第十七話 サナリエンの捜索隊の危機
前回のサブタイトルを変更しました。内容の変更はありません
サナリエンは、里から森に繋がる橋を渡ると、一度立ち止まった。意図的に止まったわけではない。
彼女の中には、霧の森の中を彷徨った恐怖がトラウマとなって残っていたのだ。それが、森を前にして心を侵し、足を止めさせた。
(何故止まる!今仲間が森の奥で魔物相手に戦っているんだぞ!行け!サナリエン。エルフの戦士だろ!)
サナリエンの胸に、この森に入った時の不安を根性でねじ伏せ、仲間が居る場所へと向かう。
だが、そんな不安も、森の中に入った途端、直ぐに吹き飛んだ。
霧が晴れたことにより、薄暗かった森が、木漏れ日がさす森になり、印象が一変していた。駆け抜けるたびに若木の香りが鼻をくすぐり、土を踏むやわらかい感触を感じる。森の中を駆ける久しぶりの感覚。
それがサナリエンにエルフのあるべき姿に戻ったと、そう強く感じさせる。
「アハ!アハハハ」
思わず、口から笑いが漏れる。 思えば、三日以上森に入らなかった日なんてサナリエンの今までの人生で一度も無かった。青々とした森の香りがなんともサナリエンに安心感を与える。
(帰ってきた!)
サナリエンは、しばらくその感覚に酔いしれた。
十数分ほど走ると、怒号と、叫び声が聞こえてきた。同時に汚いゴブリン特有のすえた匂いと血の匂いが風に乗ってサナリエンまで届く。サナリエンは意識を瞬時に戦士のものへと切り替える。
(居たっ!この感じからするとそう遠くないわね)
そこでサナリエンは、スピードを落として、ゆっくりと怒号へと近づいていく。適当な草むらに身を隠して、その場所へと近づいていく。
(見つけた!)
そこには、最悪の状況のエルフ達が居た。エルフ達の矢は、尽きているようで、全員がへっぴり腰で剣を構えている。一方ゴブリン達の方もかなり数を減らしているが、まだ元気なゴブリンの数は多い。
サナリエンは、急いで矢筒から一本矢を引き抜くと、慣れない弓で先頭を走るゴブリンへと狙いを定めた。
時間は、しばし遡る。
サナリエンを捜索していたエルフと一団はモンスターの群れに囲まれていた。囲んでいるのは、ゴブリンの群れ。
ゴブリンは、はっきり言ってエルフにとって雑魚としかいえない相手だ。それが集団であっても。だが、今それを前にしているエルフの顔色は悪い。
「チクショウ。一体なんだってんだ」
弓を構えた新人のエルフの戦士が息も絶え絶えにぼやいた。指は何度も弓を引き続けた事により、血が滲み、痛みが酷い。それでも、そのエルフは弓を引く。出来なければ死ぬからだ。
「倒しても倒しても別のモンスターの群れがきやがる」
確かに、目の前に居るのは何の変哲も無いゴブリンの群れだ。しかし、そのゴブリンの群れの前にエルフ達は、20ほどの色々なモンスターから襲われていたのだ。ゴブリンを始め、オーク、フォレストウルフ、ポイズンスパイダー、その他諸々。群れていたり単独だったりしたものの、それらのモンスターが、殆ど休み無く襲って来ていたのだ。これが、まだ転移してきた森の端っこであればまだ、一旦引いて精霊魔法が使える自分達の森まで撤退し、そこで精霊魔法と弓を使って迎撃する事が出来ただろう。
だがある理由から、捜索隊は、転移してきた森のかなり奥のまで来てしまっていた。おかげで精霊魔法は使えず、攻撃手段は弓矢に限られていた。
それでも捜索隊は隊列を組み、何とか防衛線を築いていた。
「くそっ!森の精よ!我が魔力をもって、かの者を捕らえ給え!バインド・ヴァイン!っく!やっぱり発動しねぇ!」
「馬鹿野郎!そんな事、分かりきってるだろ!矢を射ろ!」
「もう矢筒は、空なんだよっ!クソッタレ!」
じわじわと減っていく矢が、疲弊しているエルフ達の心に、重くのしかかる。
「なら剣を抜け!マヌケ!」
「剣は、苦手なんだよっ!」
「何簡単だ!近づいてくる魔物が居たら剣を振る。弓とは、違って簡単な仕事だ!」
先ほど呪文を唱えたエルフがえっちらおっちらと剣を抜き、構える。しかしそれは、戦士と呼ぶには、あまりにもつたない所作だった。
エルフには、近接攻撃を軽視する風潮がある。だが、それも無理も無い理由がある。彼らは森に住む精霊の協力によって、彼らの近くに危険な存在がいた場合、即座に知る事が出来るのだ。その為、彼らは、遠距離から一方的に攻撃するのに傾倒し、近距離攻撃で敵を倒すのは、遠距離攻撃の出来ない下手糞のする事という認識なのだ。
エルフの戦士達は、整った容姿からは、想像付かないような下品な言葉を叫びながら、絶え間なく矢が放たれ、次々とゴブリンの命を奪っていく。無数の死体が散乱し、後続のゴブリンは、それを踏みつけて進んでくる。この状況で、エルフの戦士達は、木が乱立する森の中で一矢一殺を確実にこなしていた。驚嘆すべき技術だろう。しかし、それでも矢の本数は決まっている。エルフ達の背負う矢筒の中にある矢の数は、明らかにモンスターの数より少なかった。
「それにしても何なんだ!こいつら!殺しても殺しても狂ったように向かってきやがる!」
何故モンスター達が、狂ったように襲っているのか?
それはエルフを襲っているモンスター達は、例外なく全員が飢餓状態であったからだ。このモンスター達は、あやかしの里から流れ出た良い匂いに引かれ、匂いを出しているあやかしの里に向かっていったが、霧惑いの結界が張られた森に迷い込み、数日間ずっと彷徨っていたのだ。その間の食料は、偶然出会う他のモンスターだけ。結界の中でモンスター同士の殺し合いが行われ、意図せず禁断の呪術の一つである蠱毒のような状態になってしまった。その為、モンスターの凶暴性がかなり上がっていたのだ。
「無駄口を叩くな!手を動かせ!奴らは待ってはくれないぞっ!くそっ!誰か矢は余ってないかっ!」
サイラス戦士長は必死に、敵を射るが、最後の矢を放ってしまった。
「もう皆、撃ち尽くしました!」
残りはゴブリンが10数匹。エルフの一団とほぼ同数だが、遠距離攻撃手段を失ったエルフ達が不利だ。
「オーガを振り切ったと思ったら、この様とはなっ!」
サイラス戦士長は、弓を肩にかけると、お守り代わりに装備していた剣を抜いた。
全員が、剣を抜き、へっぴり腰で剣を構えた。かなり笑える格好で剣を構えているが、彼らは全員決死の覚悟だった。
そして、現在に戻る。
エルフの一段とは別方向から矢が、放たれ、エルフに向かっていたゴブリンの足元に突き刺さった。
(やっぱり、なれない弓じゃ!碌に狙うことも出来ないわね)
サナリエンの持ち出した弓は、以前山ン本が使っていた大弓ではなく、それより短い半弓と呼ばれている物だった。だが、それでも一度も使った事の無い上下非対称の弓を、見よう見まねで矢を放って、前に飛ばす事が出来たと言うのはさすがエルフといったところだろう。
いきなり、無警戒だった方向から放たれた矢にゴブリンは、驚いて立ち止まり、射手を探し始めた。
「戦士長!援護します!」
「サナリエン!?生きていたかっ!今まで何処にいた!」
「その話は、後です!少ないですが!これをっ!」
サナリエンは、背負っていた矢筒の一つをサイラス戦士長に向かって投げた。
「これは、矢か!ありがたい」
「何だコリャ!やけに長い矢だな」
「文句言うな!あるだけマシだ!」
「ちっ!不良品か?鏃が付いてねぇ矢がありやがる!」
エルフの戦士達は、投げ込まれた矢筒に群がり一人一本づつ矢を取ると、一斉に構えた。
「一人一殺だ!同じ奴に当てないように注意しろ!」
「了解!」
その後、エルフの一斉射によって、ゴブリンは殲滅された。
「戦士長、ご無事で何よりです。それで、何でこんな所にいるんですか?」
モンスターの排除を確認すると、サナリエンは、サイラス戦士長へと近づいた。他のエルフの戦士達もサナリエンの無事を喜ぶ言葉を掛ける。
「何でとはご挨拶だな。俺達は、行方不明になっていたお前の捜索をしていたんだ」
「っ!それは申し訳足ません。自分の浅慮のせいで…」
「いや。無事で何よりだ。今まで何処に居たんだ?その変な弓矢は何だ?」
「はい。私は、ある場所に保護されていました。この弓は、その場所で借り受けた弓です」
「保護…だと?どういう事だ」
「はい。それは…」
サナリエンが自分が置かれていた状況を話している間、他のエルフ達が、へたり込んでいた。エルフの戦士達は、ここまで消耗するような戦いをしてきた事が無い。エルフでは遠距離攻撃に失敗したら即座に撤退して体勢を一度整えるというのが定石だったからだ。
「ああ、死ぬかと思った」
「なぁ、早くこの森から出ようぜ。精霊魔法が使えないなんて、気味悪すぎる」
比較的年若い戦士が、座り込んで話していた。彼らにとって森のモンスターとは、見かけたら討伐する対象としか認識していなかった。だから、モンスターに襲われるという状況に慣れていない。
「馬鹿野郎!その前に、使える矢を集めろ!またいつ、魔物が襲ってくるか分からないんだぞ!急げ!」
歴戦のエルフの戦士が、大急ぎでモンスターの死体から矢を引き抜きながら怒鳴った。使える矢の数が、自分達の命運を握っている事を痛いほど分かっているのだ。
「はっはい」
「ひぃ!」
二人のエルフは、歴戦のエルフにどやされて飛び上がると、他のエルフ達と一緒に急いで矢の回収を始めた。
「…なるほど、ここは異界から来た森であり、サナリエンは同じく異界から来た者達に保護されていたと…」
「はい。この森に立ち込めていた霧も、外敵を彼らの里に近づけさせないようにするものでした」
「何と、迷いの森を自らの力で生み出せるのか。その里の者は…」
「そして、その里の者たちは、その殆どは異形でした」
「異形とは?」
「はい、普通の人族の姿と似た者も居れば、想像の埒外の姿をした者もおりました。中には魔物と似た姿の者も多くおりました。私が最初に遭遇した者もオーガと似た姿をして、自らを鬼と称していました」
「オーガに酷似した姿を持っていたのか?良くそれで、話し合おうと思ったな、お前。俺だったら問答無用で倒したぞ。ハハハ」
サイラス戦士長は豪快に笑った。
実は、襲って返り討ちにあいましたとは、サナリエンは、言えなかった。
「まぁ。詳しい話は、帰ってからにしよう。帰るぞ」
「では、私は、荷物を取りに一度、異界の里に戻ります」
「その必要な無い。食料も水も十分ある。このまま村まで帰還する」
「えっ?」
「俺達の使命は、サナリエンの捜索及び救助。その得体の知れない場所に行って、また霧を出されたらどうする?今が脱出のチャンスだ」
「それは…」
「いいな。分かったな」
念を押すようにサイラス戦士長は言った。一回の戦士でしかないサナリエンにとってサイラス戦士長の命令は絶対だ。
「うっうぁあああああオーガだぁああああああ!」
その時、若いエルフの悲鳴が上がった。




