剣一と下見
「到着致しました。最初はこちらになります」
「ここですか……」
車に揺られること二〇分。剣一が最初に案内されたのは、多寡埼市内でも有数の高級マンションであった。ちょっと気後れしながらホテルのようなロビーを抜け、エレベーターで移動した先の扉を開けると、そこには高級感溢れる広々とした部屋がある。
「うわ、ひっろ!? しかも奥にも部屋あるし!? え、これどれだけ広いんですか?」
「こちらは一八畳ほどのリビングダイニングに加え、奥にキッチン、更に八畳の部屋が三つほどあります。当然バストイレは別で、収納の方も大分余裕がございます」
「そんなに!? メッチャ広いな……でもこれ、俺が一人で住むには、ちょっと広すぎるんじゃ?」
「確かに登記上は蔓木様お一人の部屋となりますが、実際にはドラゴンの皆様方と暮らすことになるわけですので、このくらいは必要かと判断しました」
「あー、そう言えばそうか」
セルジオの説明に、剣一は大きく頷いて納得する。確かにそれぞれの体の大きさを考えるなら、剣一とディアがそれぞれ一部屋、ニオブと水槽に入ったレヴィが同室で一部屋と考えれば、丁度いい広さだ。
「どう? 気に入った? ちなみにアタシは、ここが一番オススメよ!」
「そうなのか? 何で?」
「そりゃあここなら交通の便もいいし、買い物だって楽じゃない。それに……」
「それに?」
「な、何でもないわよ! とにかくここはオススメなの! どう? ここにする? ここにしちゃいなさいよ!」
「えぇ? まあ確かにいいところだけど……」
妙にグイグイ押してくるエルに、しかし剣一は悩む。部屋を借りるうえで何より重要な要素の確認がまだだからだ。
「あの、セルジオさん。ちなみにここ、家賃は……?」
「こちらは冒険者向けの物件となっておりますので、共益費込みで月八〇万程となっております」
「八〇万!?」
その金額に、剣一が思わず吹き出しそうになった。当たり前だが、月八〇万の家賃は剣一の今の……どころか、祐二達と普通にダンジョンに潜っていた時期ですらとても払える額ではない。
先日のアトランディア遠征で何だかんだ五〇〇万ほど稼いだので払えないわけではないが、あれはあくまで臨時収入なので、それを基準に家賃を決めたりしたら一年後に待っているのは破産である。
「何よ、そんなに驚くところ?」
「そりゃ驚くだろ。八〇万だぞ!? 俺の稼ぎじゃ無理だって!」
「だからそこは、うちが払うからいいって言ってるじゃない。ケンイチはただ、何処に住みたいかだけ考えればいいのよ!」
「そうは言ってもなぁ……」
剣一の引っ越し先……日本国内の物件選びに聖ではなくエルが同行しているのは、偏にこれがアトランディアの……正確には剣一がレヴィを引き取ったことに起因しているからだ。
故に引っ越し先の大まかな選定をアトランディア側に任せる代わりに、引っ越しにかかる費用および家賃などの全てを国王イリオスが私費で支払うことになっている。
が、私費とは言っても相手は王様なので、結局は税金だ。それに剣一としても自分の生活費くらいは自分で稼ぎたいという思いがあるので、できればそこは遠慮したい。
しかしそんな剣一の悩みに、セルジオが改めて事情を語っていく。
「以前にもお話致しましたが、これらは全て我が国の都合を蔓木様に押しつけた対価であり、レヴィアータ様のお世話という仕事に対する報酬でもあります。なので蔓木様が費用のことを気にされることは一切ございません」
「でも……」
「それにそもそも、レヴィアータ様を国内で安全に保護するとなると、新たな施設の建設や警備人員の配属など、かかる費用はこれの比ではございません。それこそここを一〇〇年借りていただいても、こちらの方がずっと安上がりとなります」
「うっ……そ、そうなんですか…………?」
「そりゃそうよ。アタシだって少しとはいえ冒険者として働いてるんだから、八〇万円が大金だっていうのはわかるわよ? でも王女としてのアタシが国家の視点で見るなら、八〇万円なんて端数よ。
ていうか、六〇〇〇年もアトランディアを護ってくれていた相手に対してその程度の生活費しか出さないなんて、公表したら安すぎるって国民から文句がでるんじゃない? レヴィのしてくれたことは、お金なんかで変えられるものじゃないもの」
「むぅ……」
そう言われて、剣一は日本でも天皇家の維持に毎年一〇〇億円くらい使っているというネット記事を思い出した。確かにそれと比較したら、年間一〇〇〇万円の家賃というのは格安どころか爆安に思えなくもない。
「うーん、つまり俺の部屋代としてじゃなく、レヴィの保護代として考えろってことか? それならまあ……」
「でしょ? アトランディア側としても、レヴィをあんな狭い部屋に閉じ込めておくのは本意じゃないから、本当にお金のことは気にしなくていいわよ。だからここにしない? ね? ここがいいわよね?」
「うーん…………いや、やっぱりここに決める前に、他も見ていいか?」
「えー?」
「姫様、はしたないですぞ。そういうことでしたら、次の物件に参りましょうか」
露骨に残念そうな顔をするエルをセルジオが苦笑して窘めてから、一行はマンションを出て次の物件に向かう。そうして剣一が案内されたのは、ごく普通のビジネスビルであった。
「え、ここですか? でもここ、マンションとかじゃないですよね?」
「はい。こちらの一フロアが蔓木様にお貸しする部屋となります。中は冒険者用の訓練施設となっておりまして、広さは十分。空調や水回りの配管などもしっかりされておりますので、簡単な改修でキッチンやお風呂などを増設することができます。
加えて元が訓練施設ですから耐久性は高く、防音や耐震性能も個人宅とは比較にならないため、ドラゴンの皆様方が多少騒いだりしても問題になることはないと思います。
また室内空間も当然たっぷりありますので、パーティションなどで簡易的に壁を作り、そのなかに家具を並べることで自由に部屋を構成していただくことも可能かと」
「おお、それはちょっと面白そう……でも、普通はそういう使い方ってしないですよね? 何か理由があるんですか?」
「あくまでも私の個人的な見解となりますが、生活空間として一人で使うには広すぎというのがあるのではないでしょうか? またビルの一フロアですから、当然家賃や空調にかかる光熱費も通常の住居よりも大幅に割高になります。
かといって複数人でシェアするとなると、パーティションで区切った程度ではプライバシーが確保しきれませんから、余程気心の知れた相手でもなければ生活は難しいかと思います。
なので災害時の一時的な避難所などならともかく、ここを住居とする人はいないのではないかと思います」
「な、なるほど……まあそりゃそうですね」
「でもケンイチの場合は一人で住むんだし、今だってあの狭い部屋でギュウギュウ詰めの生活してるんだから、今更プライバシーがどうのなんて言わないんでしょ? お金の問題もないんだからここに住むのもアリなのかも知れないけど……ケンイチ、ここがいいの?」
「いや、流石にここはやめとくよ」
訝しげな表情で問うエルに、剣一もまた苦笑してそう答える。もしディア達の体がもっと大きくて、サイズの関係でここしかないと言われたならばここで暮らすことも吝かではないが、選べるのであれば普通の部屋で暮らしたい。
「では、次の物件に案内させていただきます」
そんな剣一の意向を汲んで、セルジオが更に次の物件へと車を走らせる。だがそうして三件四件と回ってみるも、剣一の中ではどれもしっくりこなかった。
(うぅ、こりゃ家賃には目を瞑って、最初のマンションにするしかねーかなぁ……)
「到着しました。こちらが蔓木様に紹介する最後の物件となります」
そんな考えが頭をよぎるなか、セルジオの車が止まる。赤く染まった空の下、剣一が降り立ったその場所に建っていたのは、生け垣に囲まれたひなびた雰囲気の一軒家であった。





