帰りたい家
「一軒家、ですか? 賃貸なのに?」
「蔓木様のような若い方には馴染みがないかも知れませんが、ファミリー層向けに一軒家の賃貸は割とありますよ。庭付き一戸建ては、現代でも十分に魅力的ですので」
「なるほどー。中を見ても?」
「勿論大丈夫です」
頷くセルジオを確認して、剣一は簡素な作りの門を開けて家の中に入る。するとそこには多少草が生えているものの、それなりに手入れのされた広めの庭があった。
「結構広いですね。それにあれ、池ですか?」
「元は駐車スペースなども兼ねていた場所ですが、家主の方がご高齢で運転をしなくなったということで、改めて庭園にされたそうです。といっても手作業でコツコツ改造されたということなので、あくまでも素人仕事ではありますが」
「いやいや、大したもんですよ」
庭の端にあったのは、縦三メートル、横は広いところで二メートルくらいのひょうたん型の池だった。縁に沿って積まれた石の間はモルタルで埋められており、やや雑な作りは確かにプロの仕事でないことを窺わせるが、逆にそれが素朴な味わいを醸し出しているとも言える。
「あっちは木もあるんだ。あれ何の木ですかね?」
「あれは梅の木ですね」
「桜じゃないの? 日本って言ったら桜ってイメージだけど」
「ははは。姫様、気持ちはわかりますが、流石に日本の家屋全てに桜の木が植わっているわけではございませんよ」
「むぅ」
朗らかに笑うセルジオに、エルがちょっとだけ恥ずかしそうに頬を膨らませる。梅の木はなかなかに太くて立派な幹をしており、これなら毎年綺麗な花が咲きそうだ。
「それより中よ! ほら、ケンイチ! 行くわよ!」
「あ、待てよエル! 俺の部屋探しなのにお前が言ってどうするんだよ!?」
「そんな細かいことどうでもいいでしょ!? ほらほら、早く!」
「ったく……」
急かすエルに苦笑しながら、剣一も家の中に入っていく。ガラガラと引き戸の玄関を開けて入ると、内部の作りは古めかしくはあっても、綺麗に手入れされている。
「ここは普通にフローリングの部屋ね。あ、こっちは畳の部屋になってる!」
「キッチンは現代風かな? 廊下もしっかりしてるし……これ割と最近リフォームしたんですかね?」
「はい。人に貸し出すということで、水回りなどの劣化の激しい部分は全面的に改修してあります。ただ家主の方の意向で、それ以外はそのままとなっております」
「そうなんですか?」
「はい。家主の方曰く、この家には大切な思い出が沢山詰まっているので、そこは大事に残したいということで」
「思い出…………」
言われて、剣一は家の中を見回す。長く人が触れたことでツヤツヤになった木の柱や、ほんのちょっと欠けた部分のある欄間の飾り彫りなど、確かにそこかしこにここで暮らしていた人の息吹が残っている感じがした。
「あ! ねえねえケンイチ! ここから庭に出られるわよ! ちっちゃいベンチもある!」
「姫様、それは縁台というものです。部屋の扉を開け放ち、そこに座って庭先で涼むのが風流というものだそうですよ」
「へー、いいじゃない。気持ちよさそうね」
「だな。うわー、この畳の感触もいいな」
行儀が悪いとは承知の上で、剣一は畳の上に寝転がってみる。流石に契約前に張り替えはされていないので新しい草の香りを堪能することはできなかったが、それでも絨毯や布団とは違う独特な柔らかさが、剣一の体を優しく支えてくれる。
「…………ここ、いいな」
ふと、剣一の口から想いが漏れる。しかしそれを聞きつけたエルが、微妙に顔をしかめて剣一に話しかける。
「えー、そう? 確かに偶に来るならいいと思うけど、住むとなったら結構不便よ? ダンジョンからも遠いし、買い物とか大変なんじゃない?」
「そうですな。この一帯は都市開発から外れた地域でして、高齢化の煽りも受けて今や周辺に住んでいらっしゃる方はかなり稀です。なので商店の類いもなく、蔓木様の場合ですと、定期運行されているバスを利用する以外ではかなり不便な部分はあるかと思います。
ただ代わりに、ここであればドラゴンの皆様が多少騒いでも問題になることはまずないと思います。こちらを紹介させていただいたのは、その辺が理由ですね」
「むぅ、そっか……いや、わかってはいるんだけどさ…………」
エルとセルジオの説明は、剣一もまた理解していることだ。冒険者になら一二歳でなれる現代でも、自動車の免許は一八歳まで取れない。バイクなら一六歳で取れるが、それにしたってあと一年と少しは無理だ。
つまり、それまでは移動にかなりの制限がかかる。今まで町中で暮らしていた剣一にとって、これは大きな縛りとなるのは間違いない。だが……
「でもさ、ちょっと想像しちゃったんだよ。ここでディア達と一緒に過ごせたら、何か楽しそうだなーって……ほら、もうすぐ夏だし、庭先で花火とかもできるだろ? 縁側に座って皆でスイカを囓るとかもいいよな」
たとえやむを得ない事情があったとはいえ、剣一的にもディアやニオブを狭い室内にずっと閉じ込めておくというのは気になっていた。そしてそれは、部屋の広さという問題ではなく、外と内という違いだ。
「正直、俺がいつまであいつらと一緒にいるのかわかんねーけど……でもどうせなら、そういう普通のっていうか、楽しい思い出も作ってやりたいなって。
それに……」
「それに……なに?」
小首を傾げるエルに、剣一はひょいと立ち上がり、縁台に立って庭を眺めながら言う。
「言葉にするとよくわかんねーと思うんだけど……何かこう、『ここに帰ってきたい』って思ったんだ。あいつらがいるこの家に、ただいまって言って帰ってきたら、きっと幸せだろうなって……そんな気がしたんだ」
深い理由があるわけではない。初めて来たこの家に縁やゆかりがあるわけでもないし、当然この家の持ち主のことなど知らない。
だが剣一は、何となくこの家が「自分の帰る場所である」と感じていた。それが日本人の魂に刻まれた記憶であるのか、動画や漫画で得たノスタルジーを自分のものと勘違いして浸っているだけなのか、あるいは本当に何の理由もなく、何となく気に入っただけなのかは誰にもわからない。
そして、そこに意味など必要ない。心の動きを前にすれば、理屈こそがこじつけなのだ。
「あの、セルジオさん。ここって家賃は……?」
「こちらは月一六万円ほどになります」
「やっす!? 今の部屋と同じって……なら俺、ここに決めます!」
「えっ!? ちょっ、本当にいいの!? 最初のマンションの方が絶対に快適よ?」
「そうだろうけど、いいんだよ。それに実際暮らしてみてどうしても駄目だったら、また引っ越せばいいし」
これが何十年とローンを組んで家を買うという話だったら、剣一も浪漫より実用性をとったかも知れない。が、これはあくまで賃貸であり、問題があれば普通に引っ越せる。勿論引っ越し費用はその分かかるだろうが、それは剣一の「ここに住んでみたい」という気持ちを捨てさせるほどの額ではなかった。
「はぁ、仕方ないわね……でもじゃあ、ここで楽しそうなことをする時は、ちゃんとアタシも呼ぶのよ!? いい? 約束だからね!?」
「お、おぅ? そりゃいいけど、いちいち呼んだら迷惑じゃねーか?」
「迷惑じゃないわよ! むしろアタシの知らないところで楽しいことばっかりやったら、そっちの方が怒るんだから!」
「ははは、わかったわかった。じゃあさしあたっては引っ越し記念にバーベキューでもやるか? 祐二とメグと……あと英雄や聖さんにも声かけてみるか」
「いいじゃないそれ! いつ!? いつやるの!?」
「いや、引っ越しもまだなんだから、日程は出せねーよ。みんなの予定も聞かないとだし」
「それはそうだけど……うー、楽しみ!」
剣一の言葉に、エルが体を振るわせ全身で期待を表す。そしてそんなエルの姿に、セルジオもまた嬉しそうに目を細める。
(よかったですな、姫様)
今借りている部屋の近所のマンションを剣一に断られた時はどうなるかと思ったが、こうしてはしゃぐエルを見れば、これもまた悪くない結果だと思える。
「ねえジイ! ケンイチの買い出しに車を出してもらってもいいかしら? アタシも一緒に行くし……」
「勿論構いません。喜んでお供致します」
「そう、よかった!」
表面上は元気に見えても、未だ兄のことを気にしているエルが見せる心からの笑顔に、セルジオは最上の忠義と敬意を込めて頭を下げるのだった。





