アトランディア建国史 前編
明けて翌日、六月一五日。元「海の王冠」のあった場所は、ピリピリとした緊張感に包まれていた。
その理由は二つ。一つはこの地に国王イリオスが訪れていたことだ。現役の国王の来訪となれば、警備が厳重なのは当然である。
が、今日に限ればそちらの理由はおまけでしかない。何故ならその場には、巨大なドラゴンが横たわっていたからだ。
「おぉぉぉぉぉ……あ、いや、失礼しました。余が現アトランディア王国国王、イリオス・バシレオス・アトランディアでございます」
「そうですか。私は遙か昔よりこの地を守ってきた、氷時竜レヴィアータ・アナスタシア・エフィ・カロリーナ・ヴァシリス・コスタ・オケアノスです。再び我が愛し子達の王とまみえる機会を得られたこと、嬉しく思います」
頭こそ下げないものの明らかに下手に出た物言いで名乗るイリオスに、レヴィアータはスッと目を細め、静かな声でそう告げる。そんな一人と一体の背後では、剣一達もまた緊張の面持ちで事の成り行きを見守っていた。
「レヴィアータ、元に戻ってよかったわね」
「だな。これなら大丈夫そうだ」
エルの小さな呟きに、剣一が頷いて答える。昨日の夜、戦闘を終えた剣一達は、当然その場で詳しく事情を聞かれることとなった。加えてレヴィアータを放置するわけにもいかなかったため、結局一行は近くに施設があるにもかかわらず、レヴィアータのすぐ側で野営をすることに決める。
すると墜落からおおよそ三〇分ほどで、レヴィアータが意識を……レヴィアータとしての意識を取り戻した。そこで色々と伝えなければならないことがあるという話になり、急遽こうしてイリオスとの会談の場が設けられたわけである。
「我が愛しきアトランディアの子、イリオスよ。今から私が伝えることをよく聞きなさい。まず何より伝えなければならないことは、私の力によってアトランディアを護っていた結界が消えてしまったことです。これによりアトランディア国内で育てている農作物などに、今までよりも強く現地の環境の影響が出ることでしょう」
「それはつまり、不作になる可能性があると?」
「一概にそうとは言えません。が、今までのように安定した収穫は望めなくなるでしょう。幸いにしてこの地はそこまで厳しい気象条件にはないようですが、それでも不作に備え食料の備蓄には気をつけなさい。
また、現在使っている凍結庫……今の貴方は『収納袋』と呼んでいるのでしたか? そこの機能も停止しています。正確には『窓を開く術式』には影響がありませんが、私の力で時を凍り付かせていた部分が機能していません。
つまり、袋に入れたものの時間が、今は普通に流れています。低温環境ではあるので食料等の腐敗は大分遅いでしょうが、今までのように何十年、何百年と不変というわけではありませんから、それも気をつけなさい」
「ハハッ! であれば通常の備蓄倉庫と同じように扱わせていただきます」
「それがいいでしょう。それと、これが今までともっとも大きな違いとなるでしょうが……」
そこで一旦言葉を切ると、レヴィアータが空を見上げる。久しぶりに見る太陽は、何処までも眩しい。
「以後当分の間……あるいはもう二度と、アトランディアが他の世界に転移することはありません」
「「「えっ!?」」」
その言葉に、イリオスのみならず周囲にいたアトランディア関係者が全員揃って声をあげた。それは正しく、アトランディアの在り方そのものを変える発言だったからだ。
「ちょ、ちょっとお待ちください。転移しなくなる……!? それは一体どういうことなのですかな!?」
「言葉の通りです。そもそもアトランディアが周期的に世界を移動していたのは、私の力によるものでした。しかしそれが失われた今、アトランディアがここから次の世界に転移することはありません……いえ、できませんと言う方が正しいですね」
「そんな、まさか……それは、いやしかし…………」
「あの、ちょっといいですか?」
戸惑いに言葉を詰まらせるイリオスをそのままに、エルが控えめに手を上げた。すると全員の視線が一斉にエルの方に集まり、エルがビクッと体を震わせる。だがチラリと隣に視線を向け、剣一の姿を見たエルは気合いを入れ直して言葉を続けた。
「レヴィアータが転移させてたって言うなら、そもそも何でそんなことをしてたの? だって、凄く大変なことなんでしょ?」
力を失ったからできないということは、世界転移にはとても大きな力が必要だということだ。そしてそんなことを無意味にやり続けるとは思えない。エルの当然の疑問に、レヴィアータは軽く目を閉じてから答える。
「そうですね。それを語るには、私の過去とこの国の成り立ちから話さねばなりません。長い話になりますが……聞きますか?」
「勿論! お父様……じゃない、陛下もいいですか?」
「む!? う、うむ。無論だ」
エルに問われ、我に返ったイリオスが頷く。アトランディアの建国史は幾つか残されているが、その内容には割と違いがあり、どれが本当なのかはもう誰にもわからない。それを教えてくれるというのなら、王として聞かない選択肢などないのだ。
それに王でなかったとしても、純粋に興味がある。それは周囲の騎士達や剣一にとっても同じで、全員が聞く姿勢を整えたところで、レヴィアータがゆっくりとその大きな口から、遠い過去の話を紡ぎ始めた。
「あれは今から六〇〇〇年前。私はとあるドラゴンとの勝負に負け、ボロボロの状態でとある世界に降り立ち……いえ、落ちていきました。力の大半を奪われ、瀕死の状態で地面に横たわる私に、その地に住まう原住民達が集まってきます。
正直、私はそこで死ぬのだと思いました。いずれ神に至る存在だとしても、ドラゴンはまだ神ではありません。生物の範疇を逸脱してなお避け得ぬ滅びは存在し、死ぬときは死ぬのです。
ですがそんな私を見つけた原住民達は、私を手厚く介抱してくれました。それが空から落ちてきたものに対する神秘性故だったのか、あるいはもはや奪うことすら許されぬ世界に生きる者に最後に残された善性だったのかはわかりませんが、とにかく私はその者達によって救われたのです。
そうして助かった私は、彼らに心からの感謝を捧げました。その恩に報いるため、どうにかして彼らを助けたいと思いました。何故ならその世界はもう既にほとんど終わってしまっており、放っておいても一〇〇〇年もしないうちに無くなってしまうような状態だったからです」
「それは何とも…………」
「なあニオブ、世界の寿命が一〇〇〇年って、短いのか?」
驚きの表情を露わにするイリオスとは別に、剣一が素朴な疑問を口にする。一四歳の剣一にとって、一〇〇〇年というのは相当に長く感じられたからだ。
「ウェイ? 世界寿命一〇〇〇年は相当短いぜ? 動植物の九割以上は絶滅してるだろうし、残ってるのもほとんど子孫が残せないんじゃねーかな?」
「え、そんななのか!?」
「ええ、そうです。世界の滅びとは、何も人間が死に絶えることではありません。もっと大きな……本当に世界の全てが滅びるということなので、それ以前の段階でほとんどの命は死に絶えてしまいます。
実際、当時その世界にはまだ一〇〇万人ほどの人が生き延びていましたが、残る資源を食い合って争い合う大きな勢力が二つと、私を助けてくれたような、おおよそ一万人程度の小さな集落が幾つか残っている程度でした。
それに加えて、世界全体で出生率が大きく低下していたはずです。そのままであれば三世代目で五割を切り、五世代目には人口の九九%が失われていたと予想されます」
「おぉぅ、それは何かヤバそうだな……」
「ヤバいなんてもんじゃないわよ! そりゃ滅ぶわけね」
数字のインパクトで何となく顔をしかめる剣一に、エルがそう補足して納得する。そんな勢いで人口が減ったら、どんな世界のどれほど発展した文明だろうと滅ぶのは必然だ。
「私はそんな世界で賢明に生きる彼らを助けたかった。自分達が生き延びるだけでも厳しいなか、私のために限られた資源を使ってくれた彼らの愛に報いたかった。そのためならば、己が神に至る道を捨て去ることに何の躊躇いもなかった。
故に私は、私を助けてくれた人々を一カ所に集め、そこを結界で覆いました。その後結界の外……残っていた世界を全て食らいつくし、その力を全て費やすことで、結界で閉じた小さな世界を別の世界に転移させることに成功したのです。
それがこの国の始まり。残ったわずかな故郷にしがみつき、いつか理想の世界を見つけ、そこで平和に暮らすことを夢見る、優しき敗北者達の揺り籠。アトランディアは、そうして生まれたのです」
「「「……………………」」」
誰も予想すらできなかった、あまりにも壮大な建国史。その内容に、一同は言葉もなくただただ圧倒されていた。





