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蛙の神様  作者: 五十鈴 りく


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23/30

◇22

 午後三時半。兄貴が言った時刻が迫る。だから俺はいったん家に戻る。

 でも、電話がなかったってことは、誰もアツムを見つけられなかったんだ。


 玄関先に、濡れた兄貴と姉貴がいた。傘を差していても完全に防げる雨じゃない。冷たさを感じない季節でよかった。


「見つからなかったな」


 兄貴の顔が厳しくなる。姉貴は逆に、珍しく弱々しかった。


「なんでいないのよ……」


 母ちゃんも玄関マットの上に座り込んで電話の子機を握り締めていた。その手が少し震えている。


「お義父とうさんとオサムさんにも連絡したんだけど、行く先々で情報もないって。見た人もいないのよ」


 こうなってくると、川に流されたとか、そんなふうに考えてしまう。多分、この場の誰もがそうだった。ゾッと体を震わせる。


「二人とも今から家に戻ってくれるみたいだけど」


 正直なところ、じいちゃんと親父が戻ったところでアツムに繋がる手がかりはない。

 何か……何か手がかりはないだろうか?


 ここ最近のアツムの様子を思い浮かべる。

 学校が楽しいのか、上機嫌でニコニコとしていた。楽しげだった。

 あの年頃の子供が楽しいってのは、やっぱり友達が大きく関わるんじゃないか。


 考えてもわからない。俺は考えるよりも体を動かす方が性に合っている。


「俺、もう一回外を見てくる」


 濡れた傘を開くと、兄貴も俺に続いた。


「一人で行くと危ないから、俺も行く」

「あたしも行くわ」


 二人とも、じっとしているのが嫌なんだ。俺と同じで、体を動かしていた方が嫌な考えを振り解けるから。

 母ちゃんが不安そうに、でもアツムを見つけてほしいっていう願いを込めて俺たちを送り出した。


 土砂降りの中、兄弟三人が道を歩く。でも、行く先は定まらない。どう歩いていいのかわからないけれど、真っ先に歩き出した俺に二人がついてくるような形だった。


 俺は自分が行き慣れた土手に行く。増水した川に近づいてどうするって突っ込まれそうだけれど、頭を使わないと足がこっちに向くんだ。

 でも、その時ふと思った。


 俺たちは棚田村を探した。この村は狭い。それに、ほとんど皆知り合いみたいなものだ。アツムがフラフラしていたら、いくら雨でも誰かが見かけているんじゃないだろうか。


「……アツム、橋を渡ったりしてないかな?」


 村と村とを繋ぐ橋。その向こうに行ったなんて可能性は――


「まさか。さすがにそれはないでしょ」


 姉貴は即座に否定した。

そりゃあそうだ。俺たちは小さい頃からずっと、疋田村には近づくな、関わるなって教え込まれていたんだから。


 でも、俺はアキと出会った。その教えをおかしいと思った。

 アツムもどこかでおかしいと思うきっかけがあれば――


「俺、向こうも見てくるよ」


 俺がそう告げると、兄貴と姉貴は耳を疑ったみたいだった。


「やめときなさいよ。そんなところにいるわけないじゃない」


 姉貴はそう言って俺の腕をつかんだ。傘と傘の間から、雨粒が俺たちの腕にかかって滴っていく。兄貴はそこにさらに自分の手を重ねた。そうして、姉貴の手を俺からはがした。


「俺も一緒に行く。ヒカルは家に戻っていろ」


 兄貴までそんなことを言い出したから、姉貴はうろたえた。でも、揉めている暇はないっていう結論が出たみたいだった。大きくため息をつく。


「嫌。二人とも行くならあたしも行く」


 悪さなんかしないけれど、疋田村の人から嫌な顔はされるだろう。怒られた場合、三人一緒なら心強いかな。


 俺たちは三人、うなずき合うと橋に向かった。まず、俺から。その後ろに兄貴と姉貴が続く。鉄筋の橋だから、そんな簡単に流されたりはしない。足元には滑り止めもある。俺が最後にここを渡ったのは、変質者からアキを助けに走ったあの時か。


 棚田村も疋田村も、同じほどに雨は降る。向こう側に渡ってもそう何かが変わるわけじゃない。でも、そこから眺める風景は角度を変えるだけで違った場所にも思えたから不思議だ。


 勢い余って疋田村側に来たのはいいけれど、どこをどう捜したらいいものかもわからない。俺たちは三人固まって土手を歩いた。その土手から疋田村を見下ろすと、俺たちの棚田村とそう変わりない民家が立ち並んでいる。あのうちのどれかがアキの家だ。


 その時、兄貴がぼそりと言った。


「地図で、疋田村のある程度の地理は見たことがある。こっちへまっすぐ進んで少し下がると、小規模な林がある。子供が好きそうな場所かもしれないし、見てくるか」

「う、うん」


 アツムみたいなお年頃は秘密基地とか、自分たちだけの特別に強い思い入れを持つ。そういう人気のないところに行く可能性も否定できない。


 ――それにしても、雨がひどい。土手は高いけれど、ここを下りた道はすでに小さな川みたいだ。地面が見えない。棚田村の方にいた時はそこまで水が溜まっているとも思わなかったけれど、その少しの時間に水が流れなくなったのかもしれない。


 土手から、なだらかな坂を下りていく。そうしたらこの大雨の中、二人の人に出会った。もちろん、疋田村の人だ。


「あ……」


 俺は思わず口を開けた。でも、俺を見た瞬間に、相手はキッと目をつり上げた。


「あんた……なんでこんなところに!」


 その二人連れは、アキの姉ちゃんだ。一番上のアカネ姉ちゃんと、二番目のミク姉ちゃん。

 アカネ姉ちゃんは兄貴のひとつ下。ミク姉ちゃんは姉貴と同い年だったはずだ。


 二人ともビニール傘を差して、それから透明のレインコートを着込んでいる。足元はチェックの長靴。アカネ姉ちゃんはボーイッシュなスタイルで、ミク姉ちゃんはフェミニン。ミク姉ちゃんはアキと似ているけれど、アキよりも綺麗系だ。


 なんて、観察している場合じゃない。俺がどう答えたらいいか迷っているうちに、うちの兄貴が俺を庇うようにして立った。


「うちの一番下の弟が見つからない。それでここまで捜しにきた。いい気はしないかもしれないけど、今は勘弁してくれ。捜し終えたらすぐに帰るから」


 それを聞いて、アカネ姉ちゃんとミク姉ちゃんは顔を見合わせた。


「そっちも……?」


 確かにそう言った。そっちもってことは、あっちも?


「まさか、アキが?」


 メールの返事もないままだ。

 でも、俺が馴れ馴れしくアキなんて呼んだせいか、姉ちゃんたちは怖い顔をした。


「違う。アキが出かけた先は知ってるから。アキじゃなくて、ヒロがいないの」


 ヒロ。

 一番下の弟だ。俺がUFOキャッチャーで取ったぬいぐるみをアキがあげた、あの弟。


「……いないのか?」


 俺が恐る恐る訊ねると、アカネ姉ちゃんは怖い顔のままうなずいた。


「雨がひどくなるから出かけちゃ駄目って言ったのに、気づいたらいない。あの子、そういうことするタイプじゃないのに」


 言いつけを守らないような子じゃないらしい。うちのアツムとはまた違う、大人しい子なのかも。


「わかった。気にしながら捜そう」


 兄貴も、向こうがつっけんどんだからか、顔が硬い。それでも、最低限度の礼節は保って接している。姉貴は無言でにらみを利かせていた。


「うちのアツムを見つけたら連絡をくれ。そっちの弟も見つけたら知らせる。俺の番号を教えておくから、そっちもどちらかの番号を教えてくれ」


 二人は顔を見合わせ、俺たちを信用していいのか計りかねているみたいだった。でも、そんなことを言っている場合じゃないこともわかっている。ミク姉ちゃんがスマホを取り出し、そうして兄貴と番号を交換し始めた。


「……よし、じゃあ急ごう。俺たちはこっちへ行くから」


 兄貴はスマホをしまうと林の方を指さす。姉ちゃんたちはうなずいた。


「わかった」


 俺たちは同時に背中を向けた。

 こんな状況だし、余計なことは言わないけれど、お互いが協力し合うことなんて滅多にない。打ち解けたわけじゃないけれど、それでもこれはとても珍しいことで、今までのことを思うと大きな前進のようにも思えた。


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