ショートカット
「着いたー!」
「おおー!」
六月一四日。アトランディアでの予定滞在期間も半分を過ぎたところで、剣一とエルは遂に「海の王冠」ダンジョンの三〇階層へと辿り着いた。青い色をした不思議な木が周囲を囲むなか、大きく開けた内側にはこれまた不思議な形をした海藻が花畑のように咲き乱れ、中心部には丸っこいデザインの白くて大きな神殿風の建物が建っている。
「やっと着いたわ! ここが三〇階層なのね。うわー、アタシ初めて来たわ!」
「おいエル、一人で行くなよ! 危ないぞ!」
はしゃいだ様子で走り出すエルに、剣一が声をかける。するとエルがピタッと足をとめ、恥ずかしそうにポリポリと頬を掻いた。
「へへへ、ごめん。つい嬉しくなっちゃって……でも、多分ここも魔物は出ないんじゃない? ほら、同じような見た目の一〇階層と二〇階層も魔物出なかったじゃない」
「まあ、確かに。でも絶対ってわけじゃねーんだから、油断するなよ」
「はいはい、わかってるわよ!」
剣一の注意を聞き流し、エルが走るのをやめて歩き出す。正直この辺まで来ると、今のエルでは出会う魔物が強すぎて足止めすら難しい。もし完全にエル一人であったなら、七か八階層くらいでとっくに探索を諦めて引き返していたことだろう。
が、今は剣一がいる。世界を喰らうドラゴンすら一方的に討ち倒した剣一からすれば、ダンジョンの魔物など多少強かろうが弱かろうが関係ない。最初は守られるばかりなのを良しとしなかったエルも、対峙する魔物の強さが一定を超えたところで開き直り、気持ちを切り替えた。
つまり、冒険のいいところだけをつまみ食いし、楽しむことを許容したのだ。剣一としても同行者がずっと無力感に苛まれてしょんぼりしているより、まるでアトラクションか何かのように楽しんでくれる方が自分だって楽しいので、その変化をむしろ積極的に受け入れ……結果として二人は、こうして苦しさ二割、楽しさ八割のダンジョン探索を続けてきたのである。
「ねえケンイチ、せっかくだからここで少し休憩にしましょうよ! もうお昼は過ぎてるでしょ?」
「んー? あー、確かにそうだな。ならそうするか」
取り出したスマホの電波は当然届かないが、表示されているデジタル時計は午後一時を少し回ったところだ。自分の腹に意識を向けてみれば、確かにそろそろ何か食わせろと訴えかけてきている。
「お昼何がいい? 簡単にすますならサンドイッチとかだけど、せっかくこんないい場所なんだから、もっと手の込んだ料理もアリよ?」
「そう言われると迷うな……昨日はラザニアみたいなの食ったし、その前はケバブみたいなの食べたから……」
「ムサカとスブラキね。それなら……あ、焼きたてのクレフティコもあるわよ。あと海鮮塩やきそば」
「焼きそばだけ方向性違わね?」
「そんな細かいことどうでもいいでしょ。アタシ焼きそばにしようかなー、ケンイチはどうする?」
「……なら、俺も海鮮焼きそばで」
異国風の名前の料理が並ぶなか、安心の日本料理(?)である焼きそばを選んで二人で食べる。大きな海老やイカの入った塩焼きそばはさっぱりした味わいで、空きっ腹に炭水化物が染み渡っていく。
「これ美味いな……てか、まさかダンジョンで焼きそば食うとはなぁ」
ダンジョン内に焼きそばを持ち込むことは、可能か不可能かで言えば当然可能だ。が、焼きたての美味しい状態を維持したままとなれば話は別。
「エルのその……収納袋? やっぱりスゲーなぁ。くそっ、俺も欲しいのに全然出ない……」
「そりゃそんな簡単に手に入るなら、秘宝なんて呼ばれてないわよ。それよりケンイチ、午後はどうするの?」
「そうだなー。できれば次のショートカットは見つけておきたいけど……」
ダンジョンというのは、当然広い。たとえば剣一達が入り口からここまで徒歩で降りて来たら、最短距離を移動したとしても三日くらいはかかるだろう。
が、このダンジョンに限らず、冒険者はもっと深い層まで日帰りで移動する。その種明かしはダンジョンの罠を利用したショートカットだ。多寡埼ダンジョンでミノタウロスのいた階層に移動したように、転移罠を意図的に踏むことで、長距離を一気に移動するのである。
ただし、先人がその身を以てルートを開拓してくれた多寡埼ダンジョンと違い、この「海の王冠」は未探索のダンジョン……つまりどの転移罠が何処に飛ぶかわからない。当然危険を伴うし、一方通行の転移罠に乗ってしまうとパーティが分断されてしまうという危険があるわけだが……
「ケンイチのそれ、反則よね。何ならアタシの収納袋よりよっぽどチートじゃない?」
「ふふふ、そうか?」
ニヤリと笑う剣一が手に持っているのは、ぬらりと艶めく黒い鱗。ディアのデリケートゾーンから剥がれ落ちた鱗は、かざすと転移罠の魔力の流れる方向に反応を示すようになっている。それによりその罠が上下どちらに跳ぶのか、一方通行か双方向かがわかるのだ。
それを上手に活用することで、剣一達は極めて効率的に転移罠のショートカットルートを構築していた。
「でも俺的には、もっとこう……かざしただけで第何階層に跳びますとか、そういうのが視覚的に見えてくれたら嬉しいんだけどなぁ」
「それは流石にチート過ぎでしょ。アンタゲームのやり過ぎよ?」
「無限に入って時間の止まる収納袋の方がよっぽどゲームだと思うんだが……まあいいか。んじゃ飯も食ったし、そろそろ行くか?」
「そうね。なら…………あっ」
「ん? どうかしたのか?」
立ち上がったエルが、不意にプルッと体を震わせた。その様子に声をかけた剣一に、エルが少し離れた森の方を指差して言う。
「ちょっとトイレに行ってくるわ」
「トイレ? あれ、ポーション飲んでないのか?」
排泄を抑制してくれるポーションは、一定以上の冒険者なら誰でも飲むような必需品だ。なので首を傾げる剣一に、エルは顔を赤くして怒鳴る。
「飲んだわよ! でも何かこう、急にしたくなったって言うか……えぇ、何で?」
「いや、俺は知らねーけど……ならその辺ですればいいだろ?」
「嫌よ! そりゃどうしようもなかったらそうするけど、ここ魔物出ないでしょ? なら見えないところでしてくるに決まってるじゃない!」
まだ子供とはいえ、エルもまた冒険者だ。もしここが普通に魔物の出る階層であったなら、どんなに恥ずかしかったとしても剣一の視界から出るようなことはしなかった。
だが魔物が出ない安全な階層であるなら、剣一の前で用を足すなどあり得ない。べーっと舌を出して抗議の意を示すと、エルは若干内股になりながら近くの森へと入っていった。
そうして剣一の姿が見えないこと確認すると、腰を下ろして用を済ませる。スッキリして下着をあげたところで、不意に背後からガサガサと音が聞こえた。
「な、何!? えっ!?」
広場とは反対側なので、剣一ではあり得ない。ならば魔物かと身構えるエルの目の前に現れたのは、闇に紛れる黒髪の男。
「お兄様!? どうして……っ!?」
何故ここに兄がいるのか? どうしてそんな場所から現れたのか? ひょっとして自分が用を足している姿を見られたのではないか?
焦り、羞恥、混乱。様々な感情が駆け巡り、エルの思考が固まってその体が動かないでいると、ニキアスが何かを持ったまま自分に向かって振り下ろしてくる。
それが武器であったなら、エルも警戒しただろう。あるいは無様に転げることになったとしても、無理矢理その場を飛び退いたかも知れない。
だがニキアスが持っていたのは、白とピンクの縞模様をした如何にも安そうなフラフープ。単なる玩具、しかもふわりと自分に被せるようにゆっくりな動作に危機感を覚えなかったせいで、エルの困惑は回避より優先されてしまい……
「っ…………」
「……フッ。さらばだ、我が愛しき愚妹よ」
フラフープが頭から足までストンと通り抜けた時、そこにエルの姿はなかった。





