かしましドラゴン
「ごめん剣ちゃん。こんな時、どんな顔をすればいいのかわからないや」
「笑えばいいんじゃねーか? ハハハハハ…………」
六月二一日。アトランディアから帰国した剣一の家を訪ねた祐二が見たのは、寝室にデーンと置かれた巨大な水槽であった。
いや、まだそれだけなら親友が突然アクアリウム趣味に目覚めたと言えなくもない。部屋の三分の一を占めるほど大きな水槽を置くのはどうかと思うが、本格的にはまった趣味人であれば、このくらいはやっている人もいる。
しかし水槽の中身が、一メートルほどある立派な鮭となれば話は別だ。しかも……
「ウオーッホッホッホッホ! 貴方が剣一さんのご友人の祐二さんですわね? ワタクシは氷時竜レヴィアータ・アナスタシア・エフィ・カロリーナ・ヴァシリス・コスタ・オケアノスですわ! 特別にレヴィと呼んでも宜しくてよ。ウオーッホッホッホッホ!」
「ど、どうも…………」
それがひれを使って器用に水槽から半身を乗り出し、お嬢様口調で高笑いをあげる喋る鮭なら尚更だ。祐二は引きつった笑みを浮かべて、隣に立つ親友の顔を見る。
「ねえ、剣ちゃん。あれって……」
「あー、うん。まあ、あれだよ。向こうで会ったドラゴンだよ。何かこう、色々あって俺が面倒を見ることになったんだ……本当に、色々あって…………」
「そ、そうなんだ……へー…………」
黒い縦線の幻が見える親友の顔に、祐二はとりあえず言葉を濁しておく。どう声をかければいいのかこれっぽっちもわからなかったというのもあるが、それとは別にもう一つ、気になることがあったからだ。
「それで剣ちゃん、あっちは……?」
「あー、あれは…………」
「フーン! 何じゃ何じゃ、ワシが剣一の最初の相棒なのに、何でワシを差し置いて大冒険しておるのじゃ! すまほなどという便利なものがあるのじゃから、そこはワシを呼ぶべきじゃろ!」
テーブルに置かれた山盛りの菓子をかじりつつ、ディアがこれ見よがしに愚痴をこぼす。自分を放置して剣一とニオブがダンジョンを制覇したり強敵と戦ったりしたことを拗ねているのだ。
「だから悪かったってディア。でもほら、あの時は急ぎだったし……あと頻繁に転移魔法を使ったら駄目って教えてくれたの、ディアだろ?」
「そんなもの、周囲一帯を全部魔力で汚染……ゲフン、満たしてやれば誰も気にしなくなるのじゃ! それなのに、ワシだって活躍したかったのに……」
「ウオーッホッホッホッホ! 先輩は随分と器が小さいようですわね」
「……何じゃと?」
と、そこで挑発するようなレヴィの言葉に、ディアがギロリとレヴィを睨み付ける。鮭を睨み付けるぽっちゃりドラゴンという絵面はかなり面白いが、流石にこの場面では剣一も祐二もスマホを向けたりはしない。
「ワシのことを腐すとは、新参者こそ己の分をわきまえておらぬようじゃな? アァン?」
「ウオーッホッホッホッホ! そのように脅しても無駄ですわ。ワタクシのこの身は、剣一さんの庇護下にあります。もしワタクシに手を出したりしたら、剣一さんが黙っておりませんわよ?」
「ほほぅ? ケンイチの威を借るのは正しい選択じゃが、それこそがワシの機嫌を損ねるとは考えなかったのじゃ?」
「ですから、その態度が駄目だと申しているのです。いいですか? 最初に目を付けたなどというのは、その後の行動が伴わなければ大した意味はないのです。NTRやBSSは怠惰の結果であり、欲しいなら積極的に動くべきなのです!」
「お、おぉぅ!? なんじゃその、えぬてぃーとかびーえすとかは?」
「ご自身で検索なさいませ。その程度の手間すら惜しむようでは、本当に剣一さんをそこの亀に取られてしまいますわよ?」
「ウェイ? 俺ちゃんは誰かを独占したりしないぜ? 楽しいことも気持ちいいことも、みんなでシェアしてウェイするのが俺ちゃん流だからな!」
「まあ、貴方達がどう動こうと、最後に勝つのはこのワタクシ! 正確にはワタクシの推す我が愛し子ですけどね! ウオーッホッホッホッホ!」
「……何か、凄く濃い新人さんだね?」
「鯉じゃなくて鮭だけどな」
「あはははは……」
投げやりな親友のやけっぱちな冗談に、祐二は労りを込めて笑顔を返しておく。同時に今日は愛を連れずに一人でここにきた英断を、心から自画自賛しておいた。
「てかお前ら、あんまり騒ぎすぎるなよ? いくら防音がしっかりしてるからって、無限に音が漏れないわけじゃないんだからな?」
「わかっておるのじゃ。いざとなったら消音魔法でどうにかするのじゃ」
「その何でも魔法に頼ろうという姿勢は、あまりよくありませんわよ? 失って初めてわかるありがたみ……自分でできることは自分でやれるようになるべきですわ」
「言っておることは立派だと思うんじゃが、その魚の体で魔法がなかったら、一体何ができるというのじゃ? というか、そもそも何故魚なのじゃ!?」
「ウオーッホッホッホッホ! 宝石の如き愛し子を腹に抱える、母性の塊であるこの体の良さがわからないなんて、哀れなドラゴンですわね。
ああ、それともこのピッチピチの体が羨ましいんですの? 確かにこの引き締まった流線型のボディは、殿方を引きつけてやまないですものね。貴方のそのダルンダルンの体では、愛想を尽かされるのも時間の問題ですわ!」
「何を言うか! 最近はゆるキャラと言って、こういうのが流行っておるのじゃ! 少なくともお主よりは人気が出るのじゃ!」
「ふふふ、その強がりがいつまで持つか、楽しみですわね。ワタクシがトップスタアに上り詰めた暁には、貴方のお腹でチピチピチャパチャパ跳ねて差し上げますわ! ウオーッホッホッホッホ!」
「おいおい、人気の話で俺ちゃんを差し置くなんて許さねーぜ? いつだって俺ちゃんは最高に輝いてるのさ! ウェーイ!」
「お前ら本当に静かにしろよ! いい加減――」
バンッ!
「ひいっ!? すみません!」
騒ぐドラゴン達に剣一が声を荒げると、不意に部屋の中に何かを叩くような音が響いた。遂にお隣さんが我慢の限界を超えて壁ドンをしてきたのかと怯える剣一だったが、音の出所は幸いにして壁ではない。
「来たわよ、ケンイチ!」
「うぉぉー、エル!」
扉を開けて入ってきたのは、赤い髪に青い瞳、露出多めの服から褐色肌を惜しげもなく晒す王女様、エルであった。その細い腰に剣一が泣きながら抱きつくと、エルは顔を真っ赤にして慌てる。
「ちょっ、ケンイチ!? いきなり何するのよエッチ!」
「いやだって、もう限界なんだよ! ディアは拗ねてるし、ニオブはウェイってるし、レヴィもなんかずっと笑ってるし……あと俺の寝る場所もねーし!」
他に置く場所がなかったので、レヴィの入った巨大な水槽は剣一のベッドの上に置かれている。ならば剣一は何処で寝ているかというと、キッチン前の床に寝袋を出して寝ていた。もうそろそろ夏も近いので寒いわけではないが、精神的には凍えそうである。
「だから早く! 早く行こうぜ!」
「わかったわよ! わかったから離れて! もーっ!」
「あらあら、我が愛し子エル? そこは優しく抱きしめて包容力をアピールするところよ。あと貴方だとまだ胸は少し硬いでしょうから、頭の位置を下げさせて、むしろお腹のプニプニ感を堪能させた方が……」
「何言ってんのよレヴィ!? あーもう! あーもう! ほら、下でジイが車で待ってるから!」
縋る剣一を引き離すと、エルがそう言って視線を外に向ける。すると剣一も気を取り直して立ち上がった。
「そうだな……じゃあ祐二、ちょっとの間留守番頼むよ」
「うん、任せて剣ちゃん。まあまあほどほどに……頑張れるだけ頑張ってみるよ」
「いやほんと、無理はしなくていいからな。あとお前達!」
「何じゃ?」「ウェイ?」「どうかなさいました?」
「……帰ってきてまだ騒いでたら、そいつの部屋は押し入れになるからな?」
「ぬあっ!? それは酷いのじゃ! ドラゴン虐待なのじゃ!」
「光の差さない暗闇に俺ちゃんを閉じ込めるなんて、全次元の損失なんだぜ!」
「ワタクシ、お肌の調子を保つためにはきちんと日光を浴びないといけないのですが……」
「なら大人しくしとけってことだよ! ったく……んじゃ行くか」
若干後ろ髪を引かれつつも、剣一は部屋を出てセルジオの運転する車に乗り込む。
蔓木 剣一、一四歳。人生二度目の引っ越しに向けて、本日は物件の下見行脚である。





