希望
「レヴィアータさん!? 突然どうしたんですか!?」
いきなり苦しみだしたレヴィアータを前に、剣一が戸惑いの声をあげる。するとレヴィアータの背後で、見知った男が歪んだ笑みを浮かべているのを見つけた。
「ぬぅ、一刺しでは死なんのか? ならもっと――」
「お前かあっ!」
「ぐあっ!?」
剣一の一撃が、再度短剣を刺そうとしていたニキアスを体ごと吹き飛ばす。すると床に落ちた短剣を見て、ニオブが思い切り顔を歪めた。
「うわ、こりゃヤバいな。こんなので刺されたら、体中の魔力がぐちゃぐちゃに暴れ回っちまうんじゃねーか?」
「そうなのか!? くそっ、レヴィアータさん! どうすれば……!?」
「お願いが……あります…………扉の奥に、あの子が…………どうか、連れて逃げて…………」
「……イッチー! ここは俺ちゃんが何とかするから、イッチーはエルルンを迎えに行ってやれ!」
必死に訴えるレヴィアータの目を見て、ニオブが悩む剣一に告げる。
「ニオブ? でも……」
「イッチーじゃ何もできないだろ? いいから任せろって。ドラゴン同士、ちゃんと解決してやるから!」
「…………わかった」
ほんの一秒見つめ合い、剣一が二人に背を向け走り出す。そうしてその姿が扉の向こうに消えたところで、ニオブは改めてレヴィアータンに声をかけた。
「にしても、本当に酷いな……一応聞くけど、どうにかできる方法はあるのか?」
「無理、ですね……これは私が…………ドラゴンを殺すために作った武器ですから…………」
竜殺しの短剣……それはここから動けないレヴィアータが、万が一アトランディアが襲われた時の切り札として用意した武器だ。こうして手が触れられるほど接近しなければ使えない代わりに、一刺しでドラゴンの莫大な魔力を狂わせ、自滅させることができる……その効果は作者であるレヴィアータが誰よりもよく理解していた。
「もうしばらくすれば、私の意識は……暴走する魔力に飲まれてしまうでしょう。放っておいても三日あればそのまま自滅しますが…………その間に、私はきっと愛するアトランディアを破壊してしまう…………だから、その前に…………」
「そっか、なら仕方ないな」
懇願するレヴィアータにそう告げると、ニオブの体が光に包まれる。そうして現れたのは、かつてよりいくらか小さくなった……だがレヴィアータと同じくらいの巨体を誇るドラゴンの姿。
「安心しろ。お前の力は、我が残さず喰らってやろう。その残滓が万に一つもこの国を傷つけることがないように、余すことなく全てをだ」
「叶うなら…………」
「……お前のように未来永劫とは言わぬが、エルルン……あの娘が生きている間くらいは守ってやろう。民も、国もな」
「…………感謝します」
「では、さらばだ。我が糧となれ、氷時竜レヴィアータ・アナスタシア・エフィ・カロリーナ・ヴァシリス・コスタ・オケアノス」
差し出された首に、ニオブが大きな口を開けて齧り付こうとする。だがその瞬間――
ズバァァン!
「っ!?」
「これはっ!?」
レヴィアータとニオブの間に、斬撃が走る。驚いたニオブが振り向くと、そこにはエルと並んで立つ剣一の姿があった。
「おいおいニオブ、そういう解決法はなしだぜ?」
「イッチー、何で!? 早すぎるだろ!?」
エルを目覚めさせ、状況を説明し、そうして剣一がここに戻ってくるまで、最低でも五分か一〇分くらいはかかるとニオブは踏んでいた。
何だかんだ優しい剣一がこんな解決法を認めるとは思わなかったし、剣一にそれを背負わせたくなかったからこそ、その前に全てを終わらせようとしていたのだが……
「こんなこともあるかと思ってな。秒で解決してきたんだよ!」
「そうよ! 本当に一瞬だったんだから!」
そんなニオブの覚悟と思い遣りを、剣一もまた何となく気づいていた。だからこそ剣一は台座で寝ているエルを割と強引に揺すり起こすと、寝ぼけ顔をしたエルに「扉の向こうのドラゴンを助けたいか?」といきなり問うたのだ。
そしてエルも、自分の中に渦巻く複雑な感情全てを押し込め、ただ一言「助けたい」と返した。互いに一言、ただそれだけのやりとりだったからこそ剣一達は最後の瞬間に間に合うことができたのだ。
「ば、かな…………なぜ、もどって…………?」
「ねえ、レヴィアータ。酷く落ち込んでるアタシに、貴方は優しくしてくれたわ。アタシにとってもほんの少し、ドラゴンの貴方からしたら、それこそ瞬きより短い一瞬だったかも知れないけど……でも、貴方がそうしてくれたように、アタシも貴方を助けたいの」
「エルルン、気持ちはわかるけど……」
「できるわ!」
ドラゴン状態のニオブに対し、エルは敢然と立ち向かう。その顔にはわずかの怯えの色すらなく、浮かんでいるのは自信に満ちた微笑だ。
「そりゃアタシ一人じゃ無理だろうけど、でもここには頼りになる仲間が二人もいるのよ? それとも何? そんなでっかい体に変身しといて、そのくらいのことができないとでも言うつもり?」
「そうだぜニオブ。それにもしもって時は、ちゃんと俺が片を付ける。それならいいだろ?」
「イッチー、エルルン…………ハッ、そこまで言われちゃ仕方ねーなぁ」
ニオブの体が光に包まれ、再び元の亀の姿に戻る。その有様を見て、レヴィアータが絶望に濡れた声をあげた。
「そんな、どうして……っ!?」
「悪いなレヴィアータ。でもここまで言われて格好つけないのは、俺ちゃんとしてもナシよりのナシなわけさ。
でもま、安心しろって。エルルンは技神の祝福を受けたスキル持ちだし、イッチーは俺ちゃんを一方的にボコれるくらい強いからな!」
「まさか、そんなことが……」
「あるのよ! だから安心して。アタシを助けてくれた人を、アタシは絶対見捨てない! アタシはアトランディア王国王女、エルピーゾ・プロタ・プリンギピッサ・アトランディア! ドラゴンなんてチョチョイのチョイなんだから!」
「希望……」
その名乗りに、レヴィアータは思わず目を見開いた。魂を食い荒らすかのように荒れ狂う魔力のなかで、その胸に浮かぶ灯が、確かに未来への標となって輝くのを感じる。
「わかりました。ならば……任せます。ただ、もしもの時は…………躊躇わず、私を…………あっ、アッ、アァァァァァァァァ!!!」
苦しみ悶えるレヴィアータの瞳から、海のように青い雫がこぼれた。それに合わせて全身の鱗が逆立つと、その隙間から白い冷気が漏れ始める。
「うおっ、寒っ!?」
「見て、レヴィアータの体が!」
その冷気で凍り付いたかのように、レヴィアータの全身が青白く変色していく。そうして変色が終わると、瞳から知性の光の消えたレヴィアータが、魔物のような甲高い鳴き声をあげた。
「クァァァァァァァァ!!!」
「うぉぉ、戦闘になると変身するとか、格好いいじゃねーか!」
「流石はイッチー、随分余裕だな?」
「ちょっとケンイチ、ふざけてるんじゃないわよ! 絶対助けるんだからね!」
「わかってるって。さあ、やってやろうぜ!」
狂乱するドラゴンに立ち向かうのは、小さな人間二人と白い亀。真にアトランディアの未来を賭けた戦いが、今ここに始まりを迎えた。





