第三十六話 命名テルポス村
犬神をあがめる一団を何とか説明して、なんとか止めさせるのに成功したのは、お昼になった頃だった。
「ったく。ようやく誤解が解けたぜ」
犬神は、ようやく散り始めた村人達を眺めながら、呟いた。
そこへ、手分けして犬神の誤解を解いて歩いたアザミが近づいて言った。「フフフ。あなたが手を広げたタイミングと道が出来たタイミングが完全に一致してたもの。勘違いするのもしょうがないわ」
ここで、変に犬神があがめられると、得てして獣人スタイルに化けられる里の妖怪達と、この村の獣人達との間に変な垣根が出来かねないからだ。
「…んで、山ン本達がこっち来るのは、今日の夕方ごろだったな?」
「そうよ。大八車と一緒に来るって言ってたから、そうなる予定ね。けど…」
「けど…なんだよ」
犬神の質問に答えようとアザミが口を開いた時、近くに居た村人の一人が、道の先を指差しながら叫んだ。
「犬神様!何かか物凄い勢いで道を走ってきます!」
「何だ!?」
犬神が慌ててその方向を向くと、道の向こうから盛大に砂煙を上げながら何かが走ってくるのが見えた。
「ヒィーーーーーーーーーーーーーーーーーハァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
それは、巨大な顔を真っ赤にさせて爆走する朧車だった
興奮で頬を真っ赤にし、目も血走っており、つりあがった口は、まるで口が裂けている様に見えるほどだ。朧車は、久しぶりの暴走で、危ない脳内物質がドバドバの状態だった。
そんな状態の朧車を見た村人の反応は決まっている
「うわぁあああああああああああああああ!魔物だ!魔物が攻めて来たぞおおおおおおおおおおおお!!」
「犬神様おたすけぇ!」
悲鳴をあげ、逃げ惑い、犬神に助けを乞うた。ミューリ達も完全に怯えて、犬神に抱きついて震えている。
だが、妖怪達は一様に落ち着いていた。
「あら、朧車じゃない。…ああ、久しぶりに走って興奮しちゃったのね。凄い形相」
「大丈夫!大丈夫だ!アイツは、俺んとこの里の妖怪の一人で朧車ってんだ!アイツはスピード狂だが、別に悪さなんてしねぇ!」
朧車の姿を確認した犬神は大声で大丈夫だと繰り返すが、朧車の顔が怖すぎて、村人達は粗末な家の影へと飛び込んだ。
「でっでもっ!あの顔!」
村人は、物陰から顔を出し、物凄い勢いでこちらに走って来る朧車を指出した。
「顔が怖いのは分かる!俺も怖いと思う。でもまぁ人を食う奴じゃない。顔が怖いだけだ。…ああ後一応安全の為に、アイツの前には立つなよ。下手したら轢かれるぞ」
犬神もしがみ付いているミューリ達をそのままに、朧車の進路から離れるように移動する。
すると村の存在に気付いた朧車は、ドリフトの要領で車体を横にしてブレーキを掛けた。それにより、更に砂煙が盛大にあがる。
ズザアアアアアアアアアアアア!
朧車は横になったまま地面を削りながら減速し、ちょうどだいだらぼっちが道を作り終わったところで停車した。
「ああ!快っ感!」
停車するなり、朧車は、目に涙を貯めてもう溜まらんといった感じで呟いた。同時に朧車の後方から、乗っていたドトル、ゴットス、山ン本の三人が転がり出た。
「ああ地面だ!動かない地面だ!私は、帰ってきた!」
ドトルは、地面に着くと、あまりの歓喜に地面にキスをし、
「うげぇ。気持ちわりぃ。馬車ですら俺はこんなに酔った事はねぇぞ」
ゴットスは、即座に森の中に駆け込んで、リバースし、
「…」
山ン本は息も絶え絶えと言った様子で木に寄りかかり、ぐったりとしていた。
だが、何故かサナリエンだけは、朧車から平然と降りてきた。その表情はキラキラとしており、道中が楽しかったことを伺わせる。
その様子を見た犬神は、無言で子供を体から離し、朧車の正面に近寄る。
「暴走してんじゃぇ!朧車!」
そういいながら、朧車の顔面にフック気味に左拳を叩き込んだ。
この時既に、朧車の表情は、山ン本達が乗り込む前のおっとりとしたものに戻っていた。朧車は、走っていなければ酷くのんびりとした妖怪なのだ。
「ぶぎゅう!」
朧車は変な声を出しながら、その場で回転する。牛をつなぐ為に前方に伸びている轅といわれる二本の棒の部分がブンッ!と唸り声を上げなら一回転し、あわや犬神に当たるといった所で、構えた犬神がをドンと受け止める。
「見ろっ!お前が乗っけてた山ン本達がぐったりしてんじゃねぇか!それにガキ共を泣かせやがって!」
「だだって、久々に走ったから興奮しちゃって…」
涙目になった朧車いい訳を始めるが、犬神がそれを許さない。
「その前に言う事があるだろうが!」
犬神はそういうと轅を放した。
すると、朧車はゆるゆるとまた回転しだし、ぐったりとしている面々の方を向いた。
「暴走して、申し訳ありませんでした。人を乗せたら、もう二度と暴走しません。…多分、きっと、おそらく、だといいなぁ…」
言うと、車体を傾けて謝った。…反省はしているのだろうが、朧車の誓いが守られることは無いだろうと聞いた全員が思った。
乗っていた三人は、息も絶え絶えの為、返事をする事すら出来なかった。
結局山ン本達が、回復したのは、大八車を引いてゆっくりと歩いてきた鬼達が獣人の村に到着した時だった。
到着したのは日が暮れるちょっと前、普通の人間なら夕方まで掛かる道のりだが、それは妖怪達の体力のなせる業だ。
妖怪達は、獣人の村に着くと、休憩も取らずに、山ン本の指示に従って救援物資を配布する為の準備を行った。
村人達は、それを遠巻きにしてみているだけだ。さすがに、オーガと似ている鬼や、見慣れない格好(僧衣)をした一つ目の化け物が、たくさん居る場所に近寄るのは相当勇気が要るだろう。妖怪達もそれは分かっているので、黙々と作業している。
妖怪達はまず、大八車に乗せていた折り畳みの机を下ろして大八車の前に置くと、その上に持ってきた救援物資を次々と出していく。鍋、包丁、食料、テーブルの上に次々と物が並び始めると、村人達の目が輝き始める。
「準備が整いました。ではゴットスさん。村人達を案内してください」
体調がようやく元に戻った山ン本がそう言うと、ゴットスはうなずき、大八車と机の列の一番前に立って大声で言った。
「皆!これから救援物資の配布を行う!だが、全員が並ぶ必要は無い!家の代表者が取りに来てくれ!先頭はここだ!安心しろ全員分あるから急ぐ必要は無い!援助してくれたあやかしの里の連中に恥ずかしい所を見せるなよ!」
その一言で村人達は、一気に沸いた。我先にと言うほどではないが、早足でゴットスの前に列を作る。今日救援物資が届けられる事は、事前に告知してあった為、狩りに行く男たちも今日は荷物を受け取る為にお休みだった。
男達が並び終えると、
「じゃあ一人づつゆっくりと貰ってくれ。もう一度言うが、全員分ちゃんとある。だから焦るなよ!」
ゴットスが、その場から退くと、先頭の男がビクビクとしながら机の前に歩み出た。その机の担当はいかつい顔をした鬼だった。
獣人の男は、やはり鬼は怖いのか腰が少し引けている。アオキとヒビキで多少は慣れているとは言え、初対面の…しかも筋肉ムキムキの白いTシャツを着た妖怪達を前にしてしり込みするのも仕方が無い。
何とか、最初の鬼の待つテーブルの前に立った。そのテーブルには、大中小の三つの大きさの鍋と五徳が並んでいる。
テーブルに来ると、頭にねじり鉢巻をした鬼が聞いた。
「…何人だ?」
「えっ?」
「お前の家には何人居ると聞いている」
「えっあっ!女房と婆ちゃんと息子が居ます」
男は、慌てて言った。
「大人三人に子供一人だな」
鬼は、そう言うと中位の鍋を選んで、その男に差し出した。この机では、住んでいる人数によって大中小三つの鍋を分けて配布しているのだ。
「えと…」
「受け取れ。これはお前の物だ」
男は、差し出された鍋を受け取ると、感極まったように涙ぐんだ。
「あっありがとうございます!ありがとうございます!」
男は、何度も鬼に頭を下げる。
「立ち止まるな。後がつかえている。先にいけ」
困った鬼が促してようやく先に進みだした。
「すっすいません!」
その男が、全ての机を回った時、彼の手には、救援物資の山が出来ていた。
その日の夜は、ささやかではあるが、山ン本達を歓迎する宴が開かれた。
村の中心にある広場に大きなキャンプファイアを燃やし、村人達が、救援物資を運んできてくれた妖怪達と一緒に食事をするという簡単なものだ。とは言え、めでたい日という事で、最初に犬神達が持ってきた酒などが、量は少ないが村人達に全員に振舞われた。村人達は久々のお酒に村人達は直ぐに酔っ払う。
酔った村人達は感謝を込めて歓迎の歌を歌い、踊りを踊った。それを見ていた、ある鬼が懐から横笛を取り出して、陽気な音楽を奏でた。またある鬼がハーモニカを取り出して、即興であわせる。里で暇な時に、練習してきた時の賜物である。
村人達は歓声をあげ、リズムを刻む。村の子供達も、前に出て楽しそうに踊りの輪に加わる。
宴も半ばに来た頃、山ン本達と一緒に食事をしていたゴットスが立ち上がって言った。
「皆!聞いてくれ!俺達は、今までずっと逃げてきた。この地についた時もいつかまた何処かへ逃げ出すんだと思い。いつか捨てるならと、この村に名前をつけなかった。だが今日!この森で暮らし続ける事に目処が付いた!ゆえに俺達の村に名前をつけようと思う!」
「「「おお!」」」
何事かと、ゴットスを見ていた村人達は一気に沸いた
「ここが、我らの新しき故郷。我らの新たなる帰るべき場所、我らの新たなる守るべき場所!ここに宣言する!我らの村は、"テルポス"と命名する!古い言葉で、新天地を意味する言葉だそうだ!」
「おお!テルポス!」
「我らがテルポス!」
村人達は、口々に嬉しそうにテルポスと叫んだ。その顔には、喜びが満ち溢れ、希望に溢れていた。
「そして、我らを援助してくれた。あやかしの里の方々に感謝を!我々は、この恩を忘れない!必ずや我らは、この恩に報いる!たとえ、いくら時が流れたとしても!そうだな!皆!」
手を広げ、ゴットスは村人達に同意を求めた。
「おう!」
「そうだ!俺達は、人間たちとは違う!」
「私達は忘れないわ!ありがとう!」
盛り上がっている様子を、あやかしの里の妖怪達は嬉しそうに、そして、少し照れくさそうに見ていた。




