8話 喫茶マルマール
店の前でいつまでも狐につままれた顔でいても仕方がないので、尋ねてみることに。
「いらっしゃいませー」
ドアベルの音よりもよく通る涼やかな声と笑顔に出迎えられる。
栗色の髪をアップに結い上げた健康的な肌の美人さんだ。
美味しそうな甘い香りも漂っていて、ついそっちの注文にも気が向きそうになる。それより聞くことが先だ。
「すみません、ここって……?」
「はい。喫茶マルマールにございます。何かありましたか」
「お勧めの宿屋って紹介されたんですけど」
「あら」
ベルナーから貰った名刺を取り出すと、女性の表情が驚きに変わる。
「夫の紹介なんですね、失礼しました。見ての通り喫茶店ですが、宿屋もやっています。名刺を持って来た人のみの裏メニューなんですよ」
「裏メニューときおったか……」
「ベルナーさんの奥さん!?」
なるほどと納得するオプスと夫発言に驚くケーナ。
こんな裏表のなさそうな美人さんを街に置いてキャラバンで飛び回るとか罪作りな人めー。とかついボヤいてしまうが、言われた当人はニコニコ顔のままケーナたちの次の言葉を待つ。
「部屋は空いておるのか?」
「はい。今は誰も泊まっていませんので。あ、でもお部屋は2人部屋しかないんです」
「構わぬ。我とこれで一部屋。……そうさな、10日ほど頼めるか?」
「ええと、はい分かりましたお2人で、ですね」
オプスがサクサクと交渉を始めてしまったので大人しく待つケーナ。
『これ』呼ばわりに突っ込むとキリがないので流しておく。
宿泊の際の注意事項としては、ベルナーから渡された名刺が無いと泊まれない。
2人部屋が3つしかない。
店舗は見ての通り喫茶店なので、扱っているのは紅茶orコーヒー&ケーキ類である。なので朝食と夕食は別の店で取るしかない。つまりは素泊まりのみ宿屋。
――くらいである。
1人1泊銀20(2000ギル)で部屋単位だと銀35(3500ギル)だそうなので、オプスがカードで35000ギルを前払いしてしまう。
「はい確かにお預かりします。宿屋マルマールへようこそ」
両手を広げて歓迎する女店長に、お世話になりますと頭を下げる2人。
「あっと、すみません。名乗るのが遅れました。私がケーナ。こっちがオプスです」
「ケーナさんとオプスさんですね。私はミサリです。どうぞよろしく」
「お店があるから案内は出来ませんけど」と断って、ケーナに部屋の鍵を3つ渡すミサリ。
「はい?」
「全部空いてるから、好きな部屋を選んでね。余った鍵は後で返してくれればいいわ」
「……はあ」
ベルナーに名刺渡された時と似てるなあと思いながら、指示された店の裏口にある非常階段を昇る。
1階は店舗、2~3階はロシード家のスペースで、宿泊出来る部屋は4階に2つと5階に屋根裏部屋のようなスペースがあるらしい。
店舗を抜けた先の裏庭には、砂ではなく土が敷いてある。そして家庭菜園のようなハウスが建てられていた。
少し錆びた非常階段をきしませながら、3つの部屋を一通り見て回る。
寝てくつろぐくらいだろうと考えたケーナは、5階の部屋に即決した。オプスも異は唱えなかったので。
部屋は屋根裏部屋らしく、大きな窓を備え、天井の低い所だった。
部屋の中央でオプスがつっかえて、ケーナが余るくらいの高さだ。
家具はオプスの背丈でギリギリのベッド2つと、引き出し付き机と椅子。貴重品入れの小さな戸棚1つである。
「おー、屋根裏部屋と言ったらやはりこれでしょう」
「何を基準に『これ』なのじゃがなあ」
大きな天窓には『砂を入れないで下さい』の注意書きがついていた。
「この外側に【対物理障壁】張っちゃえば閉め忘れても砂は入ってこないよね?」
「余計怪しまれるじゃろうが!」
はしゃぎ過ぎを指摘され、突っ込みついでに殴られてからやっと沈静化するケーナ。
「あいたたた……。もうポンポン叩かないでよ~」
「だったらそれ相応の落ち着きを持つがいい」
ベッドに突っ伏して情けない声をあげるケーナを見て、備え付けの椅子へ腰を下ろすオプス。
「とりあえず、や……やるいん? に着いた訳なんだけど、どーすればいいの?」
「まずはこの世界に慣れることじゃな。人を探すにしても、キャラバンで聞いた限りでは雲を掴むような話じゃからな」
「オプスがそんな自信なさそうに言うのも珍しいね」
「あ奴はあまり表に出ようとはせんからの。引き篭もりのニートと思えばよい」
「ニートって……。オプスの昔の名前とかは使えないの?」
「すでに死んだ者じゃからな。使ったら最大級の爆弾が四方八方から降り注ぐ可能性があると知れ」
どれだけ人に恨まれてんだ、とケーナは絶句した。
本人は飄々としたものだが、間違えたことは言ってない。
この世界で彼の昔の名前は、知れ渡っている噂の中では上位トップ3に位置する。それは厄介事を呼び込む影響力もそれと同じくらいあるということだ。
遠い目をして虚空を見上げるオプスの姿にケーナはそれ以上尋ねるのを止めた。厨二病的な理由とかがあるんだろうなと、適当な解釈をしたからだ。
「じゃあ私はケーキを食べてくる!」
「……そうか。では我は寝る」
手荷物はカモフラージュ用の肩掛け袋くらいなので椅子に掛けておく。マントと鎧を外してアイテムボックスに突っ込むと、ムッとした熱気が肌を撫でた。
オプスは苦笑してベッドに移動しながら、暑さに汗を拭うケーナを見送る体制だ。
「【不眠不休】の反動?」
「うむ、早々に解消しておくさ」
「昨夜は部屋が狭かったから仕方ないとしても、無理して使うことないからね」
「留意しよう」
ケーナのケーキ発言がツボにハマったのか、オプスはにやけた顔である。その態度にムッとしたケーナは背を向けて言いたいことだけ言って部屋を出た。
再び店舗に戻ると、花の咲くような笑顔でミサリに迎えられる。
「あら、お部屋は決まりましたか?」
「はい5階にしました。これ残りの鍵です」
2つの鍵を受け取ったミサリはバックヤードへしまい込む。
「何か足りないものがありましたら、いつでも言って下さいね」
「はい。お気遣いありがとうございます」
礼を述べてからカウンターに移動しケーキを注文する。そこからはなし崩しに雑談タイムだ。
どうやら環境の問題から砂糖の類は高級品らしく、ケーキは少し高額の部類となる。懐具合を心配されたが、オプスのものと同じカードを出すと「もういっばしのハンターさんなのねー」と妙な納得をされた。
市内にはまだ枯れていないオアシスがあることと、それを利用した野菜等の生産設備があることと、僅かながら自然公園もあることを教えて貰う。
お返しにかなりぼかしたリアデイルの事を話したりしていたら夕方になっていた。
ケーキの美味しさの感想と精算を済まし、部屋に戻るとオプスはまだ寝ていた。
「夕食どうしようかと思ったけど、たぶんオプスは『好きにしろ』とか言うよね……」
『ケーキヲ食ベスギダト思イマス』
「うん。おいしかったー」
呆れた感じのキーの声に満面の笑みで答えるケーナ。
少しオプスが起きるかもと待っていたが、窓の外が濃い藍色に染まるのを見てそのままベッドに潜り込んだ。
「おやすみなさい、キー」
『オヤスミナサイマセ』
暑さは気になったがそれより疲れが増していたのか、睡魔は直ぐに訪れた。




