さようなら、母ちゃん
現世で滞在できる期間が迫っている母親。
そして、タクミも自分が思っている気持ちを打ち明ける。
タクミと母親は残り少ない日々をどう過ごすのか。
母親と色々話した次の日から、僕は料理のことだけじゃなくて、母親のことや、僕が小さかった時のことなど、色んなことを話すようになった。
もちろん料理も少しずつだけど、簡単にできるものを教えてもらった。今まで通り一緒に料理をしながら、母親も若い頃は全く料理できなかったことや、僕が小さい頃は、うどんしか食べなくて困ったこと。小学校のある夏休みの時に、セミを大量に捕まえてきて、虫嫌いの母親は気絶しそうになったこと(これは僕も覚えていた)。中学1年の時に僕が片親のことを同級生にいじられて、落ち込んで帰ってきた時、母親は怒って、その同級生の家に電話をかけそうになってたっけ。
ひとつひとつのことは、すごく何でもないことなんだけど、今あらためて聞くと、それが母親と僕のかけがえのない思い出になっていくのかと思うと、また違って思えたんだ。
そうそう、チィは学校に復帰して、その日にも自分の分と、僕の分のお弁当を作って持ってきてくれた。おかずはだし巻き卵にタコさんウィンナー(子供かよ)、ブロッコリーにプチトマト、あとごはんをミンチと卵の2色のそぼろご飯にしてくれていた。すごく豪華版だった。お礼を言うとチィは照れくさそうにして、でも嬉しそうに笑った。
約束していた週末の水族館デートは、少し延期にしてもらうことにした。母親を見送ってからでもいいかなと思って。チィに母親のことを話そうか迷ったんだけども、もうすぐいなくなってしまう母親のことを話したところで、ただ混乱させてしまうだけと思って、やめておいた。
母親と過ごす日は、あっという間に過ぎていった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
母親がいなくなる前の日。僕はいつも通り学校に行って、帰ってきてからのこと。
『タクちゃんおかえり〜、ちゃんと勉強してきたん?』
「あー、うんうん。まぁそれなりにしてきたで」
母親の体はだいぶ透明度が増していってるように見えた。今日の晩ごはんは、この2週間弱で煮物やらおひたしやらも作り方を教えてもらったので、前の日の晩に作り置きできるおかずを作っていたのだ。なので、炊飯器でご飯を炊くのと、味噌汁だけを作った。
『もうタクちゃんもだいぶ料理できるようになったやん。たいしたもんやわ』
「まぁ、母ちゃんが色々教えてくれたからやで。僕ひとりやったら絶対無理やったと思う」
ごはんの用意をしながら、気になったことを聞く。
「そういえば、もう今日の日付が変わったくらいに、もう母ちゃんはいなくなるん?」
『あぁ、そやなぁ…実際のところ最後に例の閻魔様のところで話し合いがあるから、あともうちょいしたら、行かないとあかんかな』
「そっか…わかった。じゃあ、ご飯食べながらやけど、最後にゆっくり話そうや」
母親は、今にも消えそうな感じで。あ、これは文字通り透明なんだけど。はじめに幽霊になって出てきてくれた時からすると、もう母親の後ろの部屋の様子が普通に見えるくらい透けていた。
『うん、そうやね。せっかくやからゆっくり話そうなぁ』
「あっ、母ちゃんの旅立ちというか…せっかくの晴れ姿やのに、なんかデザートとか買っとけばよかったわ。あーでも、母ちゃんは食べれないからいいかぁ」
昨日作っていた、筑前煮と、ほうれん草と薄揚げとちくわのお浸しと、キャベツとじゃがいもの味噌汁と、ご飯を器にいれた。パスタとか、ピザとか、洋食ももちろん好きだし食べるんだけども、僕はやっぱり和食が好きだ。それは、母親がよく作ってくれたこともあるかもしれない。
「いただきまーす」
母親がにっこりと笑う。この顔を見れるのも、あと少しの時間なのかな。
『そういえばタクちゃん。今日までの何日間か机に向かってなんかすっごい勉強してたやんなぁ?なんか急に学習に目覚めたん?』
「あー、あれな。そんな急に目覚めるわけないやんか。あれは、母ちゃんに手紙を書いとったんや」
『母ちゃんに…?』
「うんうん。言葉で伝えるのもいいんやけど、手紙みたいに字で残しといたほうが、母ちゃんが見返すためっていうより、僕がこれから歳を取っていったとしても、見返すことができるんちゃうかなって思って。今の気持ちとかな」
なんだか、母親は手紙の内容も見てないのに、泣きそうになっていた。
『母ちゃん、向こういってしもたら、その手紙読まれへんから、今見せてもらっても、読んでもらってもいいん?』
「えぇ〜、恥ずかしいんやけど…しゃあないな〜。ちょっと待ってな」
箸を置いて、自分の部屋の机にしまっていた手紙を取りに行く。シンプルな茶封筒に手紙はいれていて、その封筒からシンプルな便箋を取り出す。
「あーあー。えーと、母ちゃんへ。あっ、あまりこっち向きすぎたら恥ずかしいから、横向きくらいのがいいかな」
母ちゃんへ
僕のこと、今まで育ててくれてありがとう。母ちゃんの心配なんか考えずに、すぐどこかに行ってしまったり、迷子になって泣きながら帰ってきたり、いつも心配かけてばかりいてごめんなさい。僕は、小さい頃から虫取りと探検遊びが好きで、母ちゃんが虫嫌いって知ってるのにいっぱい取ってきて見せたりしてたやんね。あれは自分でもアホやなぁと思うんやけど、ただ誉めてほしかっただけやねん。母ちゃんはそれでも、部屋の端っこには逃げてたけど、ビビりながらでもすごいなって。ようやるな、って誉めてくれた。
よく寝るのは今もやけど、小学校低学年の時やったか、自転車乗りながら居眠り運転してて、派手にこけて顔を擦りむいて大泣きしたことがあったやんね。あの時も、母ちゃんはご飯作ってる時やのに、泣き声を聞いて飛び出してきてくれた。あの時の写真は凄かったやんな、顔中傷だらけで、でも僕が好きやったシュークリームを買ってきてくれたから、笑顔になってたな。
中学に入ってからは、友達と遊んだりがほとんどで、あまり母ちゃんとはゆっくり話すこともなかったやんね。そんなもんと言えばそんなもんなんかもやけど、今となっては、もう少し母ちゃんと話してたらな、って思ったりはする。
高校を卒業してからの話なんやけど、就職をするのは間違いないんやけども、この何日かで母ちゃんに教えてもらいながらやけど、料理をできるようになったのがすごく楽しくて。まだわからないんやけど、飲食関係の仕事について、調理師免許とかを働きながら取ってみようかなって考えてる。食べるのが好きやから、同じように食べるのが好きな人に、美味しいもん作れるようになったらええな、って思って。それも、母ちゃんから料理を教わってなかったら思いもしなかったことやから、よかったと思う。
僕が今17歳やから、17年間。僕にとったら長い年月やけども、母ちゃんにしたら短かったかな?長かったかな?どっちにしても、これから僕がなんもなかったら、今までの17年よりも、何倍も生きていくと思う。母ちゃんは僕のこと、心配するかもしれないけども。もちろん寂しいかどうか聞かれると、ひとりは寂しいけども、母ちゃんの息子やから頑張って生きていくで。チィや、チィのお母さん。学校の先生とか、友達。あとは、これから知り合うかもしらん色んな人に助けてもらいながら、しっかり生きていくで。やから、もし母ちゃんが僕のこと心配になった時も、母ちゃんの息子やし、大丈夫やって、思ってな。
最後に、少しだけ弱音を吐くけども。やっぱり、急なことやったからもあるけど、もう少し母ちゃんと一緒におりたかったな。今までぼーっとしてる僕しか見せてなかったような気がするから、ちゃんとしてる僕を見せてあげたかったな。でも、大丈夫やで。ほんとに今までありがとうな。
僕は、自分が知ってる大人の中では、母ちゃんが一番やと思うわ。それは母ちゃんも自信持ってな。
タクミより
「読んだでー」
母親は、下の方を向いて、泣いていた。そして、さっきよりも更に薄くなっていた。
『た…タクちゃん…いっぱい手紙。ありがとうな。母ちゃんなんかもう言葉が出てこーへんわ』
「母ちゃん、もうそろそろなんかな?」
母親はうなずく。母親の体が淡く光っている。
『タクちゃん。タクちゃん。母ちゃんはすごく、すごく幸せやったよ。これからも元気でいてな』
「うん。ありがとう」
母親の体が更に強く光っている。
『タクちゃん、いつまでも見守ってる。じゃあね…』
母親が手を伸ばした。僕もその手を取ろうと伸ばす。もちろん触れないが、何か温かいような気がした。
「さようなら。母ちゃん」
母親がいなくなった。
◆ ◆ ◆
それから年末になって学校は冬休みに入り、チィとは約束していた水族館に行ったり、たまにデートをした。お互いに料理を作って持ち込んだり、家にも呼ばれて遊びに行ったりもした。
年が明けて、学校の三学期が始まった。高校では、たまに連絡事項とかが、スマホのアプリで来たりする。国語の先生が転勤になったらしく、その代わりに非常勤という正規じゃないけど、雇われみたいな感じの先生がヘルプで来るようだ。
始業式は、学校の体育館の中でやる。外は寒いから空調の効いている屋内がいいかららしい。
いつもだけど、長ったらしい校長先生の挨拶があって、そのあと、新任の先生の挨拶とかがある。
「国語のほうをまだ期間は未定ですけど、教えてくれる、松嶋 彩香先生です。よかったら一言どうぞ」
まぁまぁ若い女の先生だった。これから正規の先生を目指すような感じの人なのかな…。なんかすごくキョロキョロしている。
「松嶋です。よろしくお願いします…あっ!!」
なんか急に大声をあげるので、周りの先生もびっくりしている。なんだなんだ…というか僕の方を見てる?
「タクちゃーん!!母ちゃんやで!!」
えっ。
体育館の中がざわつきだした。驚きと喜びもあったんだけども、この状況はまずい気がしたので、か…松嶋先生のところに行って、体育館のすみまで連れていく。
「ど、どうしたん急に、タクちゃん」
「あのなぁ、こんな大勢の前で母ちゃんとか言ったらおかしいやろ。てかどうしたん?何が起きたん?」
小声で喋る。
「あっ、あのな。母ちゃん生まれ変わらせてもらったっていうか…よくいう転生っていうん?わぁタクちゃんや…タクちゃーん!」
抱きついてくる松嶋先生。
「ちょ、まぁ話はあとでゆっくりするとして。今のところは松嶋先生ってことやから、ちゃんとしような。みんな見とるで」
もうすでにざわついている。それに少し離れているが、チィがものすごい鬼のような形相でこっちを見ていた。これはあとで言い訳をするのが大変そうだ。
でも…まぁ少しくらいならいいか。
「母ちゃん先生。これからもよろしくお願いします」
松嶋先生。いや、母ちゃんはにっこり笑った。
おわり




