動き出す何か
「あっちに美味いのが出てるぜ、早く行こう」
「待って待って、こっちのも捨てがたいわ」
「父ちゃんおかえりー」
「またいい季節になったなぁ」
「誰か! 誰か僕と番になって下さい!」
「お、獲物だ獲物だ」
「のどかわいたー」
「坊やたち、ご飯よ」
「さーて一休みするかなー」
「ちょっとウチの縄張りに入って来ないでくれるかしら」
「ねむ……寝よ」
「おい誰だよ卵をこんな所に置いた奴は」
頭の中に町を捻じ込まれたような感覚に陥る。試しに耳を塞いでも少し聞こえ難くなるだけで、他には何も変わらない情報量の多さに圧倒されるだけだった。足を進めるのを躊躇う。
「どうした」
「あー……いや、何でもない」
ゲームセンターにでも居るかのような感覚。いや、これはそんなものじゃない。地下のライブハウスでヘビメタか何かを聞いている環境に近い気がする。
取りあえず平静を装いながら調査を開始した。木の太さや高さは言わずもがなで大小様々。朽ち木もそれなりに見受けられる。虫の種類に関しては多分だが10や20そこらではないだろう。落ちている葉っぱを掻き分ければ見た事もないのがウジャウジャ出て来そうだ。
「……うるせぇなぁ」
正直これは耐えられない。山口が隣で何か言っているようだが、それすらも聞こえ難い。
「おーい。翔太。おい」
「…………あぁ?」
「熱中症か? 車戻るか?」
「いや……川探して来る。ここ頼んでいいか」
「いいけどよ……本当に大丈夫かお前」
「大丈夫だ。何かあれば電話する」
逃げるように、とまではいかないが少し早歩きで道路まで戻った。騒音のように耳へ届いていた声も遠ざかる。何でここで急にあんな聞こえるようになったのかは全く分からない。
取りあえず一息入れたい。道に沿って歩いていると、バス停があった。トタン屋根と木製の見るからに古い日除け。中には土埃に塗れた丸椅子が3つばかり。看板は45度近くまで折れ曲がっていて錆び放題。時刻表も殆ど見えないが薄っすらと読み取れた。朝に1本と夕方に1本。これが地方の実情だ。しかも人口密集地じゃない田園地帯ならではである。
何所かに腰掛けて休みたかった俺は、日除けの中に入った。変な虫が居たら嫌だけどその時は交渉でもして退いて貰おう。そんな気持ちで足を踏み入れる。
「……外よりはマシかな」
しかし、思ったよりもカビ臭い。手入れなんてされてないだろう。丸椅子の土を払い、両手で体重を預けて壊れないかを確認してからゆっくり座った。直射日光が遮れるだけでも有難い。
「さぁて……少し休んだら川を探すか」
「おわぁ人間だ、みんな隠れろ」
「何だよ畜生。ずっとここには来なかったのに」
「じっとしてろ! 見つかるとヤバいぞ!」
近くに何か居るようだ。人間で言えば10代ぐらいの声に感じる。足元に視線を向けるがそれらしいのは見当たらない。だが、この日除けを支えている柱に黒い物体が蠢いているのが分かった。
(……ゴキやん)
いや、東京でよく見た黒いのとは少し形が違う。どうにもゴツゴツした感じと艶やかな黒。そう言えば森の中に住むゴキブリが居るってのを思い出した。もしかしてそいつらだろうか。トカブの名前を出したら質問に答えてくれるだろうか。
「…………えーと、トカブの頼みでここの様子を見に来たんだけど、皆はトカブを知ってるかな」
「え? 王様がどうしたって?」
「王様?」
反応があった。上手くいくかな?
「ちょっと待て人間! 王様を呼び捨てにするとは許さんぞ!」
「俺はショータ。俺の名前を聞いた事があると嬉しい」
「ショータ? もしかしてあのショータ様?」
「王様が前に命の恩人だと言ってたショータ様!?」
「すげぇ、実在したんだ!」
ゴキブリってのはこういう賑やかな連中なんだろうか。そんな事を頭の片隅で思いながら質問する。
「最近、ちょっとした事が切欠で再会したんだ。皆が移住先で安心して暮らせているかを見て来て欲しいって頼まれたんだ。どうかな」
「ここはいいぞ。王様たちも早く来て欲しいもんだ」
「是非ともここにお越し下さいって伝えてくれ」
「王様はお元気なのか?」
「ああ。元気だ。因みに、ここに移住した他の皆はどうなんだろうか」
「伸び伸びと暮らしてるぜ。数も大分増えた」
「もう何代か先になると手狭になっちまうかも知れないけどな」
「その辺についても、別の所の様子を見に行く裁可が欲しい所だ」
ここはかなりの発展を遂げているようだ。やっぱり生の声を聴けるのは情報量が違う。
「分かった、トカブにはそう伝えておく。ありがとう」
「「「頼んだぜー」」」
3匹同時に同じ事を言った。もうこの世界が実はアニメか漫画の中だと言われても納得してしまいそうだ。短時間だけど、それぐらいに濃い出会いだった。
立ち上がって日除けから出る。まず川を探そう。
その後、更に10分ばかり歩くと、田んぼの中に欄干っぽいのが見えた。近付いてみると、1つ目の山で見たのよりも大きい川があった。日差しが照らしている水面の中を魚が泳いでいる。透明度も高い。
「ここはやっぱ大当たりなのかな」
トカブの提示した条件を全てクリアしたと考えていいだろう。ふとここでポケットの携帯が震えている事に気が付いた。液晶には山口の本名が表示されている。通話モードにして耳に当てた。
「もしもし」
「おう。15種類は見つけたぞ。そっちは大丈夫か」
「大丈夫だ。川も見つかった。全部クリアだな」
「んじゃ終わりだ。車に戻ろう」
「はいよ」
引き返して車を停めた自販機エリアまで戻って来た。山口は先に戻っており、自販機の影に座って直射日光から身を守っていた。
「おせーぞ」
「悪い悪い。今出す」
車に乗り込んでエンジンを掛け、再び熱された車内が冷房で涼しくなるのを待ってから車を出した。
「えーと、右はいいな」
「おぉ待て待て。自転車だ」
お爺ちゃんがぎこちない動きで自転車を漕いでいた。転ばないか不安になる。前を通り過ぎるのを待った。
「……あの年でよく自転車乗るよな」
「そんなもんだ。俺らだって多分乗ってるぞ。気持ちだけは永遠に若いままだ」
「言われてみりゃこの年でも気持ちは高校ぐらいの頃から変わってないんだよなぁ」
一先ず、トカブの山を目指した。3つの山を調査した報告をしなければならない。その件を山口に伝えると「寝てるから済ませといてくれ」と言って座席を後ろに倒し、数分としない内に寝息を立て始めた。朝も早くから呼び出してここまで付き合ってくれたんだ。最後は自分だけで運転してもいいだろう。
50分ばかりを1人で運転しトカブの山に到着。出入口はまだ開いていたので中に飛び込み、相変わらず「またお前か」と目で語るマメガに誰かを呼んで来て貰い、ハナバとリホキに連れられてあの場所にまたやって来た。書き物をしているトカブが顔をこっちに向ける。
「あぁ、報告はあっちで聞こう。2人とも」
「分かっております」
「終わるまで、誰も近付かせません」
「ありがとう。さぁ、ショータ」
「お邪魔します」
個室に移動して3つの山を見て来た報告を行う。1つ目と2つ目については「まぁ、そんなものか」と言った感じだったが、やはり3つ目に関しては表情が明るくなった。
「そうか。ありがとう、ショータ」
「何か、良い方向に話が行くのを願ってる」
「油断は出来ないが、これだけの情報があれば、ブンゾーも納得してくれると思いたい。済まない、世話になりっ放しだな」
報告が終わった後は、少し雑談をして別れる。滞在時間は30分ばかり。車に戻ると、佳一は起き上がって携帯を弄っていた。
「お待たせを」
「終わったか?」
「終わった。帰ろうや」
車をUターンさせて道路に出た。意識は運転に集中していても、別れ際に見せたトカブの暗い表情がいつまでも脳裏に焼き付いていた。他にも何か問題があるのだろうか。それは俺でも解決出来るものなのだろうか。
「…………なぁ、夜空いてるか」
「夜? 別にいいぞ」
「何所かで飲みながら話したい」
「30半ばを前に人生相談ですか?」
「……まぁ色々と」
「分かった分かった。まず一旦帰してくれ」
こうして、待ち合わせの場所や店を相談しながら、俺たちは家に戻った。車庫にバックで車を入れる時は山口に誘導して貰い、無事にミッション完了。自転車で帰る山口を見送って家に入る。
「ただいま」
「おかえりー。何所まで行って来たの」
「田舎道を慣らし運転してた。夜、飲みに行きますので夕飯は結構です」
「はいはい」
2階に上がって自室の襖を開ける。机の上に置いていた真っ新の履歴書と資料、スリープにしていたノートPCが一気に俺を現実へ引き戻した。昼間にあんな事をしていなければ、今頃は納得のいく履歴書が1つぐらいは出来たんじゃないだろうか?
また出るまでは時間がある。少しこいつらを進めておこう。椅子に座ってスリープから呼び戻すと、ため息交じりにこんな言葉が漏れた。
「何やってんだろうね俺」
2時間ばかり、作業に没頭した。印字を濃い目に設定して印刷した物を下に敷き、その上から真っ新の履歴書を被せて下書きする。それがある程度まで終わった所で時計を見ると、いい時間になっていた。
「おっと、そろそろ」
トイレを済ませてまた家を出た。近くのバス停まで歩いてバスを待つ。待ち合わせは駅前だ。ここに来るバスは殆どが駅を経由するので来たのに乗ればいい。空が赤く染まり始めるのを見ながら、そんな所だけは東京と同じか、なんて思った。電車で1つの線路に複数の路線が走っていても、途中までは一緒なのが殆どだ。よっぽど遠くに行かない限りは来たのに乗ればいい。それがどれほど恵まれた環境なのか、あの朽ちたバスの時刻表を見るまでは考えもしなかった。
とか何とか思っている内にバスが到着。乗り込んで暫し揺られ、駅前に着いた。集合場所に行くと既に佳一が立っているのが目に入った
「……早くね?」
「俺んちの方のバスはこっちに来ないのが多いからな。逃すともう詰むんだ」
3時間かそこらぶりの再会である。連れだって歩き、前から行きたいと思っていた店に入った。幸いにも空いていたので座敷に上がり、ビールと適当なつまみを注文。先にやって来たビールを飲みながらどう切り出そうか考えていると、先に佳一が口火を切った。
「そんで、何だ。何を話したい」
「……昼間の件」
「…………やっぱ山を譲るって言われてんのか」
「いや、違う。持ち主がな……山を手放したいらしいんだ。でも親族が反対してて、話が上手く進んでないらしい。移住を考えてるから出来るなら身軽になりたいんだってさ」
概ね、嘘はついていない。手放したいと言うかまぁ、あそこから他の山に移住するならそういう事になる。親族ではないが親の代から関わっているなら殆どそう考えてもいいだろう。話が上手く進んでないのもまた事実だ。
「お前、その件に何所まで首を突っ込んでるが分かるか」
「……あんま自覚してないけどかなり深い所まで関わってるのは何となく」
「だろうな。赤の他人に自分の山の様子を見て来て欲しいなんて頼むのはよっぽどの状況だ。俺から言えるのは1つ。これ以上は関わるな。自分のためにならない」
「ズバッと言うね」
「田舎は複雑な事情が多い。まぁ都内でも古い町はあるだろうから一概には言えんけど、本家だの分家だのと面倒な事もある」
本家に分家か。ウチにはそこまで直接的に関係ないが、従妹の母方は農家だからその辺の事が面倒だと法事で少し聞いた事がある。
「向こうから何か打診がない限りはもう首を突っ込まない方がいいぞ。その場合でも、面接だ何だで断っちまえ。お前が最も考えないといけないのはそっちだ」
「刺さるわぁ」
話は次第に違う方向へ脱線。最初の少し重かった空気も気付けば吹き飛び、いつものように面白おかしく飲んでしまった。幾分か晴れやかになる気持ちと裏腹に、分かっていてもどうとなるものではないと言った考えが混在したまま解散。帰宅した。
「よぉ、ちょっと休ませて貰ってるぜ」
襖を開けると同時にあのねちっこい声が聞こえた。網戸にくっ付いているのはリギーで間違いない。
「…………何の用だ」
「そう警戒すんな。体力が戻ったらまた消えるよ」
寝支度を進める間、リギーは独り言にしては妙に大きな声量で喋り続けた。
「あーそうだ。聞き流してくれていいけどよ、近々、異変が起きるぜ。そんな予感がする」
「……独り言か、それは」
「独り言さ。でもまぁ、アンタには小耳に入れといても良いかと思ってな」
「…………記憶の片隅に置いとく」
「それでいい。予感は予感だ。外れる事もあらぁな。んじゃそろそろ消えるぜ」
リギーは背中の殻を開くと羽を出し、夜の空に飛び立っていった。
「……予感ね」
異変が起きると言われても想像には限界がある。こっちからどうこう出来ない以上は待つしかない。リギーの登場によって少しだけ覚めた酔いが再び戻って来た俺は、そのまま布団に寝転んで眠りに落ちたのだった。
お世話になっております。onyxと申します。
この場をお借りして事前のお報せをさせて頂きます。
本作のキーワードに「地震」が含まれているのは既にご存知かと思いますが、次話から色々と大きく動き出します。作成当初は全く予想もしていなかった事で御座いますが、既に「地が揺れる」だの「山にヒビ」と言った会話が出ておりますので何となくでも予想された方はいらっしゃるかと。
そんな訳ですので、今月の頭に発生した一連の事態等に関連するその手の描写が入り込んで参ります。次話を無理にご覧下さる必要はありません。よろしくお願い申し上げます。




