第三十五話 道をゆく
牛車とは、平安時代から作られ、活躍していた牛や水牛で引く車の事だ。
車体の左右に大きな車輪が一輪ずつ、車体の上には人が乗るための屋形(人が乗る客室部分)がある。日本人であれば歴史の教科書などで絢爛な蒔絵を施された牛車をみたことがあるだろう。
その牛車が、だいだらぼっちが作った道の一番最初のところにあった。
車体の後ろには、車内に出入りする為の台が置かれ、乗り降りしやすい様になっている。しかし牛車の前には、牛車を引くであろう牛も水牛も居なかった。
山ン本に案内されたゴットス達は思った。
(目の前のこれは、馬車の様なものだと思うが、引っ張る馬は何処にいるんだ?)
この世界にもちゃんと馬車はあるし、エルフとダークエルフの里にも荷車は存在している。森の外の世界で暮らしていたゴットスも当然四輪の馬車を知っている。当然だが、そのどれにもその車を動かす動力となるモノがいる。馬然り、牛然り、人然り、だが、今自分達が乗り込もうしている牛車には、それがいない。その場には他にも妖怪達が居るが、その者達は牛車の後ろに並んでいる大八車の数しか居ない。なら何が、この牛車を引くのか?ゴットス達はそれが疑問だった。
だがその疑問も、直ぐに解けた。
「紹介します。この里の住人で、人を運ぶことを仕事にしている。妖怪"朧車"です」
山ン本が、牛車の前で立ち止まり振り返りながら言うと、同時に牛車が、誰も触れても居ないのに、ぎぃと音をたてながら、ひとりでに回転しだした。
そして、牛車の正面を見て、一堂はぎょっとした。
それもそのはず、牛車の正面には、巨大な人の顔が張り付いていたのだから。その顔は、日本人特有の平たい顔に二本の角があり、長めの髪を左右に流した垂れ目の男の顔だった。
「あ~どうも~。妖怪朧車です~。よろしく~」
朧車は、何故か眠たそうな顔で、のんびりと言った。三人はそれぞれ引きつった表情でよろしくというので限界だった。挨拶が終わると、ゆるゆると朧車は前を向いた。
「さぁじゃあ、乗りましょうか。この人数だとちょっと狭いですが、申し訳ないですが我慢してください」
山ン本に促されて三人は、後部から朧車に乗り込む。三人ともおっかなびっくりに簾を持ち上げて乗り込んだ。
朧車の内部は意外と広く、床には畳が敷かれている。側面の壁には小さな小窓が付いており、そこを開けば外を見れるようになっていた。
三人は、畳の上に座ると忙しなく周りを見回した。どうにも朧車の体内に居るようで落ち着かないのだ。そわそわとした様子を最後に乗ってきた山ン本が見ると、安心させる為に声を掛けた
「大丈夫ですよ。別に彼はとって食いはしませんよ」
最初に答えたのはドトルだ。
「いや、それは分かってるんだけどよ」
ドトルの台詞を次ぐ様にゴットスが言う。
「その…なんか腹の中に入っているみたいでよ」
そして最後にサナリエンが結ぶ。
「落ち着かないのよ」
「はぁそうですか。大丈夫ですよ。ここは、言うなれば朧車の体内ではありますが、別に胃袋の中という訳では有りません。では朧車出発してください」
最後に、大きな声で朧車に声を掛けると、朧車はそれに答えた。
「あ~い。じゃ~行きますよ~」
車内に妙に篭った朧車の声が響くと、朧車はゆっくりと進みだした。
朧車の後ろでは、荷物を満載した大八車の近くに居た妖怪達が、それぞれに宛がわれた大八車を引き始める。
「予定では、今日の夕方位には到着する予定です。それまでは、ゆっくりしてましょう」
若干顔を青くしている一同を見ながら、山ン本は言った。
それに最初に気付いたのは、ゴットスだった。
「なっなぁ。山ン本さんよ。何かおかしくないか?」
「おかしいとは?」
「さっきから、少しずつ早くなっているようなんだが?」
それを聞いた山ン本は顔色を変えて、立ち上がり、備え付けられている小窓を開いた。そこには本来ゆっくりと流れ居るはずの風景が、かなりの速さで流れていた。
朧車のスピードが上がっていることを確認した山ン本は、大声を張り上げた。
「朧車!何をしているんです!?今日はゆっくり行く予定でしょうが!」
「すっすいません~。でも~。この道を~走ってると~。ガっガガガガ我慢ががががががが」
のんびりとした口調で話していた朧車の言動が唐突におかしくなった。
「おっおい!朧車とか言う奴の様子がおかしいぞ!大丈夫なのか!」
「っ!皆さん!何かに捕まってください!」
「ひゃぁ!我慢できねぇ!こんな真っ直ぐでいい道であるんだッ!ちんたら走っていられるかぁあああああああああああああああああ!!」
ドガガガガガッ!!
その瞬間、朧車は、急加速した。
牛車には、当然ダンパーやサスペンションなんて気が利いたものは存在しない。地面にある凹凸が、車輪を通してダイレクトに乗っている山ン本達を襲う。
「きゃああああああああああ!」
「うぁああああああああああ!」
「ひゃああああああああああ!」
「朧車ぁあああああああああ!」
山ン本達の叫び声を残し爆走していく朧車。
その様子を後ろからのんびりと大八車を引いていた妖怪達が、さもありなんと言った様子で見送っていた。
そもそもこの朧車、平安時代に作られた牛車なのだが、毎日毎日同じ道を、牛に引かれてちんたら進んでいくのに嫌気が差し、九十九神になると同時に、保管されていた蔵を吹き飛ばし、京の大路を猛スピードで走り回ったところを初代里長によって確保された妖怪だった。
本来なら選ばれるはず無い人選(妖怪選?)なのだが、里には朧車以外、人が複数乗れる乗り物が存在しなかったのが原因だ。
山ン本は、何とか朧車を言いくるめ、ゆっくりと進むように事前に口をすっぱくして言っておいたのだが、朧車は、平らで真っ直ぐな道を前にして、自らの内からの衝動にこらえる事は出来なかった。
元の世界でも時折、外に出してもらい、人気の無い峠道を爆走したものだが、異世界に来てからは、そんな走れる道も無く、悶々とした日々をすごしてきた。だがそんな彼の前に、まっさらなまだ誰も通ったことの無い、地平線まで続く真っ直ぐな道が現れたのだ。どだい堪えろという方が無理という話だろう。
しかし、普段走っていない時の朧車は、聞き分けの良いのんびり屋である為、山ン本は安心してしまったのだ。
山ン本には珍しい失敗だった。
一方その頃、獣人の村に居たアオキ達は別の苦労をしていた。
「ちょっちょっと止めてください!私達は別に神様とかじゃないのよ!」
「そうだ!俺達はただの妖怪だ!・・・だから始祖様じゃねぇって言ってんだろ!」
「…」
アオキ達は、獣人の村の人々に行き神様をかくやと言った雰囲気で拝まれていた。
事の起こりは、言わずもがな、だいだらぼっちだ。
今日、だいだらぼっちの力で道が作られる事は、当然獣人の村にいる犬神達にも伝わっていた。その準備の為、朝から犬神達は、道路をつなげる大体の位置を決めようとしていた。どこに道があったら便利だろうか、あっちが良い、いや、こっちの方が使いやすいとアオキ達が仲間内で朝から議論を重ねていた。
そうして位置を決めると目印代わりに犬神が立ち、それを目印に上空をカラス天狗が鏡を持ってホバリングする。このホバリングするカラス天狗の持つ、鏡に光を反射させて、里に居るだいだらぼっちに道を作る方向を教えるのだ。
犬神が道路を作る位置に立っていると、一人の獣人の少女、ミューリが彼の上着の裾をクイクイと引っ張った。
「ねぇ何してるの?」
「ん?ああ、ミューリじゃねぇか?どうした?おっかさん元気になったか?」
ミューリの後ろには、この村の子供達が興味深そうに犬神達を見ている。
この子達は、犬神達の助けもあり、最近ほんの少しだけふっくらとしてきた。だが、健康的に育った子供と比べると、まだまだやせ過ぎだった。
さらに後方には、食料等の収集の為に村を出て作業をしている獣人以外の住民達が集まっている。今日道が開通する場面を村の住人達にも見てもらおうと、集まってもらったのだ。村人達は、道が出来るとは、聞いているが何故この場所に集められたかは、分かっていない。
「おう、これから道を作るんだ。今はその準備をしている所だ」
「道?」
「そうだぞ。俺の住んでる里とこの村が道で繋がるんだ。そしたらどうなると思う?」
「どうなるの?」
「俺の仲間が、食いもんを持ってきてくれるんだ。あと道具とか薬とかもな!」
食い物の件で、ミューリの後ろに居た子供達は、盛り上がったが、ミューリ自身は別の部分に興奮した。
「本当!お母さんも良くなる?」
ミューリの母親は、ミューリの取ってきた薬草から作られた薬により、持ち直していた。だが、栄養が満足に取れないせいで、容態は芳しくない。
「ミューリのおっかさんが必要なのは、薬じゃなくて食い物だな。安心しろ、うちの里の物は、うまいから直ぐ良くなるぞ!」
「やったぁ!」
その時、上空でホバリングしていたカラス天狗が大声を上げた。
「だいだらぼっち殿が起床されました!こちらに方を向いています!そろそろですよ!」
カラス天狗のいる空の上からは、巨大なだいだらぼっちを見る事は出来るが、さすがに地上からは、うっそうと茂る木々に邪魔されて見えない。
「おう!わかった」
犬神が上を向いて返事をすると、ミューリがもう一度裾を引っ張って質問した。
「ねぇ犬神様どうやって道を作るの?道具とかも無いよ?」
「道具?そんなものは必要ないんだ。すげぇぞこうやってな…」
犬神は、ミューリの方を向いたまま、道が出来るであろう方向に両手を伸ばす。
「こう、グアッと障子戸が開くように…」
説明しながら犬神は、障子戸を開くように両手をぐわっと勢いよく開いた。と同時に、音も無く、木々が左右に移動し、道が作り出される。それは、あまりにもタイミングが良すぎた。
「道が出来るんだ。…ん?」
犬神が言い切った時、辺りが静まり返って居ることに気がついた。ミューリ達も、道のほうを向いて目を丸くしている。それを見た犬神は、視線を道が出来る方向…つまり自分の向いている正面を見た。
そこには、さっきまでは無かった道が、音も無く出来ていた。
「あっ」
道が出来る様子を唖然とながら村人達は見た。それが、犬神が不可思議な力を用いて、一瞬にして道を作ったかのように村人達には見えたのは仕方が無いだろう。
「「「うっうぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」」」
「始祖様すげぇえええええええええええええええ!」
大人達は口々に歓声をあげ、跪き、犬神に平伏する。子供達にいたっては、キラキラと憧れの目で犬神を見つめていた。
「えっ?いや、俺の力じゃねぇぞ!勘違いするんじゃねぇぞ!、里に居る仲間のだいだらぼっちって奴がやったんだからな!重ねて言うが、俺じゃないからな!俺じゃねぇっていってんだろうが!」
犬神は、自分がやったんじゃないと言い張るが、その誤解は早々解けるようなものではなかった。




