、この明石工作は幻に終わる運命にあった。なぜなら、露帝国で2月革命が勃発したからである。その流れの早さ、急激さに林元帥以下の欧州派遣軍総司令部は押し流され、その状況把握に手一杯になった。

 そして、林元帥の思惑以上に、日本軍、特に海兵隊の再編制には手間取ることになった。陸軍から派遣された士官、下士官の海兵隊への融和、更に陸海軍航空隊の操縦士の訓練や整備員の教育等々、予想以上に時間がかかる事態が多発した。そして、最も時間が掛かったのが、第4海兵師団の山岳師団への改編だった。


「岸三郎少将の手腕をもってしても難しいか」林元帥は憮然とした表情をしながら、第4海兵師団からの報告書を1917年の春に読んでいた。説明役として、第4海兵師団長の岸少将自身も欧州派遣軍総司令部を訪問している。

「無理を言わないでください。半年余りで第4海兵師団を山岳師団に改編して、しかもアルプスの麓で独軍の山岳師団と互角以上に戦えるようにしろ、と命令を受けた瞬間に、私以外が師団長を務めていたら辞表を書いていますよ」岸少将は林元帥に抗議した。

「独も世界大戦が始まる前には山岳師団を持っていなかったと聞いておるぞ」

「独と我が国では山岳師団を編制するための裾野が全く違います」林元帥の揶揄するような言葉に岸少将は更なる抗議をした。実際問題として、海兵隊が登山を趣味とする将校や下士官を集めた登山部を日露戦争前から岸三郎少将が作っていなかったら、山岳師団の編制などそもそも不可能だったろう。ガリポリ、ヴェルダンの激戦を生き残った登山部員を第4海兵師団にかき集めるとともに、仏伊から山岳部隊で教官を務めたことがある士官を派遣してもらうことで、何とか第4海兵師団を山岳師団に改編できる目途が立ったのだ。

「実際問題として、11月まで待ってください。第4海兵師団を山岳師団として前線に投入するならば、それくらいの時間が必要です」岸三郎少将は口を極めて主張した。

「その頃には露が崩壊しておるかもしれん」林元帥は天を仰いで、言葉をつないだ。

「こちらが一時的に守勢にならざるを得ないかもしれんな」

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