第五十三話 クサナギ作戦
森が燃えている。
轟々と煙は、森に生えていた木は丸ごと炎に包まれ、場所によっては火災旋風と呼ばれる炎の竜巻すら複数発生している。
それにとも無い。大量の黒煙が、霧のように森に立ち込め、まだ昼間だというのに薄暗く、木が燃える特有の匂いがあたりに充満する。
10mくらいの距離があっても炎の熱が、じりじりと肌を焼く。焦熱地獄を彷彿とさせる光景だった。
そこから少し離れた場所を、超局所的豪雨にうたれている、あやかしの一団が走っている。
「えっほえっほ。そろそろ降雨開始予定地点だ。雨女以外は用意してくれ!」
二つ縦に並んで走っている先頭の駕籠を担いでいる鬼が、声を掛けた。
炎が上がってくる場所からは少し離れているが、炎の熱気が鬼達にも感じられるそんな距離の場所だ。雨女によって駕籠の周りだけ雨が降っているが、それでも、炎の熱気が鬼の肌をじわりと焼く。
木々の隙間からチラチラと燃え上がる炎が見える辺りまで来ると一旦、駕籠は止まった。
「ここから二手に分かれるぞ。俺達は南にいく。お前らは、北に行け。炎に近づきすぎんなよ?。雨降り小僧と骨傘は雨を降らせてくんなぁ!」
「おう」
「わかったよ」
雨駕籠部隊のリーダー役の鬼がずぶ濡れのまま命じると、威勢のよい返事が二つし、最後のひとつからは、声を掛けてもらえなかったと、雨女のさめざめと泣く声がする。豪雨がさらに酷くなった。
それはまるで滝の下に立っているかのようだ。だが、豪雨の範囲は意外と狭く、せいぜい十メートルくらいの範囲にしか降っていない。これでは、森林火災を防ぐには、ずいぶんと足りない。しかし、そんな事を気にした様子も無く一向は進む。
「行くぞぉ!」
「おう!」
鬼達の声が響くと駕籠は二手に分かれて走り出した。雨を降らす妖怪を乗せた駕籠は、えっほえっほの掛け声と共に山火事の縁をなぞるように走り出した。
その後ろでは、現場へと駆けつけた他の面々たちが、燃える森を見上げていた。
火災の様子を目の当たりにしたエルフが、呆然と地面に跪く。あまりの惨状に絶望したのだ。
「どうやってこの炎を消そうというのだ!例え、あの豪雨でも、範囲が狭ければ時間稼ぎにしかならないぞ!」
確かに、雨女の降らせた雨は豪雨と言って差し支えない。しかし、その範囲はかなり限られており、今現在燃えている範囲と比べる事もおこがましいくらい狭い。これでは、何処か一箇所を消火している間に他の場所から燃え広がってしまう。
「その通り、ありゃ時間稼ぎよ。別に雨で山火事を消すなんて俺達は言って無いぜ」
エルフの文句を、隣に立っていた犬神が気にした風も無く答える。
たとえ強大な力を持つ妖怪達とて、自然の猛威に対しては、人と変わらずに無力だ。
水を操る妖怪も、火を操る妖怪もあやかしの里にはいる。だが、それらの操る力も限界はある。水のない場所で水を出そうとすれば、多量の妖力を消費し、火を操る妖怪も既に森林火災レベルで燃え上がっている炎を制御しようにも、それは暴れ牛を一人で押さえ込もうとする様なもの。
「おう、準備できたか?」
背後から、何者かが走ってくる犬神が振り返ると、そこには、愛用の金棒ではなく、大太刀を二振り携えたアオキと、二人のカラス天狗が立っていた。
「ああ、問題ない」
そう言うと、片方の大太刀を犬神に差し出す。
大太刀というだけあって、その刃渡りは2m近くある。普通の人間では構えるだけで大変で、並大抵の人間には振る事など出来そうも無い代物だ。
「最近鈍ってねぇか心配なんだよなぁ」
大太刀を受け取って、すらりと抜くと鞘を地面に刺すと、そのままブンブンと素振りを始める。
「うし。これなら大丈夫そうだな。アオキお前はどっち行く?」
「俺は、北へ行こう」
迷うことなく北を選んだアオキに犬神は、少し不思議に思った。
大抵こういう選択肢を与えた場合、アオキは大抵はどっちでもいいと答える。
そこで、犬神は思い出した。
「そういやお前、雨女に言い寄られてたんだったよな!」
まだ、あやかしの里が日本にあった時の事だ。ふとしたきっかけで、雨女に優しくしたアオキ。
アオキ本人にとっては普通の事をしただけなのだが、それにより雨女が、アオキにほの字になったのだ。雨女はストーカーと化し、四六時中アオキの背を追った。
アオキは雨女が何故自分の後を付いてくるのか分からず困惑していたが、特にちょっかいを掛けてくるわけでも無いのでほうっておいた。しかし、アオキが四六時中女と一緒(?)に居る事が気に食わなかったのがヒビキだ。
「クククッ。あん時、ヒビキが雨女泣かして、里が沈みかけた事があったな!」
「こんな時に何を話している!」
フィフォリアの森存亡の危機に、馬鹿話に興じる二人にエルフがたまらず怒鳴り声を上げた。
「うっせーなこちとらやる事は分かってんだ。ギャーギャー喚くな!」
いい加減ヒステリックなエルフ達に、我慢の限界が近くなってきた犬神が怒鳴る。
「ああもう、行くぜ!アオキ!カラス天狗!サナリエンは、こいつらの面倒を見ててくれ」
「わかった」
「分かったわ…」
憂鬱そうなサナリエンの返事を聞くと、犬神は猛然と森の中を駆け出した。
同時に、アオキも北側へと物凄いスピードで走り出す。後ろのカラス天狗達は、お互いに目で合図をすると、それぞれ二人の後へ飛んで付いていく。
木々が密集している場所で飛ぶのはさすがにカラス天狗でも難しい。
「ウォォォォォウォウォウォウ!!」
気合の咆哮を上げ、枯葉を巻き上げながら走り、眼前にある木の横をすり抜けながら一太刀振るう。刀は、木の周辺には言えていた低木ごと、元からその何も無かった様に木の幹を通り抜ける。この時、木は、まだ倒れることは無かった。
まるで嵐のように長刀の届く範囲にある木を一刀両断していく。
後方を飛んで追従するカラス天狗の手には団扇が握られている。
一振りすれば、大風を起こす事で有名な妖怪不思議アイテムの一つ"天狗の羽団扇"だ。
大天狗の持つ羽団扇は、飛行、縮地、分身、変身、火炎、人心、折伏などの多機能を持ち、持っているだけで妖魔退散の効果があるといわれ、一家に一つあるだけで超絶便利生活が送れそうなアイテムだ。
カラス天狗が今回持ってきたのは、大風をだけを起こせるだけの廉価版天狗の羽団扇。持っている機能は、大風のみ。機能を大風だけに絞ったお陰で、修行中のカラス天狗でも作る事が出来る。
たかが大風と言っても威力は絶大だ。犬神が斬った木を火事が起きている方へと吹き飛ばし、尚且つ落ち葉の尽くを巻き上げ、土を露出させる。
同様の事を北側に行ったアオキ達の方も行っている。
日本神話を知っている人が居たらすぐ分かっただろう。彼らがしようとしているのは、かつてヤマトタケルが駿河の国で野火の難を受けた時に、自身の周りの草を薙いで、火をつけ、敵のつけた火から難を逃れた。
その古事になぞらえた作戦。
名をクサナギ作戦。
雨女達が、雨を降らせる事で時間を稼いでいるうちに、燃え移る可能性の高い木を切り倒し、木葉を払う事により、燃える物の無い防火帯を作ろうというのだ。
防火帯とは、燃えるものが存在せず、延焼被害を食い止めるための地帯だ。燃えるものが無ければ当然燃え移る事は無く、今燃えているものが燃え尽きてしまえば自然と鎮火する。
「一体何をやっているのだ!消火するのではないのか!お前達がしているのは、森林破壊ではないか!」
エルフにとって木を切り倒す事など禁忌だ。何のためらいも無く、木々を斬り倒していく犬神達の姿にエルフ達が戦慄く。
「ああしなければ全ての木が燃え、森がなくなる!分かるだろう!お前は、木を切って森が残るより、木を切らず森がなくなったほうが良いのか!!」
ダークエルフの男が、エルフの男の襟首を掴んで怒鳴りつける。
エルフの森林保護原理主義は根深い。
「そうではない!そうではないが!」
こうしている間も森は、燃えている範囲が徐々に広がっていく。今は、雨駕籠部隊によって炎の進行速度は遅くなっているが止っている訳ではない。鬼達は、犬神達が斬りはしたが、うまく風に乗って思った風に倒れなかった木に鳶口を突き刺し、炎のある方へと運んでいる。
「私達は私達に出来ることをしましょう!」
サナリエンは、精霊魔法の呪文を唱える。すると、地面がグネグネと動き始める。
それは、森の精霊の力を借りて、地面を軟化させる魔法だった。
呪文を唱え終わると残っていた木の根っこへと取り付いた。
燃える可能性のある根っこを引っこ抜こうというのだ。だが、サナリエン一人の力では地面がやわらかくなっているとしても木の根を引き抜く事は、到底、出来はしない。
「ほら手伝って!森を守りたいんでしょ!」
「おっおう!」
呆然としていたほかの者達も、その一喝で我を取り戻し、サナリエンの抜こうとしている切り株へと取り付き、一緒になって力を入れた。次は獣人が、そして最後は、エルフが加わった。
フィフォリアの森に住む者達が初めて一致団結して行動した瞬間だった。
防火帯作成開始から二日目、増援の妖怪達が、補給の物資と共に到着した。
到着したのは牛鬼とシュテンを中心とした力自慢の得意な妖怪達だ。この妖怪達は、能力が高くとも容姿が怖いか、または勝手気ままで協調性が低く喧嘩っ早い連中だ。
前線基地の建設の時には、問題にしかならないと山ン本に判断され、あやかしの里ですぐ出撃出来る状態で待機させていた。
今回の火計の報を聞いた山ン本が、即座に出撃を指示したのだ。
シュテンは、犬神達が行っている防火帯を作る作業に加わり、牛鬼は、長い重機の様な八本の手足を器用に使い次々と地面に残った根っこを抉り出していく。以外の妖怪や他の種族達は、防火帯の中に残ってしまった可燃物をどかす作業や、水や食料などを差し入れる。
「迎え火を付けろ!こいつが終われば休めるぞ!」
時間稼ぎをしていた駕籠部隊が撤退した事を確認した犬神が命令する。
それを聞いたエルフの男が、これ以上火をつける事とは何事か!!と猛然と講義しようとした時、サナリエンがふらりと男の前に現れ、全力のアッパーカットを叩き込む。
殴り飛ばされた男は白目をむいてどさりと倒れた。
サナリエンの目はすわっていた。
防火帯を作るのに疲れていたサナリエンに、事あるごとに妖怪達に突っかかる同族を説得をする気力は、もはや無い。だから、その男が文句を言いそうになった時、最も簡単に黙らせる方法を取った。
「彼は疲れたのでしょう。そこの二人。前線基地まで彼を運んで下さい」
丁度その時サナリエンの背後で迎え火が点けられ、炎が燃え上がる。その場に居た他の人達はそれが、サナリエンの身からあふれた怒りの炎の様にその場に居た者達には思えた。
迫力に押された戦士達は、かくかくと首を立てに振ると、倒れたエルフを担いで下がっていた。
「お前ら!これで終わりじゃねぇぞ!完全に鎮火するまで見回りを欠かすなよ!」
背後でそんな事があった事も露知らず、犬神は、煤まみれでフィフォリアの森に散った妖怪達からの報告を受けていた
今回の森林火災がが完全に鎮火するまで丸三日かかった。
この三日間で、誰も彼もが全身炭まみれになりながら、雨を振り撒き、木を切り、防火帯を作り続けた。
同盟の尽力によって、フィフォリアの森が消失する事は、何とか防がれた。それでも狭くはない範囲の森が消失した。焼け跡からは、放火した人族の砦がよく見える。
アオキは疲れきった体に鞭をうち立ち上がると、無事だった森の端から夕焼けに浮かぶ人族の砦を睨む。
「今度は俺達が攻める番だ」
前線基地に到着しているであろう。妖怪達の顔ぶれを思い出しながら煤にまみれながら不敵に笑った。




