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蛙の神様  作者: 五十鈴 りく


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15/30

◇14

 考えなくちゃいけないことは山積み。でも勉強も部活も待ってはくれない。

 変わらない毎日の中にいろんなことがプラスされたわけで、何かがマイナスされたわけじゃない。


 部活後、ヘトヘトになってバスから降りたけれど、これからアキに会える。そう思うと疲れはリセットできるような気もした。


 バスが着く時間をメールしたら、橋の下で待ってるっていう返信をもらった。だからこのままアキに会いに行く。

 荷物も重いし疲れているはずなのに、石段を下りる足取りは軽い。


「アキ」


 俺が呼びかけると、暗がりの中でアキは振り返った。時間も時間だし、暗いんだけれど、それくらいはわかる。アキも学校から帰って間もないんだろう。セーラー服姿だ。


「急でごめんね」

「いや、こっちこそありがとな」


 この間の別れ際の照れ臭さが、こうして顔を合わせていると蘇る。それはお互い様だったかもしれないけれど。


「はい、これ」


 ちいさな白っぽい箱に水色のリボンがかけてある。わざわざラッピングまでしてくれたんだな。


「この間、カケルちゃんなんでも食べてたから、甘いのも大丈夫みたいだし。せっかく作ったからどうかなって思って」


 なんて、アキは早口で言った。それが言い訳みたいに聞こえる。


「うん、こんなの作れるとかすごいな。開けていい?」

「駄目!」


 え? なんで駄目なんだ?


「おうちで開けて。感想とかもいいから!」


 アキはすごく困った顔でそんなことを言う。そんなに自信がないのかな?

 でも、それならなんでわざわざくれたんだろう?


「うーん、じゃあ家で開ける」


 それを聞いてアキはほっとしていた。


「そうしてね。あのぬいぐるみ、ヒロがすごく喜んでたの。そのお礼」

「ああ、そんなの気にしなくていいのに」


 ゲーセンのぬいぐるみだ。百円しか使ってない。お礼なんてもらうほどのことじゃないのに。

 俺がそんなふうに言ったせいか、アキは急に焦り出した。なんで焦ったのか、よくわからなかった。


「え、でも、その、お礼がしたくて……」

「うん、なんか逆に悪いな」


 気を遣わせてしまったみたいだ。アキも忙しいだろうに、わざわざ手作りで。嬉しいけれど、悪かったなって気もする。

 そうしたら、アキは余計に慌てていた。


「悪くないよ! お礼とか、そんなのわたしが勝手にしたいと思っただけで、逆にそんなのを口実に呼び出したみたいで、わたしの方こそごめんなさい!」


 ……それ、俺に会いたかったみたいに聞こえるんだけれど、俺の耳が都合よく受け取りたがるせいかな。


 でも、そうだと嬉しい。嬉しすぎて、激しく動悸がする。

 アキも自分の言動がそう受け取られることに気づいたのかな。恥ずかしそうに両頬に手を当ててうつむいた。早く何か答えないと。


 こんな時、なんて言えば女の子が喜ぶのかなんてわからないけれど、言葉を待つのが自分だったらなんて言ってほしいだろう。そう考えて言葉を選んだ。

 それを実際に言うのはとても勇気の要ることだった。それでも、今勇気を振り絞れないなら、俺は一生意気地なしで終わりそうだから。


「アキが俺に会いたいと思ってくれたなら嬉しいけど……」


 トノみたいに顔色ひとつ変えずに言えるならいいんだけれど、そんなわけにはいかなかった。かなり恥ずかしくて、照れた。ボソボソって、アキが聞き取れたのかもわからないくらいの声だったと思う。


 川の水音がある中、聞こえなかったとしても不思議じゃない。うん、聞こえなかったかも。アキはきょとんとしていた。


 どうしよう、言っておいて今更だけど、恥ずかしい。今すぐ逃げ帰りたい。

 やっぱり俺の勘違いが暴走して、思い込みが先走っただけかな。そんな気がしてきた。


 アキが俺に好意を持ってくれているなんてこと、やっぱりないのかも。

 そんなふうに考え出した時、ようやくアキは言った。


「カケルちゃんに会いたいって、ずっと思ってた。今になってこうやって会えて、カケルちゃんがそんなこと言ってくれるって、現実味がないよ」

「そんなの、俺の方こそ現実味ないし!」


 何を言っているんだろう、俺たちは。

 俺はアキのことが好きで、アキも俺のことが――


 本来なら、付き合ってって言いたい。アキが彼女になってくれたら、もうそれだけで毎日が幸せだ。


 なのに、俺とアキの家族は仲が悪い。多分、猛反対されるのは目に見えている。だから、容易に付き合ってとは言えないんだ。今度引き離されたらもう、次はないんじゃないかって気がするから。


 だから、付き合ってほしいって言うために、その問題を解決しなくちゃいけない。それを改めて強く思った。


「……またメールする。今日はもう遅いから、帰ろうか」


 アキも家族のことは多分いつも頭のどこかにある。俺とこれ以上親しくなって、それで家族が怒ることもわかっている。お互い、だからこれ以上踏み込めない。


「うん……」


 そっと、笑った。その笑顔がちょっと寂しそうだった。


 俺は先にアキを川辺から見送った。一緒に出て行くと村の誰かに見られる。町の中でなら並んで歩いても平気なのに……

 俺はぽつりと取り残され、手元の小箱に視線を落とした。胸の奥がじわっとあたたかい。


 アキがお嫁さんになってくれたらなって思ってた子供の頃と、今の俺はあんまり変わっていない。彼女になってほしいし、お嫁さんになってほしい。ずっと一緒にいたいのに。


 はぁ、と虚しくため息をつく。

 この橋の下でなら、見ているのは蛙の神様だけだから。


 蛙の神様は誰かに告げ口したりしない。俺の味方でいてくれると思ってもいいかな。

 俺は帰る前に蛙の神様に手を合わせてから帰った。



     ●



 今日の晩飯は豚肉の生姜焼き、餃子、カレイの煮つけ、お吸い物、インゲン豆の胡麻和え、野菜炒め、春雨サラダ。


「野菜も食べなさいよ」


 母ちゃんにそう突っ込まれつつ、俺は餃子を集中的に食べていた。でも、餃子があるところが俺の席から遠くて、そっちに気を取られている間に野菜炒めが飯の上に盛られている。餃子の皿が俺の席から遠いのは、多分計算された配置なんだろう。


 この後、アキにもらったタルトがあるから、腹八分目でやめておく。満腹で無理やり食べたんじゃ勿体ないから。


 部屋に戻った俺は、かなり挙動不審だった。部屋に鍵はないけれど、絶対に邪魔されないように、戸の前に椅子を置いた。その椅子が鍵の代わりになるかって言えば、まったくならない。それでも、気分の差だ。


 アキが形よく結んでくれたツルツルのリボンをそうっと引っ張る。女子はこういうの上手だよな。


 でも、リボンが解ける前にハッとした。画像を残しておきたい。ちょっと崩れたけれど、俺はスマホに画像を残した。それから改めてリボンを引っ張る。リボンが解けると、白い箱のフタを緊張しながら開けた。傾けたりしないように注意して持って帰ったつもりだけれど。


 箱の中には、手の平に載るくらいの丸いタルトがツヤツヤと輝いていた。洋梨って言ってたっけ。スライスした果物が丁寧に並べられて、程よい焼き目がついている。艶出しのジャムがまた美味しそうに見えた。


 アキがあんまりにも謙遜するから、正直、どんな出来でもびっくりしないつもりだった。でも、見た目からして綺麗だし、美味しそうだ。

 食べる前にこれもパシャリと画像を残す。これで食べてしまっても夢じゃないって確信できる。


 俺は恐る恐るそれを手に取り、ぱくりとひと口。やっぱり、美味しい。買ってきたみたいに上手だ。アキはお菓子作りが上手いんだな。


 じんわりと、心が蕩けそうな味だった。全部食べるのは勿体ないけれど、こう暑い時期に部屋に置いておいて痛んだらと思うと、やっぱり食べきるしかなかった。俺がもしリスやハムスターみたいなほっぺただったら、ずっとそこにしまっておきたいんだけれど、それはできない。


 すっかり食べ終わっても、箱やリボンを捨てるのが忍びなくて、箱を綺麗に拭いて畳んで、リボンと一緒に引き出しの中にしまった。


 アキは感想なんて要らないって言ったけれど、気にはなっていると思う。だから一応メールをしておいた。


『タルト美味かったよ

 アキはお菓子作りが上手いんだな』


 しばらくして返信が来る。


『好きなだけで上手かどうかは…

 食べてくれてありがとう』


『こっちこそありがとう

 また食べたいな』


 また食べたいって言われるのが、作り手としては一番嬉しいって母ちゃんが言っていた。

 美味しい、はお世辞でも言えるけれど、また食べたいっていうのはお世辞じゃ出ないって。

 そうかもしれない。不味かったらもう一度って言えない。


『うん

 また作ったら言うね』


『楽しみにしてる』


 そんなやり取りをして、しばらく幸せいっぱいに部屋で転がっていた。そうこうしているうちに風呂へ行けと言われた。


 脱衣所でシャツを脱いでいると、背後から忍び寄ってきたアツムが、くだんの河童のナントカいう必殺技を仕掛けてきた。イラッとしてアツムを抱えると、上下逆さまにしてやった。これでも十歳も年上なんだからな、ちょっとは敬え。


「カケル兄ちゃんのランボーもの!」

「人の背中に必殺技仕掛けてくるヤツが言うな!」


 ギャアギャア騒ぎながら風呂へ行ったから、扉越しにうるさいって親父に怒られた。そんなこと言ったって……


 やっと風呂から上がってひと息つくと、またじいちゃんが縁側でチビチビと酒を飲んでいた。じいちゃんはよく縁側で空を見上げている。もしかすると、死んだばあちゃんのことを思い出しているのかも。

 ああいうことをすれば、園田のばあちゃんが言うような渋さが身につくんだろうか。


「じいちゃん、酒って美味しい?」


 思わずそう訊ねると、じいちゃんは俺を見て少し笑った。


「まあ、美味いんじゃないかな」


 何その曖昧な返事。

 俺はじいちゃんの横にストンと腰を下ろした。それから俺は言葉を選んだ。まず、何から切り出せばいいのかなって。そんな俺に、じいちゃんは目を向けながら冷酒をこくりと飲む。


「何か聞きたいことがあるようだな、カケルは」

「へ?」

「顔にそう書いてある」


 風呂入ってきたところなんだから、書いてないはずだ。でも、それくらい俺はわかりやすい。

 じいちゃんはもしかして、俺が何を考えているかまで覗けるんじゃないだろうかって、そんなふうに思ってしまうような奥深い目をしている。

 だから俺はそれに吸い込まれるみたいにして、目を逸らせなくなる。


「うん……。ちょっと気になったんだ」

「ほう」

「その、なんで棚田村と疋田村は未だに仲が悪いのかなって」


 それを口にした途端、じいちゃんの手がぴくりと動いた。やっぱり、訊いちゃいけない、触れちゃいけないことだったのかって、俺は小さな子供に戻ったみたいにして不安になった。

 しょんぼりとした俺に、じいちゃんはすぐに答えずに喉を鳴らして手元の酒を飲みほした。それから、言う。


「永い歳月が経った。それでも変わらないのは、そういうものだからだ」


 そういうものって……

 全然わからない。納得できない。

 膝の上で握った拳が震える。


「それはご先祖様のご意向であって、わしらはそれを守っている。お前はまだ若いし、争いの嫌いな子だからおかしいと思うのかもしれないが、世の中には人の勝手にならないことがたくさんある」


 なんだよ、それ。

 世の中、平和より大事なことなんてない。そうじゃないのか?

 わざわざいがみ合うのが正しいなんて、そんなのおかしい。


 言い返したかった。でも、今のじいちゃんに何を言っても俺では言い負かすことなんかできない。俺の考えは間違ってないって思うのに、それが言えない……


「おやすみ、じいちゃん……」


 俺は話を早々に切り上げて部屋にこもった。

 理不尽な、やり場のない感情が体中に溜まっていく。

 おかしいよ、絶対。


 こんなの、いつまで続くんだろう。

 もやもやと考えながらベッドに潜った。眠ったような、眠らないような、中途半端な感覚で、その翌朝は久々に寝過ごした。


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