激情の劇場
「エルー! 何処にいるんだよ、エルー!」
誰もいないダンジョンに、剣一の大きな声が響き渡る。だがどれだけ叫んだとしても、それに応える者はいない。
「くそっ、どうしたってんだよ!? 一体何が……!?」
用を足しにいったエルが戻らない。そんなシンプルな理由で剣一が動いたときには、もう全てが手遅れだった。セーフエリアだからかそこまで広くはない三〇階層をくまなく探索し、念のためにと三一階層にも降りて大声で叫んだが、返事はない。
ならばひょっとしてと三〇階層に戻り、剣一は罠を探し始める。すると少ししたところで、森の奥まったところに転移罠が存在することに気づいた。
サッと剣一の顔色が悪くなる。一瞬の躊躇もなく罠を踏み抜き、跳んだ先は人が五人も集まればぎゅうぎゅうになりそうな小部屋。これ見よがしにあった仕掛けに触れれば目の前の壁が横に動いて開き、その先に広がっていたのは……
「…………え、第一階層!?」
そこは存在を知らなければ決して気づけなかったであろう、第一階層と三〇階層を繋ぐ双方向の転移罠のある隠し部屋であった。
その事実に、剣一はホッと胸を撫で下ろす。もし深い階層に跳ばされていたならエルの実力だと魔物に殺されてしまう可能性が高かったが、第一階層ならそんなことはない。
「なんだよ、焦らせやがって……エルー! おーい、いるかー!?」
転移罠のなかには、AからBに転移するものの、Bに乗るとAではなくCに跳ばされる……つまり転送先と転送元が一致しないものも存在する。剣一はディアの鱗である程度それを調べられるが、エルにそれを調べる術はない。
ならばこの転移罠に再度乗らず、第一階層に留まるのはむしろ正解だ。エルの優れた判断に感心しつつ剣一は声をあげたながらダンジョン内部を歩き回ったが、予想に反してここでもエルの声は返ってこなかった。
「おっかしいな。まさか合流するために降りた……? それとも一旦外に出たとかか?」
ここが普通のダンジョンなら、剣一も軽く外に出て、近くにいた警備の騎士に「エルが出てこなかったか?」と聞くことができた。だがこのダンジョンはエルがいないと出ることはできても入り直せない。
やむなく剣一は第二階層に降り、第三階層に降り……何処まで行ってもエルの痕跡がないことに、再び焦りと悩みを覚える。
(どうする? このまま普通に降りていくか? それともショートカットを使って一気に降りる? どっちにしろ途中の階層で魔物に出会ったら、エル一人じゃ勝てないだろ。
おかしい、エルがそんな馬鹿な選択するか? ひょっとして何か見落としてるのか?)
剣一は思わず鞄に入れたスマホに手を伸ばす。だが電波が届かない以上、祐二に相談することもできない。
(どうする? どうする? どうすればいい!? 今俺が一番急いでするべきことは何だ!?)
剣一だけなら、ダンジョンを駆け抜けることは容易い。だが剣一だけでは広いダンジョンを隅々まで探すのは時間がかかりすぎる。
(……一旦出よう)
強さより、数。自分にできることとできないことを見極め、剣一は情けなさと悔しさに拳を握りながらも、ダンジョンを出る決意をした。外に飛び出しセルジオに連絡すると、すぐに馬車を飛ばして王城へと直行し……
「何だと? エルピーゾがいなくなった?」
「はい」
通された謁見の間にて、驚愕する国王イリオスに剣一が告げる。そのまま今さっき起きたとこと……と言ってもエルが用を足しにいったら、そのまま姿を消してしまったということだけだが……を伝えると、険しい表情を浮かべるイリオスに剣一が必死に訴える。
「お願いします、王様! エルを助けるのに手を貸してください!」
「む、そうだな。そういうことなら……」
「お待ちください陛下!」
と、そこで謁見の間に、若い男の声が響き渡る。全員の視線が集まる先からやってきたのは、エルの兄であるニキアスだ。
「ニキアス? 待てとはどういうことだ?」
「どうもこうもありません! そのような詐欺師の言葉に踊らされてはなりませんぞ!」
「さ、詐欺師!? 俺は嘘なんて――」
「黙れ下郎!」
驚きつつも抗議する剣一を睨み付け、ニキアスが怒鳴る。それからニヤリと嫌らしい笑みを浮かべると、全てを見透かしているかのような顔で言葉を続けた。
「たとえ陛下は騙せても、この私は騙せん。これは事故などではない。お前が……この男が我が妹を殺したのだ!」
「「「なっ!?」」」
ニキアスの主張に、謁見の間をざわめきが揺らす。そんななか最初に声をあげたのは、当然剣一だ。
「ふっざけんな! 何で俺がそんなこと――」
「ふざけてなどいない。そもそもお前の報告は、根本からおかしいのだ。冒険者がダンジョンに潜る際、排泄を抑制するポーションを飲んでいることくらい私でも知っている。なのにお前は、妹が突然催したという。まずこの時点でおかしい」
「それは……いや、俺もそう思うけど……」
エルの飲んだポーションの効果が半減していたのは、当然ニキアスの手によるものだ。だがそれを知る者がいるはずもなく、となれば剣一の報告こそがおかしいという認識が周囲に広がる。
「それに、だ。排泄中が隙だらけであることなど、馬鹿でも知っている。いくらあの妹でも、恥と命を天秤にかけたりはすまい。だというのにお前は、妹が自らの意思で自分から離れたと言う。ダンジョンでも滅多にない魔物が現れぬ場所だったからという理由でな。
何だそれは? どんな偶然だ? しかもその結果、妹がいなくなった!? たまたま魔物のいない場所で、あり得ない排泄欲を感じ、妹が自分から姿を消した……全部『だから自分には何の責任もない』という言い訳を成り立たせるための情報ばかりではないか! そんな都合のいい話を、一体誰が信じるというのだ!?」
「ちがっ!? 俺は、そんな……っ!?」
エルは、自分達がその日どのくらいダンジョンを探索したかを毎日しっかり報告していた。そのペースから逆算することで、今日のエル達はおそらく昼頃に第三〇層に辿り着くだろうことをニキアスは予想する。
であれば、多少時間が前後しようと魔物のいない場所で食事や休憩を取るのは必然。排泄抑制のポーションも効果が切れた瞬間に催すなどというものではないので、効果時間を半分の四時間にすればちょうどいい感じになる。
そう、全てはニキアスの計算。故にこの言い訳もまた、ニキアスの計算のうち。客観的な証拠が何も出てこない場で、数日前にこの国に来たばかりの男の言葉を、一体誰が鵜呑みにするというのか?
広がるのは不信。ニキアスのことをよく思っていない者であろうとも、どちらの筋が通っているかと言われれば、ニキアスの言い分の方を選ぶ空気。それにいたたまれず剣一がキョロキョロと顔を動かすが、味方などいるはずもない。
否、この場で唯一セルジオだけは、剣一のことを気にかけている。故にその口が開きそうになるが……その前にニキアスがとどめとなる言葉を投げる。
「観念しろ詐欺師よ! お前の考えていることなどお見通しだ! お前はあの愚かな妹に取り入り、妄想の片棒を担ぐことで陛下に気に入られ、妹に王位を取らせることで自分も甘い汁を吸おうとしていた。
だがあの日、お前は私と出会った。妹とは比較するのも烏滸がましいほど優れた王の資質を持つ私の姿に、お前は妹が絶対に勝てぬと絶望したのだ。
故にお前は妹を亡き者とし、その破滅に自分が巻き込まれぬようにしたのだ。目撃者もなく助けを呼ぶ声も届かぬダンジョンの奥でならば、雑に殺して死体を魔物に食わせてしまえばそれで終わりだしな。
どうだ詐欺師よ……いや、我が妹を殺した犯人よ! これが事の真相であろうが!」
「っ…………」
あまりにも酷い濡れ衣に、剣一の頭が真っ白になって言葉を詰まらせる。だが場の空気は、その反応を図星を突かれたからだと錯覚させる。
「さあ、陛下! ご決断を! この詐欺師の少年を今すぐ処刑するのです!」
誰もが自分を肯定する。誰もが自分の言葉を正しいと受け入れる。これこそが本来自分のあるべき姿だと興奮し、場を統べる王としてニキアスが堂々と声をあげた、まさにその時。
「話は聞かせてもらったウェーイ! アトランディアは滅亡する!」
場違いに陽気な声と共に姿を現したのは、ピンクのハートを甲羅に背負う真っ白なゾウガメであった。





