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蛙の神様  作者: 五十鈴 りく


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27/30

◇26

 家に帰ってすぐ、俺と兄貴は二人まとめて風呂に入った。図体ばっかりでかくなった男二人、狭いけれど、ずぶ濡れのままじゃ風邪をひくから。事情の説明も後回しで風呂を優先しろって母ちゃんが言ってくれた。


 ――ただ、この時驚いたのが、ミク姉ちゃんがまだいたこと。

 うちの姉貴と食卓を挟んで喋っていた。険悪な二人だったと思ったんだけれど、それはあんまり口を利いたことがなかったからなのかな。

 ミク姉ちゃん、なんていうか、クールビューティーでさ、この家なんて四面楚歌ってヤツだろうに、あんまり動じてない。肝が据わっている……


 俺と兄貴が風呂から上がっても、姉貴とミク姉ちゃんはまだ話し込んでいた。アツムは疲れたのか、その横で寝ていた。


「嫌だ、そういうの!」


 姉貴がそんなことを言った。


「でしょ。八つ裂きにしなくちゃと思うんだけど」


 女二人でなんか物騒な話をしている。その話題に割って入りたくもないから触れなかった。そうしたら、ミク姉ちゃんが風呂上がりの俺に目を向けた。


「シノブさん、カケルくん、今日はありがとう」


 案外丁寧に礼を言われた。


「あ、いえ……」


 俺もなんか畏まって濡れた頭を掻いた。なんとなくミク姉ちゃんはアカネ姉ちゃん以上に緊張するな。

 兄貴は姉貴の隣にドカリと座った。俺も食卓の前にちょっと控えめに座る。そうしたら、ミク姉ちゃんが言った。


「いえ、ね、うちのアキにストーカー行為をしていた男がいてって話」


 ドクリ、と心臓が大きく跳ねた。思い当たることがあるから、思わず姿勢を正す。

 そんな俺を見るミク姉ちゃんの目が少しだけ笑った。


「アキはね、気の弱い子なの。それでね、何度か怖い思いをしているくせに、なかなかそれを言わなかったのよ」

「えっ?」


 アキは、車のナンバーを控えてあるし大丈夫だって言っていたけれど、そういえばアキがちゃんと告発したなら、その後あの男がどうなったのかを俺にチラッとでも話したんじゃないだろうか。

 それに、事実確認のために俺にも誰かが事情を聞きにきてもおかしくなかったのに、誰も来なかった。

 今さらそんなことに気づいた。


 あんな目に遭ったくせに、まさか親にも学校にも何も言わなかったなんてことがあるのか?

 俺がびっくりしていると、ミク姉ちゃんはため息をついた。


「あの子ねぇ、自分が告発したら、その人の人生を狂わすとか、そういうことまで考えて動けなくなるような子なの。次こそはもうないんじゃないかなって、少し我慢していれば飽きてやめてくれるかもとか考えてたって。ギリギリまで我慢して……」


 そんなの、自業自得だろうに。

 アキが我慢してやる必要なんてどこにもない。そんな危ないことをして、アキに何かあったらどうするんだよ。

 ミク姉ちゃんもため息をついた。


「優しいって言ったら聞こえはいいけれど、弱いのよ。罪悪感で潰れてしまうの。アキはそういう子だから、家族は皆アキと末っ子のヒロには過保護」


 それは心配にもなる。うちに怒鳴り込んできたアキの父ちゃんのことをちょっと思い出した。

 それにしても――あのストーカー男と、アキの危うさ。ふたつのことを知ると、食卓に置いた俺の手が小刻みに震えた。

 ミク姉ちゃんは、でも、と言った。


「それが、あの子、急に全部明るみにするって言い出したのよ。それで、うちの親も学校に行って先生方と話したの。あの子にしたらすごく勇気を出したんだと思う」


 小動物みたいなアキが、それは一生懸命に自分を奮い立たせながら言ったんだろうな。その光景が目に浮かぶ。でも、頑張っておけば自分の身を護ることに繋がるんだから。

 そう思った俺に、何か訳知り顔の姉貴が言った。


「あんたのためだって」

「へ?」

「アキちゃんがそう言ってたらしいわ」

「アキが?」


 俺のため? その意味がよくわからなかった。

 ミク姉ちゃんがそれを補足してくれる。


「カケルくんがアキにつきまとてるとか、学校に連絡したのはどうもそのストーカーなんじゃないかってアキは気づいたの。疋田村の人だったら学校じゃなくて、まず家に言いに来るからね。で、反撃したわけ。自分はこんな目に遭っています。一緒にいたのは友人で、つきまとっているのはそのストーカーですって」


 ああ、そういうことなんだ……

 アキが悩んでいるふうだったり、頑張るって言ったりしたのは、そういうことだったのか。


 俺ももがいていたけれど、アキも自分なりにできることを探して、人を非難するのは苦手なことなのに貫き通してくれたんだな。


 なんていうのかな……

 今、すごくアキのことを大事にしたいって思った。

 胸があったかくて、むずがゆいみたいな、ほわほわした気持ち。


「えっと、そんなアキを見て、私とお姉ちゃんはアキが騙されてるんじゃないかって、さらに不安になってたんだけど。でも、今日のことがあったから、アキが感じたことの全部が嘘じゃないってことはわかったわ」


 ミク姉ちゃんは目の錯覚かと思うくらい一瞬だけ笑顔を作ると、急に立ち上がった。


「じゃあね。またね――なんて安易には言えないけど、今日は本当にありがとう」


 そう言い残して、ミク姉ちゃんはあっさりこの家から去った。物音もあんまり立てずにいたから、台所にいる母ちゃんや縁側にいるじいちゃんと親父にも出ていったことを気づかれていないんじゃないかな。


 また――

 そう、またこんなふうにお互いが気軽に会えたらいい。姉貴とミク姉ちゃんは同い年なんだし、どっちも気が強そうだしさ、本来なら気が合うのかもしれないから。




 俺と兄貴はそれから事情を家族に説明した。明日、道添の家族がうちに来ることを伝えると、じいちゃんは静かにそうかってつぶやいた。表情からは考えが読めない。

 ただ、親父は部屋に戻ろうと立ち上がった俺をなんとなく柱に押しつけた。


 いきなりなんだと思ったら、親父の視線は俺の頭の天辺くらいにあった。

 多分、俺の身長を測ったんだろう。何も言わないけれど、親父は密かに俺の成長を噛み締めたのかな。口下手にもほどがあるって、ちょっと可笑しかった。


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