第四十四話 涙
「どどどどうしたんじゃ!サナリエンちゃん!そんな姿になって!」
ボロボロになっているサナリエンを見た瞬間、マロ爺が裸足で庭に飛び出した。マロ爺たちの前まで来れたことで緊張の糸が切れたのか、サナリエンはその場にへたり込んだ。だが、それでも何かを伝えようと頭を上げる。
「ろくろ首!ろくろ首!早く薬箱を持ってくるんじゃ!それと河童と鎌鼬の薬出せ!」
サナリエンの傍で膝を着いて状態を確認したマロ爺が、次々と指示を出していく。何事かと座敷の襖を開けたろくろ首は、負傷しているサナリエンを見るとマロ爺の指示を実行する為に屋敷内をかけ出した。外に繋がる障子戸には、目目連の目がびっしりと表れ心配そうにサナリエンを見つめている。縁の下では、柱の影から心配そうに家鳴りが覗く。
「待っ…て!そ…んな事よ…り私の…話を聞…いて!」
「そんな事じゃと!?今現在傷ついたサナリエンちゃんの治療以上に大事なことなどあるものか!」
「エルフの…戦士達が、人…族に…全滅…させられた…の!」
「なんじゃと!あやつらは気に入らんが、実力は本物じゃ!それが全滅!?ありえぬ!?どういう事じゃ!」
最初は呆然と庭に駆け込んできたサナリエンを見ていたマリリエンが、エルフの戦士が全滅したと言うのを聞いて立ち上がった。
ドトル戦士長も信じられないといった様子で呆然としている。
「サイラス…戦士長達…は、私達を逃が…す為に…」
そこまで話すと、サナリエンは力尽き、気を失ってしまった。前のめりに倒れそうになるサナリエンをマロ爺が支え、ゆっくりとその場に寝かせる。
あの戦場から脱出してから、既に二日かがたっており、その間、サナリエンは殆ど飲まず食わず、尚且つ寝ずに走り続けた。あやかしの里に着いたことすら奇跡的だった。
「何故じゃ何故そんな事になった!詳しく話すんじゃ!あやつらは、気に入らんが簡単にくたばる様な奴らではないはずじゃ!言うんじゃ!」
マリリエンは、気を失ったサナリエンを近づくと肩を掴んでゆすった。だが、サナリエンが目覚めることは無い。うめく程度だ。
「やめい!今はサナリエンちゃんの治療が優先じゃ!」
更にゆすろうとするマリリエンをマロ爺が押しのけて止める。そして、小さい体躯に似合わずサナリエンを力強く抱え上げると、縁側へと運ぶ。
「そうですね。今は、話が聞ける状態ではありません。今回の会議は一旦中断します。状況が変わりました。皆さんいいですね?」
真剣な表情をした山ン本が言うと、その会議に参加していた全員が頷いた。薬箱を持ったろくろ首が、座敷に飛び込んできたのはちょうどその時だった。
傷つきボロボロになったサナリエンが目覚めたのは、翌日の昼過ぎの事だ。
目覚めたサナリエンが最初に感じたのは全身の痛みだった。戦闘や脱出した時の傷だけではない。無理を押してあやかしの里にまで走り続けた事により全身の筋肉が傷ついているのだ。
サナリエンが寝かされていたのは、あやかしの里に捕まった時に入れられた座敷牢…ではなく、普通の客間だった。
サナリエンの鼻に、自身に使われた薬草の香りが届く。
「…くっここは…?…そうだ…私は…あやかしの里に向かって…」
痛む体を無理やり起こし、自分の体を見下ろす。サナリエンの体には包帯が巻かれ、その上から白い襦袢が着せられていた。
「起きたようですね」
すると音も無く客間の襖が開かれた。そこには、膝を着いて襖を開いたろくろ首の姿があった。ろくろ首は廊下に置いたお盆を持ち上げ、部屋の中へと入る。お盆の上には水差しとコップが置かれていた
ボーっとしていたサナリエンは部屋に入ってきたろくろ首を見た瞬間、はっとして叫んだ。
「ろくろ首さん!山ン本かマロ爺さんに合わせてください!お伝えしなければならない事がっ!」
サナリエンは気を失う直前の記憶が、疲労によってあいまいだった。なので急いで伝えようとしたのだ。
ろくろ首は、そんなサナリエンの傍まで来て膝を着き、お盆を畳の上に置きながら言った。
「安心してください。エルフの戦士達が人族によって全滅させられた事なら、既に貴方から聞いておりますよ。あなたはかなり体力を消耗しています。今は、白湯を飲んで落ち着いてください」
そして、白湯の入った水差しを手に取りコップに注いでサナリエンに差し出した。サナリエンはおとなしくコップを受け取ると、白湯を一口飲んだ。
「あっあの!」
「今、人をやってサナリエンさんが起きた事を山ン本様にも知らせてもらっています。すぐに来ますから、詳しい話はその時に…」
一口飲んで、口を開こうとするサナリエンをろくろ首は制しながら、微笑んだ。
すると廊下から誰かドドドッと走ってくる音がしたと思ったら、スパーンと襖が開かれた。
襖の向こうに居たのは、もちろんマロ爺だ。顔に喜色を浮かべ、汗を流していた。
「おお!サナリエンちゃん目覚めたのじゃな!おーおーこんなに傷ついて…」
部屋に飛び込んでくると、即座にサナリエンの横に膝を着き手を取った。そして、手をはさんで拝むようにした。
それを見たろくろ首は、後ろからマロ爺の頭を思い切り引っぱたいた。
「いった!」
「それ、セクハラですのでお止めください。引っぱたきますよ」
マロ爺は、たまらずサナリエンの手を離し、引っぱたかれた頭を押さえる。
「…もう既に引っぱたいておるじゃないか!」
マロ爺が抗議するが、ろくろ首は、フンッと鼻を鳴らすだけだ。ちょうどそこで山ン本が客間へ入ってきた。マロ爺とろくろ首の会話は、廊下でも聞こえていたので、呆れ顔だ。
「はいはい、茶番はそこまでにしてくださいね」
山ン本が、サナリエンの寝ている布団まで歩く。マロ爺はその場所を譲る為に手を付いて横に移動する。そしていつの間にか用意されていた座布団に山ン本は正座した。
「サナリエンさん。病み上がりの所、申し訳ありませんが。エルフの戦士達が全滅したという話し。詳しく聞かせていただけますか?」
山ン本は単刀直入に聞いた。
「もちろん。私は、その為に来たの。あれは…」
サナリエンは、自分達の身に起きたことを包み隠さず話した。
エルフの村長が森の傍で獣人達の件で人族と交渉した事。
人族が村長たちに長々と話していた事。
その途中で森から大量のモンスターが現れ、森の中で待機していたエルフの戦士達が襲われた事。
その時、人族が弓の付いた変な機械で村長の護衛を殺し、村長を捕縛した事。
その後モンスターと戦っているエルフの戦士達を攻撃した事。
モンスターと人族の挟み撃ちによってエルフの戦士達が全滅の危機に陥った事。
サイラス戦士長の指示で、自分を含めた三人が戦場を脱出した事。
自分達を脱出させる為にサイラス戦士長が全滅覚悟の作戦を実施した事。
脱出後、自分は独断でこの話をあやかしの里に伝える為に他の二人と別れた事。
その全てを淡々と話した。
山ン本達は、それを黙って聞いていた。
「分かりました。ありがとうございます。お疲れでしょうから、今日はこのまま泊まって下さい。マロ爺も来てください。これからの事を話し合わなければなりません」
サナリエンが話し終わると、山ン本はそっけなくそう言って立ち上がった。それに、習うようにマロ爺も立ち上がる。
「じゃあの。サナリエンちゃん。疲れたじゃろう?なぁに、安心せい。エルフの事は悪いようにはせん。ワシがさせん。だから、今日はゆっくり休むんじゃ。何かあれば、ろくろ首に言うとええ。頼んだぞ。ろくろ首」
「はい。お任せください」
ろくろ首は、当然と頷いた。
マロ爺が言い終わると、二人は足早に客間を出て行った。
森の外の勢力からの攻撃。それに対する対応策を里を治める立場である二人は、早急に決めなければならないのだ。
最後にろくろ首が、「それでは、サナリエンさん。ゆっくりとお休みください。あなたの体はまだ回復しておりません。後ほどお粥をお持ちしますのでしばしお待ちください」と言って静々と客間から出る。
トンっとろくろ首が閉めた襖の音が客間に響き、客間にはサナリエンだけが残された。サナリエンは、しばらく山ン本達が出て行った襖の方をボーっと見ていたが、不意に頭下げた。肩が振るえ、口からは嗚咽が漏れる。
「ううっ!あっあああああああ!」
山ン本達に、事の次第を伝えた事により彼女の中の緊張の糸が完全に切れたのだ。同時に、"エルフの窮地を伝える"という目的を達成する為に思考の外に無理矢理追い出していた"仲間の死"という現実が彼女に一気に襲い掛かる。
「お父様…サイラス戦士長。皆…!ああああ!」
脱出する時、彼女には、背後で倒れる仲間の悲鳴がしっかりと聞こえていた。その悲鳴が幻聴となり、彼女を苛む。
今まで涙一つ浮かべることの無かった瞳に、とめどなく涙が溢れ、頬を伝い、流れ落ちる。拭っても拭ってもその涙は止らない。
エルフ達は、自分達以外の種族を基本的に見下している。だが、同時に彼らは同じ種族に対しては、とても仲間意識が強い。もし、村の中で孤児が出たとしても、その子供は、他のエルフ達によって愛され、何不自由なく成長し、大人になる事が出来るだろう。
それがエルフという種族だった。
当然そんな環境で生きてきたサナリエンにとってエルフの戦士達は、家族であり、兄弟であり、そして苦難を共にした戦友だった。森を守護するという目的の為、共に厳しい訓練をこなし、先達達には厳しくも暖かい指導を受けた。特にサイラス戦士長には、命を救ってもらった事もあった。
地獄の特訓をサナリエンに課し、サナリエンが本気で憎みそうになったが、実は、人一倍後輩であるサナリエンを心配してくれたベテランの先輩。
その地獄の訓練を一緒に受けた同期のエルフ。
逆にサナリエンが地獄の特訓を課したが、それでも妙にサナリエンに懐いていた後輩。
サナリエンの脳裏にエルフの戦士達の面影が浮かんでは消える。
故に、サナリエンの悲しみは深い。
彼女の鳴き声はだんだんと大きくなり、慟哭へと変わる。サナリエンにお粥を取りに行っていたろくろ首は、その泣き声を聞いて足を止めた。そしてお粥を持ったまま、くるりと向きを変え、台所へと戻って言った。それが必要な事だというのが分かっているのだ。一人で泣く事が。
そしてとうとうサナリエンは、泣きつかれて眠ってしまった。
眠ったのを見計らってろくろ首が客間へと訪れる。涙に濡れるサナリエンの顔を濡れた手ぬぐいで拭き、倒れたような状態で寝ていた彼女を慎重に寝相を正す。そして最後に布団をかけると一礼して静かに出て行った。




