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移住作戦1

 21時頃。鼻から抜けていく酒気を感じつつ帰宅した。「カラオケー」と言い出す正人を全員で抑え込み、それぞれ帰路に着いたのだった。

「あ、しまった」

 重要な事に気が付いた。明日の決行時間をトカブたちに伝えていない。これは拙い事だ。連絡手段もないのである。

「……今からはなぁ」

 あの暗い道を歩きたくはない。タクシーはちょっと遠慮したい。戻るのにも時間が掛かる。どうするか考えながら自室の引き戸を開けると、網戸にしていた窓に見覚えのある物体が張り付いていた。リギーだ。

「おぉ、ご帰宅かい」

「……いいタイミングだな」

「明日を控えて何か楽しい事でもして来たって感じか? 向こうはてんやわんやなのによぉ」

「何で向こうの事情を把握してる」

「久々に顔出しに行ったら明日はいつから移住が始まるのか聞いて来てくれって頼まれたんだ。俺も手伝うぜ」

「そいつはどうも。こっちは明日の朝5時に集まる。山からは少し遠い所に車を停めて歩くから、到着は大体5時半頃だと思っていて欲しい」

「悪いな、あんたらの時間の概念は分からないんだ。陽が昇る頃って事でいいか?」

 ある程度は自然に会話をしていたがその辺の概念が通じない事に改めて衝撃を受けた。虫にとっては今が何時かなんて考える必要もないのだろう。

「それでいい。頼むぞ」

「あいよ、んじゃ明日な」

 羽を広げたリギーは飛び去って行った。5時にあのコンビニ集合だともう寝ないといけない。4時頃に起きて準備を終え、4時半前に出れば余裕を持って着ける筈だ。父親がまだ起きているのでその件を伝えてから寝るとしよう。


 飛び起きる、とまではいかないが目が開いた。部屋の時計は3時55分を示している。

「……どっこいせ」

 布団から立ち上がって身支度を始める。流石にこの時間では両親ともに起きていない。顔を洗って歯を磨き、これを見越して夕べ冷蔵庫に突っ込んでおいたサンドイッチを食べてから着替えた。

 無地の作業服に着替えて長靴と軍手を持参。一見すれば役場の人間に見えなくもない、と思う。

(行って来ますよ、っと)

 静かに家を出た。空は薄っすらと明るい。気温は少し肌寒いがこの辺の朝はこういうものだ。車に乗り込んで集合地点のコンビニを目指す。

 ふと、誰かに見て貰わなくても運転出来ている事に気付いた。この一件で運転に慣れたらしいが油断は禁物だ。

 走り出して20分と少し。車通りがないお陰でスムーズな移動だ。集合地点のコンビニが見えて来た。ガラガラの駐車場に停まっているのはシルバーの軽ワゴンが1台。恐らくあれは卓だ。敷地に入って近付くとこちらを見たので手を振る。隣に停めた。

「嫁さんに何か言われたか?」

「後でちゃんと説明しろってさ。って訳だから焼肉の件はマジで頼むぞ。西崎家の命運はお前に掛かってるからな」

「あー……はい、分かりました」

 それから数分後、佳一の車が現れた。助手席にはまだ眠そうな正人が乗っている。

「いい時間だな」

「河原に着くまでもう少し寝かしてくれぇ」

 ホムセン箱をこっちと卓の車に分けて積み直している内に時間は5時丁度。佳一の車を先頭に出発しまず例の河原を目指した。ここまでは15分程度で到着となる。

 河原は道路から見ても数段低く、間近までいかないとそこを見る事が出来ないような感じだ。

「翔太、仕切れ」

「え……」

「発起人が仕切るもんだろ」

「……そうっすね」

 急に佳一が変な事を言い出した。まぁ、最後は3人を巻き込んだ俺が仕切るべきなんだろうか。

「皆さん長靴はいいですね」

「「「はい」」」

「ホムセン箱の中は空ですね」

「「「はい」」」

「では行きましょう」

 川に入る。正人が膝下ぐらいと夕べに言っていたが実際はくるぶしまでの水位だった。バシャバシャと水音を立てながらホムセン箱を抱えて歩き、高架橋の下を潜って護岸工事された一帯を抜ける。トカブの山が見えて来た。

「もうちょっとだな」

 逸る気持ちを押さえながら確実に進む。川が曲がり出した所で水から上がり、木々を分け入って山の中に入った。中腹をなぞるように歩いていつも出入りしている道に到達。あとは普段通りに行けばいい。

「着いたぞ」

 ポッカリと穴の開いた木はいつもと変わらぬ状態。しかし地面は昨日よりもひび割れが多い。

「中に入って色々と説明しよう。箱は木の前に積んでおけばいい」

 穴の近くにホムセン箱を積み上げて自分から順番に飛び込んだ。すっかり慣れたこの感覚。それもあと何回かで終わると思うと少し寂しい気もする。

 

 頭が自然と上を向いて足が下になる。地震の後に来た時よりはゆっくりだ。目の前には相変わらず訝しげな表情のマメガと案内役のリホキが居る。取りあえず地面に着いた。

「おはようございます、皆様」

「おはよう。手早く済ませたいな」

「はい。こちらへ」

 昨日と同じ所へ案内された。視界に広がる残りの住民たち。ざっと目でどれぐらいだろう。200まで数えて一旦止める。

 玉座に居るトカブがこちらを見た。何かに安心したような表情で階段を下りて来る。

「済まない。この恩は必ず返す」

「気にしないでくれ。それより急ごう」

「……ああ」

 トカブは残っている民を前に振り返った。耳通りのいい声で語り掛ける。

「皆、今日までよく耐えてくれた。ここを去るのは忍びないが、我々は生きていかなければならない。それが父上の願いであり、私の責務だ。些細な切欠によって私はこの4人と再会出来た。今一度、紹介したい。ショータ、ケーイチ、マサト、タクミだ。私の命を繋いでくれた恩人でもある。彼らの協力によって長年の時間を掛けていた移住計画は終わりを迎える。新しい土地で新たな暮らしを紡いでいこう。私は全員が去るのを見届けてからここを出る。誰一人、置き去りにはしない。誓ってここに宣言する」

 歓声も拍手もないが、この場の空気が引き締まったように感じた。移動の関係上で俺たちが先に出ないといけない。そんな所へ妙に長身で頭部の大きな2本角が特徴的な人物が現れる。頬に傷があって全身をマントで包み込んだ、海賊のような風貌だった。

「この状態で会うのは初めてだな。さっき移住先に行って報せて来た。余計な事は考えないで運んで貰っていい」

「リギー……」

 声は同じだ。イコールでそれはリギーを示している。

「頼むぞ。あんたらがしくじれば全てお終いだからな」

 "あんたら"で他の3人が妙な顔付きになる。それもそうだ。リギーは俺としか交流がない。

「早く行ってくれ。俺は残っている民を纏める」

「分かった」

 足早にこの場を去り、マメガが居る所まで戻って外に出た。ホムセン箱の蓋を開けて待つ。

「何所から来るんだ?」

「木に小さい穴でも開いてんじゃねぇのか」

 民たちが出て来る場所が気になった正人と卓が木に近付く。数秒とせず正人が変な声を上げた。

「やべ、いっぱい出て来た」

「ホムセン箱開けろ! 早く!」

 卓に急かされた俺と佳一はホムセン箱の蓋を開けて木に向けた。その中へ様々な虫が飛んで来る。地面を這っているのは手で掬い上げて中に入れた。

「ありがとうございます、マサト様」

「ケーイチ様、なんとお礼をしてよいやら」

「あぁタクミ様、うちの息子を先にお願いします」

 ふいに数多くの小さい存在に話し掛けられた3人は硬直。固まっている時間はないから現実に引き戻してやる。

「声が聞こえたんだな。俺もそうだ。そこまで気にしなくていい」

「……お前、ずっとこんな感じだったのか」

 ぎこちなく手を動かしながら虫を運ぶ佳一が明らかに戸惑った感じの声で聴いて来た。

「いや、最初は何もなかった。地震の前日からだな。多分、何かしらの関係はあると思う。でも今は気にしてる場合じゃない」

「すげぇ、何も言わなくても手に乗って来るぜ。こいつら本当にさっきまで木の中に居た連中なんだな」

「噛むなよ、頼むから噛むなよ」

「何もしやしませんぜ旦那」

 何をそんなビクついた声なのかと卓を見た。長い触角が特徴的なカミキリムシが手に乗っている。噛まれた事はないがアイツは噛むと相当痛いらしい。


 大体5分ぐらいが経った。4つのホムセン箱は殆ど埋まり、これ以上は中に入らない。

「これで一度止めて運ぼう」

「おーい、満員だ。また来るから戻ってくれ」

 正人がそう呼び掛けるとホムセン箱の手前まで来ていた虫たちが木に戻って行った。同時に黒っぽい蜂が数匹、周りを飛び始める

「ショータ様、お早いお戻りを」

「どうか、民たちをよろしくお願いします」

 この聞き慣れた声、ハナバとリホキだ。最初に会った時から蜂っぽいと思っていたが本当に蜂だったらしい。

「分かった。何事もないようにする」

 ホムセン箱を抱えた俺たちは来た時と同じルートで山の裏に出た。木々から出る時に周囲を警戒するが、時刻はまだ6時前。静かなものである。

「行くぞ。往復で多分だけど50分ぐらいは掛かる筈だ」

「俺と正人が調べた時は40分で行けたな。まぁ現地で何かした訳じゃないから当てになんないか」

 川に降りてひたすら歩く。ちょっとだけ早歩きだが転ぶ可能性もあるからそんなにスピードは出せない。10分かそこらの時間で河原に到着。車へホムセン箱を積み込んだ。

「おーいちょっと待ってくれ」

 車のサイドミラーにリギーが飛んで来た。何か用だろうか。

「何だ」

「俺も連れてってくれ。あんたらだけじゃ話が拗れるかも知れん」

 案内人って訳か。確かに居ないよりは居た方がいい。向こうでこっちの存在を知ってるのはあのバス停に居た3匹のGだけだ。しかも面識があるのは俺だけである。

「……んじゃ宜しくな」

「任せてくれ」

 リギーを持ち上げてダッシュボードの上に置いた。急ブレーキでもしない限りは吹き飛んだりしない筈だ。

「みんな、いいか」

「いいぜー」

「俺が先導する。移動ルートは2つあるから、もし逸れた時は無理に俺を追わなくていい」

 佳一がコピーした地図を俺たちに配った。道筋は違うが目的地は同じだ。

「卓、最後尾頼むぞ」

「おお。あ、佳一、50キロぐらいで走ってくれ。マニュアル久しぶりだからちょっと怖い」

「了解了解」

「俺にカマ掘るなよ」

「そん時は道路外に落ちて自損にするわ」

 いいかどうか分からないが卓がそれでいいならそうとしよう。こうして第一陣の移送が始まった。佳一の車を先頭に目的地の山へ向けて走り出す。チャットアプリの音声会話機能をONにしてハンズフリーの状態で運転する。これなら逸れても取りあえず相互に会話が出来るから互いの位置が全く分からなくなる事もない。と思いたい。

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