第四十七話 交渉決裂
砦の中はもはや一つの町になっていた。天幕ではあるが区画が整理され、兵士達の居住区、備蓄の食糧などを置いていく倉庫街。兵士や、この町に訪れた冒険者を相手にする商売などを行う商業区、歓楽街まで出来ている。最前線の基地と言うよりは、開拓地と言った感じだった。
悠々と砦の中に入り込んだ一行は、すぐに二つに分かれて行動した。元々マロ爺達は、この砦に長居するつもりは無い。
マロ爺と、サルのカクさんは、砦内部の偵察とこの砦の指揮官との交渉。アオキとアザミは、酒場での情報収集だ。
マロ爺達は、施設の何処を歩いていようともその能力で、この砦の主のように振舞える為、捕まる心配が無い。アザミは、狐特有の妖艶な美しさで男を釣り、酒を飲ませて情報を得るのだ。アオキは万が一の時の為のアザミの護衛だ。
アザミは、夕暮れになると仕事上がりの労働者や兵士達に愛想を振りまきながら情報を集める。それにより、かなりの情報が集まった。
電灯などの明かりの無いこの世界の夜は、早い。大抵の人間は夕暮れ時には、既に仕事を終え、夕食の準備に取り掛かる。この砦でも多少遅くはなるが、日が落ちる前には、出店のような酒場は、人でごった返す。そんな中見目麗しいアザミが歩けば誘蛾灯が如く男達を引き付ける。
酒、色香、そして簡単な幻術。それだけで、酒場に居る男達から情報をスルスルと引き出していく。戦力、砦内にある施設の位置、食料の備蓄量。本来ならトップシークレットになりそうな情報すら集まってくる。この世界はまだ、情報戦の認識が甘く。例えば、麦の袋を幾つ倉庫に入れてあるという事は厳しく口外を禁止しているが、何人の人間が、何時間掛けて、倉庫の前に着た馬車に乗った麦の袋を倉庫に入れたという情報に関しては殆ど無頓着だった。男達の口から愚痴として出てくるそれらの細かな情報を、アザミは男達に妖しい笑みを見せる裏側で統合し、この砦を丸裸にしていった。
アルフォンスは知らない。既に妖怪が彼の砦に入り込んでおり、その情報をほぼ隅から隅まで余すことなく知られている事を…
砦の司令官であるアルフォンスが、その日の仕事を終え、自身の天幕に帰ってくるとその中から人の気配がした。
(一体警備は何をやっている!)
腕に自信のあるアルフォンスは、後で警備兵を叱責してやると決意すると、静かにそしてすばやく剣を抜き、ドア代わりの布を跳ね除けながら突入する。
「何者だ!俺の天幕で何をしている!」
薄暗い天幕の中に居たのは、小さくて不気味な老人と大きな木製の箱、そしてその箱の上に乗った、サルだった。
「これは、これは、アルフォンス殿。お待ち申しておりました。お初にお目にかかる。ワシは、フィフォリアの森に住む妖怪という…まぁ部族といいましょうか…その者達の代表として交渉に参りました。マロ爺という者ですじゃ」
「そのマロ爺とやらが一体何の用だ!衛へ…!」
衛兵を呼ぼうとするが、その前に発せられたマロ爺の強烈な気配にその声は押し止められる。パクパクと口は動くが肝心の声が出ない。
「まぁまぁ。落ち着きなさい。別にワシは、貴殿を取って食おうとわ思っておらんよ」
「お下がり下さい!アルフォンス様!」
その時、マロ爺の背後に当たる部分の天幕の一部が切り裂かれ、そこから一人の男が飛び入ってきた。その男は、エルフを罠に掛けた行商人の男ジョッシュだ。ジョッシュの手には短剣が握られており、それがマロ爺の首に向けて容赦なく振られる。
老人特有のか細い首が飛ぶ姿を幻視したアルフォンスの顔が僅かに顔を引きつらせるが、実際の光景がさらに顔を引きつらせる結果になった。
「ほい」
マロ爺は、殆ど振り返ることなく左手を首の右横まで持ってくると、短剣の剣先をいともたやすく掴み…いや、二本の指でつまみ取った。
「ウキャーウキャー!」
マロ爺への攻撃で、箱の上でおとなしく座っていたサル。カクさんが騒ぎ出す。
「これ、カクさんや静かにせんか。周りにご迷惑じゃろう?」
マロ爺は平然と短剣を摘んでいる状態でカクさんを嗜める。
「ウキュ~」
一方、ジョッシュは、自身の渾身の一撃をたった二本の指で受け止め、しかもどれだけ力を込めても短剣を引き抜く事もさせないマロ爺に対し、恐怖を抱く。もう短剣は取り返せないと判断したジョッシュは、短剣の柄から手を離し、腰に下げていたナイフを引き抜き、突き刺そうとする。
「まったく、活きの良い草じゃのう」
ここでマロ爺が言っている草とは、一般人にまぎれながら情報収集から破壊工作まで行う。秘密工作員の事だ。
マロ爺は、突き出されたナイフをまたしても指二本でぴたりと止める。
「グッ!離せ!爺!」
「ジョシュ!よせっ!貴様では勝てん!」
さすがに力量の差を悟ったアルフォンスが引きつった顔で止めさせる。主の命令には忠実なのか、ジョッシュは苦々しい顔をしながら、ナイフから手を離すと、アルフォンスの後ろへと控えた。
それを見たマロ爺は、両手に持った短剣とナイフを適当に放り捨てる。
「まったく、今回は話し合いに来たという乗るのにのう。人の話は聞くもんじゃ。まぁ立ち話もなんじゃし、そこに座って話そうではないかの」
アルフォンスの天幕には応接セットが用意されており二つの幅広のソファが二つ向かい合わせに置かれており、その間にはテーブルがある。
まるでマロ爺がこの天幕の主であるかのような振る舞いだが、アルフォンスには違和感を感じなかった。
マロ爺は先に上座のソファに座ると手を差し出しながら薦める。
「ささ、座りなされ」
「あっああ」
薦められるままに、マロ爺が座ったソファの正面へと腰掛ける。
「さて、改めて自己紹介でもしようかのワシは、森に住むことになった妖怪という一団から派遣されてきた交渉人でマロ爺という」
「わっ私は、この砦を預かる司令官でアルフォンス・ド・ドヴェルと言う。控えているのはジョッシュだ」
「突然の訪問。まずはお詫び申し上げる。何せ時間が無かったものでのう。これは詫びの品じゃ。カクさんや持ってきておくれ」
「ウキッ!」
サルのカクさんが大きな箱を両手で掴んで重そうに持ち上げると、トテトテと歩いてテーブルの上へゴトリと置く。
「これは、キャビネットですか?」
見慣れない箱に興味津々と言ったアルフォンスがマロ爺に聞いた。
「これは箱笈と言う物じゃ。背負って運べるキャビネットって所じゃな」
そういいながら、箱笈の正面にある扉を出前でよく使われる岡持ちの様に上にスライドさせて開く。箱の中には仕切りで区切られており、色々な物が収められていた。マロ爺は、その仕切りの仲から紫の布に包まれた物を一つ取り出すとそれをアルフォンスの目の前に置くとそっとその布を開く。
「これは…」
現れたのは、陶器の器だった。茶道で使う茶碗で、表面には釉薬が塗られており、アルフォンスの天幕に置かれているランタンの光を浴びて艶やかに光っている。
「この器は、陶器と言ってのう。ワシらの里で作っている食器じゃ。もしこの場で友好的関係を作れるのなら、これと同じようなものを交易品として売ろうと思うておる」
これは、あやかしの里で窯元をやっている瀬戸大将の作品だ。今までで最高傑作を譲ってもらって持ってきたのだ。ただ瀬戸大将自身は、まだ出来に満足しておらず、今日も窯の前で、自分の嫁に相応しい瀬戸物を作るべく奮闘している。
「これは…」
アルフォンスは見慣れない器を持ち上げて、ためつすがめつして舐めるように器を観察する。
この世界ではまだ、ガラスが貴重品であり、一般的に使用するのは金属製のゴブレットか、木をくりぬいて作ったカップやジョッキが主流だ。それに、この世界にも陶磁器はあるが、まだまだ発展途上であり、重いし、作るのに手間が掛かる、そのくせ脆い物であった為、あまり普及していない。
この世界では、釉薬が塗られた陶器は、正にオーバーテクノロジーの品だ。
見た事も触れた事も無い磁器にアルフォンスは、内心は興奮しきりだ。とはいえ、そんな姿を交渉相手に見せるわけにはいかない。冷静を装ってジョッシュへと渡す。ジョッシュは、工作員ではあるが、同時にベテランの行商人でもある。物の目利きは、アルフォンス以上に出来る。
「ジョッシュ。これを見てみろ。どう思う?」
「これは…磁器ですか?いやでも、この光沢と肌触りは、素晴らしいです。…しかし、少々地味すぎますな」
マロ爺の持ってきた陶器は、基本的に茶色い器だった。日本的には、 侘びさびのある一品なのだが、人族の上流階級の人間には、基本的に華美なものが好まれている。
「ほお。華美な物がご所望かの。では今度は、こんなのは如何かな?」
今度は別の仕切りのところに入っていた布包みを取り出すとテーブルに置いた。
「おお!」
「むぅ!」
マロ爺が新たに取り出したものを見た瞬間二人は唸った。
それは、朱塗りの蓋付き椀だった。蓋には、金の蒔絵で翼を広げた鶴が描かれ、お椀本体にも、蓋から続くように鶴の翼が描かれている。その見事な作りにアルフォンスとジョッシュは魅了された。この様な物は、二人は今まで見た事も聞いた事もなかった。
「なんと!これは凄い軽い!一体何で出来ているんだ!」
「これなら。高く売れますよ。それに軽いという事は、運ぶ時に多く持てます!」
興奮しすぎてジョッシュが、草の顔から、商人の顔へと変わる。これを売ったとしたら一体いくらになるか?そんな考えが頭に浮かぶ。
「これは椀という。これには汁物を入れる食器じゃ。木に、漆という特殊な液を塗った物じゃ。その絵は蒔絵と言ってのう。木の椀に塗った漆が乾く前に薄い金を貼って描いたものじゃ。これらを差し上げよう」
「おお!素晴らしい贈り物だ。ありがたく頂戴するとしよう!」
そこで一応の謝罪を終えると、マロ爺は本題を切り出した。彼らの目の前に出した物は、これから交渉するに当たりこちらを有利に働かせる見せ球でしかない。
「…それでじゃ。本題に行くとしようかの。おぬしらフィフォリアの森を攻めるつもりか?」
「フィフォリアの森を攻めるとは、物騒なお話ですね。…お答えしましょう。我々はそのような事を考えてはいません。我々は、高慢なエルフ達から奪われた私達の同胞を取り返しに来たに過ぎません。もちろん奪った張本人であるエルフは捕縛し、相応の罰を受けてもらいますが…。森を攻めるなんてとんでもない!」
「ほう。奪われた同胞とは?」
「それは我々が解放した獣人族のことです。彼らは以前、圧制を強いていたある国から我々が開放し、独り立ち出来るように支援していたのですが、どうも行き違いがあったらしく、出て行ってしまったのです。そして、ここまでたどり着いた彼らを、森の侵入者としてエルフ達が捕らえてしまったのです」
マロ爺は既に知っている。帝国がただ単に奴隷ほしさに他国を滅ぼし、捕まえた獣人族達に強制労働を強いていたという事を。それゆえに、饒舌に偽りの正当性を訴えるアルフォンスという男を面白く思っていた。
「先ごろ、エルフ達と一戦交えたと聞きましたが?」
「ええ、残念な事に…。我々としては、同胞を解放し、謝罪していただければよかったのです。…が、彼らは我々に剣を向けました。故に戦わねばなりませんでした。突然森からモンスターが現われた事もあり、私達は九死に一生を得ました。きっと神のご加護でしょう」
「では、貴方達に、森に住む我々妖怪と敵対する事は無いと?」
「当然です。むしろ貴方達とは、友好関係を結びたいと思います。これ程の物は、我が国でも早々ありませんので」
(今は…ですがね。エルフを全て奴隷化した後は、友好的に見せかけて居場所を突き止め、全てを貰い受けるとしましょう。蛮族にこの技術は、もったいない。我ら人族の手にあってこそです)
「おお、それは良かったのう。だが、森の中で我らが里の住人と、この砦の兵士が会った時、攻撃されたりせんか?」
「ご心配はごもっともです。それは、貴方達がどの様な人々か情報を頂ければ、こちらの方で発見しても攻撃しないように通達を出しましょう」
(情報の為に何人か欲しい。秘密裏に捕縛部隊も出した方が良いな。ここで喋る程度の情報だけでは足らん)
「そんな事を勝手に決めてよいのかね?後で上役の方に罰を受けたりせんかね?」
「ご心配ありがとうございます。ですが、ダーリアの街を治める領主であらされるフランツ閣下は、聡明な方であらせられますので、こちらの事情を説明すれば分かって下さるでしょう」
「ほう、そのお方は、異種族にも寛大な方かね?」
「ええそれはもちろん!今回の同胞奪還作戦も、そのお方が発案したのですから!」
(フランツ叔父上は、他種族に対し寛大だ。何せ皆殺しにすれば良いのに、生かしてやっているのだからな…)
その言葉に安心したようにマロ爺は相好を崩す。
「おお、それは良い主君じゃ」
それからは、双方安心したように情報を交換していく。それぞれの町の様子や文化、政治体制などを話し合った。
特にアルフォンスは、箱笈の中身に興味を示し、持ってきたものテーブルの上へと広げる。次々と並べられる工芸品や調味料にアルフォンス達は大興奮だった。それらは、アルフォンスの国でも作られていない物ばかりだったからだ。それらの加工技術を得られればグランエス帝国の更なる発展を遂げると確信できた。
アルフォンスは里で作られた酒が大いに気に入り、交渉の途中だというのにマロ爺と一緒に飲み始める。お酒によってより一層饒舌になった二人は、夜遅くまで話し合った。
その間カクは、ただじっとアルフォンスを見て、時折マロ爺へとちょっかいをかけていた。それに気付いていたジョッシュは、気味の悪いサルを観察しながら思う。
(蛮族相手に、アルフォンス様も良くやるお方だ。それにしても不気味なサルだ)
そう思った時、不意にカクさんがジョッシュの方を向いて、ニヤリと笑う。それは、ただ頬の肉を持ち上げて口の端を持ち上げただけの笑顔ではなく、人がやるようなあくどい笑みだった。
(なっ何だこのサルは!)
すぐにカクの表情は、普通のサルのものへと戻る。まるでさっきの表情は幻だったかのように。
話し合いもとうとうお開きになる時間となった。
「いやいや、実に有意義な時間じゃった。これでワシも里長にいい報告が出来ると言うもの」
マロ爺は上機嫌に言った。
その間に、カクがテーブルに出した物を箱笈に収め蓋を閉めて、お暇する準備を始める。それを見てアルフォンスは、全て置いて行けと思うが、今はまだ、友好関係で居続けなければならない。
「では、我々に協力していただけると考えてよろしいですか?」
アルフォンスは内心でちょろい者だとほくそ笑みながら、それで居て表面上はさわやかな笑顔をマロ爺に向けながら言う。
「もちろん…エルフ側として参戦いたしますじゃ」
想定外の返事にアルフォンスの思考か一瞬固まる。
「なっ!?」
(どういうことだ!?今までずっと友好的だったでは無いか!)
思考がグルグルと周り、一体何か自分が間違った問答をしただろうかと考える。しかし、その何処にも自分達と彼等が敵対するに値するような事は無い。
「いやはや、こんな結果になってしまい。真に残念」
そうは言いつつもマロ爺の顔は笑顔だ。
だが、そんな事では納得がいかないアルフォンスはソファから立ち上がって言った。
「どうしてそうなる!?我々は、貴方方に対して敵対はしないと言ってるではないですか!」
ガッ!
それに答える様にマロ爺は、立ち上がると、テーブルの上に足を乗せるとすごんだ。その顔は先ほどまでのものとは違い、怒りに彩られている。
「おう小僧。この爺!舐めてもらっちゃあ、いけねぇなぁ。テメェが嘘八百並べたててんのは、こっちはお見通しよ!俺らを捕まえて、奴隷にしてやろうって?馬鹿言ってんじゃねえ。この侵略者が!」
「貴様!」
アルフォンスが剣を抜き、ジョッシュが徒手空拳で構える。マロ爺はそれを意に介さず、箱笈を方に片方の肩に担ぐと堂々と天幕の出口へと向かう。
当然、それにカクが続いて歩く。
「ワシが、この砦から出たら、ワシ達とテメェらは、敵同士じゃ。覚悟せい!」
「この蛮族の爺風情がっ!ここから…ぐっ!」
アルフォンスは台詞を最後まで言えなかった。噴出したマロ爺の圧倒的気配に、アルフォンスは動く事が出来ない。それはジョッシュも同じだ。
「フンッ!」
マロ爺とカクは、悠々と天幕の外へと出ていった。
ちょいと物語のテンポのスピードアップをしていきたいと思います。




