第四十話 フィフォリアの森 迷走
「そこまでじゃ!」
その場に集まっていた者達の視線が声のした方に集まる。
視線の先にはマロ爺が堂々と立っていた。マロ爺は自分に集まる視線にものともせずに、騒ぎの中心へと歩み出る。ヒビキ以外は、得体の知れない道具を持った、いかにも老獪そうな人物か出てきたと思っていたが、マロ爺の手には超高解像度デジタル一眼レフカメラを大事そうに抱えられていた。
手に持っているがカメラである事を知っているヒビキは、一人白い目でマロ爺を見る。マロ爺は、何時までたっても獣人の女性や子供の写真を撮ってこない他の妖怪達に痺れを切らして、昨日からカメラ持参でやってきていたのだ。無断で。一応テルポス村の獣人達もマロ爺が妖怪である事は知っている。以前犬神が渡した妖怪カタログの中にも載っていたからだ。村人達は、マロ爺があやかしの里の重鎮という事で、貧しいながらも歓待していた。
「お前は確か、あやかしの里の…」
レゴラス村長が、怪しい物を見るような目でマロ爺を見る。
「そうじゃ。わしは、あやかしの里相談役妖怪ぬらりひょんのマロ爺じゃ」
「その爺が何用だ?」
「お主は、ワシらの里のヒビキに弓を向けておるが、それいいのかの?」
「この者は、エルフを侮辱した。理由は十分だ」
普通の人間なら腰を抜かしそうなほどの殺気を放つレゴラス村長だが、歳経た妖怪であるマロ爺にはそよ風に等しい。気にした様子もない。
「ほっ。エルフとはそんなにも偉い者なのかのう?のう、フューリちゃんや」
「違うっ!」
マロ爺に声を掛けられたことで、ようやく一人唖然として固まっていたフューリが声を震わせながら言った。
「あんた達分かってるの?あんた達は自分達が"森に仇為す者"だって言ってるのよ」
「いきなり何を言う!我々が"森に仇為す者"だと!侮辱もはなはだしいぞ!ダークエルフ!」
エルフの戦士の一人が、怒りに任せてフューリを怒鳴りつける。だが、それ以上の音量でフューリが怒鳴り返す。
「あたし達がどうして、この森にやってきたと思っているの!知ってるでしょ!」
そう、エルフ達も、この森に"逃げて"来たのだ。もうあるかどうかすら分からない国から。そして追っ手から隠れる為に、この森に入った。だから、グランエス王国から、"逃げて"来た獣人達を責め、"森に仇為す者"とするならば…。
「あっ」
そこまで言ってようやくエルフ達も自分達が言っていた事を理解した。エルフ達の顔が一斉に青ざめ、その視線が村長であるレゴラスへと注がれる。
視線を注がれたレゴラス村長も、完全に冷汗を流しながら、黙っている。そこへマロ爺が助け舟を出す。
「おんしらも、その手紙で舞い上がってしまったのじゃろう。今一度村に戻り、冷静に考えるが良かろう」
「ふざけるな!ここまで…!?」
レゴラス村長は言い切る事が出来なかった。
「ワシの提案が聞けぬというのか?」
「ぐぬ!?」
その瞬間、マロ爺から得体の知れない迫力の用な物が放射された。レゴラス村長の傍に立っていたエルフの戦士は、それだけで体がガタガタと震わせ、構えていた弓と矢がカタカタと音を出した。
妖怪ぬらりひょんとは、いつの間にか家に入り込み、その家の主の様に振る舞い、その家で我がままの限りを尽くす妖怪だ。では、どうやって、ぬらりひょんは、その家へと入り込むのか?もちろん、人の習性と常識を利用した詐術もある。だが、そんなのは些細なものだ。ぬらりひょんの真価とは、その身の内よりあふれ出る存在感だ。長い長い妖怪生により、培われた圧倒的存在感に、この人には逆らってはいけないのだ、人々に思わせるのだ。後はその思った事に対して、適当な理由を与える事で、やすやすとその家へと入り込むのだ。
その圧倒的存在感が、今エルフに向かって放たれた。エルフの戦士達が震えているが、それでもマロ爺は手加減している。
「お主は、エルフの長じゃろう?ならば、間違いに気付いた結果、一度引く事はなんら恥では無いぞ。それともお前達エルフは、一度の失敗で村長を見捨てる程、狭量な種族なのかの?」
「違うっ!たかが一度の失敗で我らは、レゴラス村長を見捨てたりしないっ!」
マロ爺の質問に血気盛んなエルフの戦士が答える。答えたエルフの戦士をちらりと見て、視線をレゴラス村長へと戻すマロ爺。
「だそうじゃよ?」
ぬらりひょんに逃げ道を作られた事に歯噛みしながらも、現状を鑑みると一度引くしかない。このまま戦ったとしても手紙を出した人族に良い様に使われ、ダークエルフを完全に敵に回すだけだ。
「くっ。皆のもの一度引く!だが、忘れるな!お前達が"森に仇なす者"だという事は変わらん!」
それに対して、今まで黙っていたテルポス村の副村長であるロッカスが反論した。
「ふざけた事を言いますね。グランエス王国の下らない策に引っかかった癖に。それに何ですか。エルフが高貴?一体あなた方のどこが高貴だというのですか。冗談にしても笑えません」
そうだそうだとテルポス村の男達が、怒声を上げ、手に持った武器を構える。
「何だと!獣人風情が!」
エルフ達も、その言葉に怒りをあらわにし、武器を構えなおす。一触即発と言った雰囲気になる仲、マロ爺が一喝した。
「止めんかっ!ここは、あやかしの里相談役であるワシが預かる!双方引きませい!」
「ぐっ!」
「がっ」
マロ爺から発せられる圧力がさらに増し、何時もは温和な表情でニコニコしていたマロ爺の表情が怒りに歪む。それは、里では文字通り、鬼すら裸足で逃げ出すと言われている。
「チッ!戻るぞ!」
レゴラス村長がそう言って踵を返すと、他のエルフ達も獣人達を睨みながらではあるが、一斉に森の方へと帰っていった。
エルフ達が帰っていくのを確認したマロ爺は、エルフ達の去った方を睨みつけているロッカスの前へと行った。そして、彼に対して大声で怒鳴りつけた。
「ロッカス!いやロッカス殿、一体何を考えておる!この村を預かる者ならば、お前の一言が村に、甚大な被害を及ぼす場合があるのはわかっておるじゃろう?ならば何故、あの様な場面であの様な事を行ったのじゃ!」
怒鳴られたロッカスは、肩を落としてシュンとしながら答えた。
「申し訳ありません。マロ爺殿、エルフのあまりの態度に自分を抑えられませんでした。我々を奴隷にした連中と同じような態度だったので思わず…。お手数をお掛けしました」
ロッカスは素直に頭を下げた。
「…わかっておるならいい。今後気おつけることじゃ」
それを見たマロ爺は、それだけ言うとフッと圧力を消し、微笑んだ。
「はい。お気遣い。痛み入ります」
頭を上げるロッカスの顔には、深い皺が刻まれていた。
エルフがテルポス村を襲いかけた翌日、テルポス村での出来事を聞いたサナリエンは、居ても立ってもおられず、あやかしの里の監視の役目を放り出してエルフの村へと戻ってきた
「何なの…これは」
だが、帰ってきたサナリエンの目に映ったのは、村人達が総出で弓を整備し、矢を作っている所だった。この様な準備は、年に一度あるか無いかのモンスターの大繁殖による一斉駆除の時位なものだ。だが、モンスターの大繁殖なんて起こっていない。あやかしの里こちらに来て以来、モンスターの殆どは里のほうに流れ、そして里の妖怪達に屠られているからだ。
サナリエンはその事に疑問に思いながらも、村の集会場に向かう。村がこの様子なら村の長たる父親はそこで指揮を執っているだろうと思ったからだ。案の定、レゴラス村長は集会場にいた。周囲に居るエルフ達に大声で指示をあたえ、周囲のエルフ達から報告を聞いている。
その姿を確認すると、サナリエンは思わず大声を上げた。
「お父様!一体何が起きているのです!これは何なのですか!?」
そしてそのまま詰め寄るようにレゴラス村長に近寄る。近寄るサナリエンをレゴラス村長は歓喜をもって迎えなかった。どすどすと歩いてきたサナリエンをじろりと一睨みすると、低い声で言った。
「サナリエン…帰ってきたのか。お前に与えた役目はどうした?」
「いきなりエルフがテルポス村を襲おうとした、なんて聞いたら、やってられないわよ!」
「馬鹿者が…。まぁいい。人族が獣人共を追って森の外に来る。それを迎えるための兵が足らん。お前も付いて来い。外の者がどれだけ下等が勉強になるだろう」
それだけ言うと、レゴラス村長はサナリエンから視線を外し、仕事に戻る。だが、
「そんな事より!何故テルポス村を…」
だが、サナリエンは言い切る事は出来なかった。いつの間にか傍に来ていたサイラス戦士長に腕を掴まれ止められた。
「よせ。今村長は忙しい」
「でもっ!」
「甘ったれるな!馬鹿者!お前は、村長の娘の前にエルフの戦士だ。ならば、組織の長たる村長に従え!」
「くっ!」
「来いっ!」
サナリエンは、掴まれた腕を振り払おうとするがサイラス戦士長の腕を掴む力は強く、振り払う事は出来なかった。そしてそのまま強引に腕を引っ張られ、集会場の外へと連れ出される。そして、集会所の裏にあたる場所でようやくサイラス戦士長の力が弱められた。
「離して下さい!」
そこでようやくサナリエンは腕を振り払うことが出来た。正確に言うなら振り払うことをサイラス戦士長に許された。
「どうして邪魔をするんですかサイラス戦士長!サイラス戦士長もおかしいと思っているのでしょう!それにお父様は一体何をされるおつもりなのですか?これではまるで戦の準備をしているようではありませんか!」
「戦の準備ではない。後日森の外に人族が来るのは知っているか?」
「ええ、獣人達を受け取る為に来ると聞いています」
「俺達は、それに対応する為に今準備をしている。村長は、この森に居る獣人と妖怪達を良く思っていない。だから、人族からあの様な手紙を受け取ったらこれ幸いと獣人の村へと行った。だが、結果は知っての通りだ。…人族に恥をかかされたと思った村長は、それを挽回する為に人族を完璧にやり込めるつもりだ。そして、そのまま街へと追い返す。今の村の様子はその準備をしている所だ。お前も、村長にそれに参加するように言われただろう。準備しておけ。生まれてから100年もたってない子供ではないのだから…分かるな?」
「くっ!分かりました」
あまりにも子供に言い含めるような言い方に、サナリエンは反感を覚えながらも頷く。
サイラス戦士長は、サナリエンが頷くのを確認すると、その場から去っていった。
またしても、状況はサナリエンを置き去りにして進む。村長の娘とは言え、一回の戦士でしかないサナリエンには、どうしようもない事だとは言え…。
「あたしには、何も出来ないの!」
一人になったサナリエンは、近くにあった木に拳を叩き付けた。




