第四十九話 妖怪の生き方
衝撃の一夜が明けた。砦内は昨日の夜よりは落ち着いているが、ぴりぴりとした空気が今でも流れていた。
「クソッ!何故見つからん!それにおめおめとエルフの長まで奪われただと!一体何の悪夢だ!」
実際悪夢だと信じたかった。だが、アルフォンスの目の前あるテーブルの上に茶碗と美しい蒔絵を施された椀がそれを否定する。
「如何なさいますか?」
心配しそうに今後の行動を聞くジョッシュにアルフォンスはいらだたしげに答えた。
「ちっ!フランツ叔父上に報告するしかあるまい。この二つを持っていけば、寛大な処置をしていただけるだろう」
ふと、頭にこの事を報告しないという選択がよぎるが、もう騒ぎは砦の中に広まっている。今からかん口令を敷いたとしても外に漏れるのは必然。ならばちゃんと自分から報告した方が、当然心証が良い。隠すのは身の破滅だ。
「報告はお前に任せる。あいつらを直接見たお前の話なら、フランツ叔父上も信じてくださるだろう。それと増援の要求も忘れるな。私達が想定していた敵は、エルフ、ダークエルフ、そして獣人共だけだ。妖怪とか言うあのふざけた連中は勘定に入っていないからな」
「かしこまりました」
ジョッシュは、テーブル上の茶碗と椀を布で丁寧にくるむとそれを持って天幕の外へと出て行った。
「クソッ!」
残されたアルフォンスは、テーブルの上に手を伸ばしてそこにあったワインを木製のゴブレットへと注ぐと、一気に飲み干した。
アオキ達は、砦を脱出した翌日にあやかしの里への帰路についていた。当然足はカラス天狗による"カラス船"によって。
救出されたレゴラスには、応急処置を施し、ついでに眠り薬を嗅がせて眠らせている。"カラス船"によって運んでいる時に暴れられたりしたら迷惑だからだ。
プラプラとカラス天狗に引き上げてもらっているブランコ揺られながら、アザミは、出発前の事を思い出しながら思った。
(ここまで予定通りだとつまらないわね)
交渉の決裂は、予定されていたものだったからだ。
「準備は良いか?」
出発する前、山ン本は、屋敷の庭に集まった面々に向かって言った。庭には今回の交渉団となるマロ爺とアオキとアザミ、おサルのカクを中心に、周りには多くのカラス天狗達が居た。
「大丈夫じゃよ」
「今回の交渉には、ご存知でしょうが余裕がありません。エルフからもたらされた情報を分析するに、この森を力ずくで我が物にしようと、周到に準備をしてきたのでしょう。もはや、それを覆すのは難しい。ですが、我々には、まずは交渉からという掟があります。それゆえに、貴方達を送ります。…が、交渉は決裂するでしょう」
重い沈黙が妖怪達の間に立ち込める。そこで、山ン本は、生真面目な表情から、悪役特有のにやりとした顔になる。
「さぁ。これが終われば楽しい楽しい戦の時間です。結果の分かりきってる交渉はそこそこに、敵情視察よろしくお願いしますね」
それに同調するように周りに居る妖怪達が、怪しげに笑う。
妖怪達は、平和な日常を愛している。
食べ物を育て、物を作り、里の住人達と笑いながら過ごす。生きるとは、そういう事だから…。
だが、同じくらい、妖怪達は、危険な非日常を愛している。
敵を調べ、策を練り、生死をかけて戦場を駆ける。生きるとは、そういう事だから…。
「ああ、何時振りの戦じゃろうか?100年か?200年か?」
厳つい顔をした鬼が言った。
「おらぁは、人の戦争だが100年前に参加したよ。寒かったなぁ」
丸の中に"喜"と書かれた赤いはっぴを着た狸がその時の寒さを思い出したのかブルブルと身を震わせて言う。
そう妖怪達は、元々戦争をする気満々だったのだ
その子供のようなワクワクした表情を思い出し、呆れながらも、アザミの中に戦を楽しみにしている自分にさらに呆れる。
(みんなが喜ぶ顔が目に浮かぶわ)
平和であるなら平和を楽しみ、戦であれば戦を楽しむ。それすなわち生を楽しむ。それが彼らの価値観だった。
(せいぜい三日ほどしかあやかしの里を開けていなかったと言うのに、ずいぶん懐かしい気がするのう)
山ン本の屋敷の庭へと足をつけたマロ爺は一人ごちた。
アオキは、山ン本の屋敷に到着すると、いの一番で他のカラス船に乗せていたレゴラスを下ろし、屋敷の中へと連れて行こうとした。レゴラスは、アオキにとってサナリエンが見れば必ず喜ぶお土産程度の認識だった。
「ちょっと待って!そのまま持っていく気!先に治療でしょ!」
サナリエンに見せに行くつもりのアオキをアザミが追う。
入れ違いに出て来た山ン本の横を通り過ぎる。今日も和服姿で、両腕を袖の中に入れている。屋敷に入っていくアオキとアザミを振り返りながらぼやいた。
「やれやれ、帰還の挨拶ぐらいあってもいいでしょうに…」
カラス天狗達は、アオキ達を山ン本の屋敷まで届けるとそのまま御山へと帰っていった。庭に残っているのはマロ爺とカクさんだけだ。
「仕方ないじゃろ。アオキは優しい奴じゃからの。戻ったぞい。何か問題はなかったか?」
「お帰りなさい。ありませんよ。せいぜいサナリエンさんが、この屋敷から抜け出そうと右往左往していただけです。まったく分かりやすい方です」
山ン本は、やれやれと首を振った。アオキ達が旅立った後、一端はおとなしくなったサナリエンだが、幾度と無くアオキ達の後を追おうと屋敷からの脱出試みた。だが、脱出しようとしている事は、最初からばれており、サナリエンは屋敷の中を延々と彷徨った後、自分に与えられた部屋へと帰らされた。
「ああ、今時珍しく分かりやすい娘じゃのう」
「で、首尾は?」
「予定通りじゃ」
「では、お疲れのところ悪いですが、詳しい話は私の部屋で聞きましょう」
その時、屋敷の方から小さくサナリエンの悲鳴が聞こえてきた。ボロボロの状態の父親をいきなり見せられたんでは、しょうがないと言えばしょうがない。
それに関して二人…いや3人は顔を見合わせるも何も言わず、肩をすくめて山ン本の部屋へと向かった。
三人は、山ン本の部屋のちゃぶ台の前に座る。
「では、報告を聞きましょうかカクさん」
山ン本は、交渉を担当したマロ爺ではなく、一見ただのニホンザルに見えるカクさんに話しかけた。普通の人間なら、完全に何言ってんだ?こいつ。サルが喋るわけないじゃん。頭大丈夫?といわれても不思議ではない行動だ。
「その前によ。茶の一杯でもくれよ。こちとら帰ってきたばっかなんだ。喉が渇いて仕方がねぇ」
だが、サルそのものであったカクの表情が引き締まり、サルとは思えない、低く渋い声が発せられた。
「これは失礼しました」
山ン本は、軽く頭を下げると、手を打って使用人を呼ぶと「おい!茶と茶菓子を三人前頼む!」と言った。
このあやかしの里の長たる山ン本が、一匹のサルに対しては恭しすぎる対応だ。彼がこれほどの礼を尽くす者は、この里でも当然多くは無い。
間もなく、山ン本の部屋にお茶と茶菓子が運ばれ、カクさんが一口お茶を飲んだ。
「催促して悪いな。だが、戦が近くて急いているのは分かるが、少しは余裕を持て。でねぇと簡単に詰むぜ?」
茶碗を傾けたまま、カクはじろりと山ン本を見る。隣に居るマロ爺は我関せずと茶菓子を摘んでいる。
「お恥ずかしい所をお見せしました」
「まぁ久々の戦だ。分からんでもないがね」
そこでカクは、クククと笑いながら茶碗を置いた。
「では話そう。人族のフィフォリアの森侵攻だが、ありゃやべぇ。完全にこの森の全てを取るつもりだぜ」
「ほう」
「そうじゃろうなぁ。アレだけの砦を作るのじゃからなぁ」
ここまでは予想通りの答えだ。
「あと、寛大だとあの若造が言ってたフランツとか言う男だが…。逆だ。完全な人間至上主義者だな。他の種族を家畜ぐらいにしか思ってねぇ。和平なんて夢のまた夢だな。殺した方が良い。生かしておくと碌な事はしねぇな。あのアルフォンスとか言う若造も、内心そいつに怯えていたぜ。本人が自覚してるかは、ちと分からねぇがな」
「さすが妖怪 覚"サトリ"ですね」
「ふん。褒めたって何もでねぇよ。俺に取っちゃ出来て当然だからな」
妖怪 覚"サトリ"とは、山に現れるサルの様な妖怪のことである。この妖怪は、森の中で人間にであうと、その人間の考えている事をずばりと言い当てる。そしてあった者の精神を逆なでして、楽しむたちの悪い妖怪だ。
とは言え、カクは、この里に住まう妖怪であるからして、そこまで性質の悪い事は無い。いつもは、山でのんびりと暮らしている。しかし、里の非常事態になるといつも頼りにされる秘密兵器的な妖怪だった。
人の心を読む事が出来る覚は、交渉事や捕まえた敵対者に対する尋問などに八面六臂の活躍を見せる。とはいえ、非日常や、人との駆け引きすら生きる上での楽しみの一つとしている事から、よほどの事が無いと山ン本から呼ばれる事は無い。
それが呼ばれているという事は、今回の人族の侵攻を、山ン本が重大視しているという事の証左だろう。
「…何と…そこまでの事を…」
一通り報告を聞くと山ン本は、人族の執念に驚くと共に腕を組んで考え始めた。マロ爺とカクは、自分達の仕事が終わったので暢気にお茶を啜っている。
「やはり、一度この森の者達で集まって話し合ったほうが良いですね。後二~三日もしたら、サナリエンさんも動ける様になるでしょう。そしたら彼女にエルフの村に使者として行ってもらいましょう」
山ン本の予想通り、サナリエンは二日後には問題なく動けるほどまで回復した。弱っていたのは、怪我が直接的原因ではなく、疲労と多くの仲間を一度に失った事による精神的ダメージだ。それをアオキによってレゴラスが救助された事により、気力を取り戻し、すぐに良くなった。
ちなみに今レゴラスは、山ン本の屋敷にて治療中だ。色々と拷問も受けた形跡もあり、かまいたちの薬や河童の秘薬でも治すのは簡単ではなく、しばらく継続的に治療が必要と判断されている。
サナリエンが復調すると、山ン本は早速彼女にエルフへの使者になってくれないかと打診した。あやかしの里は、フィフォリアの森に住む者達で人族に対する対応を話し合う会議の開催する事を決定した。それに伴い、エルフ族もその会議に参加して欲しいと。それを聞くと彼女は二つ返事で頷いた。
翌日サナリエンは、父レゴラスの面倒をろくろ首に頼み、エルフの村へと出発した。
サナリエンの説得と長の不在、エルフの精鋭部隊の全滅により、このままではまずいと感じていたエルフ達は、しぶしぶと言った体ではあったが、参加を了承した。
ダークエルフの村とテルポス村は二つ返事で会議の参加を了承した。これにより初めてフィフォリアの森に住む4種族合同の会議が開催される事が決まった。




