父と王太子
そうして剣一達が楽しくダンジョンを攻略している頃。アトランディアの王城でも事態が動いていた。
「これは一体どういうことですか、陛下!」
王の執務室。ノックもせずに扉を開け、許しも得ずに大声で叫ぶ来訪者の姿に、国王イリオスは深い嘆息を漏らした。もしも相手が単なる一兵卒程度であれば叱責ではすまないが、それが王太子となれば話は別だ。
「……まずは扉を閉め、声を抑えなさい、ニキアス。如何な身分であろうと、礼節を持たぬ者に敬意が払われることはないぞ」
「し、失礼しました、陛下」
父に諭され、ニキアスは素直に謝罪してから扉を閉める。だがそのしおらしい態度も保ったのは一瞬だけだ。
「それより陛下、エルピーゾに『海の王冠』の探索許可を出したというのは、一体如何なる了見からですか!」
「その件か……余の考え以前に、エルピーゾは歴とした王族だ。『海の王冠』は王族しか入れぬが、特に立入を制限しているわけではない。あれが入りたいと思えば入るのは自由であろう?」
「詭弁を! エルピーゾのみならず、得体の知れない小僧にまでダンジョン探索の許可を与えたことは聞き及んでおりますぞ! そちらはどう説明するおつもりですか!?」
「蔓木殿のことか? 今回の事で言うなら、むしろ蔓木殿の希望が主体だ。彼の者の働きに対する褒美として、探索を許可した」
「褒美……っ!? 一体何に対する褒美なのです!? 妹の妄言に付き合って、ペットの亀を連れてきた褒美ですか!?」
イリオスの言葉に、ニキアスは声を荒げながら執務机に近づいていく。
「それともシデロを倒した事に対する褒美ですか? ハッ! それこそあり得ない。剣を交えたわけでもなく、ただ数秒見つめ合っただけでシデロが負けを認めた!?
おかしいでしょう! どうしてそんなものを『正当な勝負』と認められるのです!?」
「それは……お前もあの場でシデロの様子を見ればわかったと思うが……」
「様子!? であればシデロは一流の役者ということになりますね。詐欺師の少年と結託して陛下を騙すなど、国家反逆罪で首を刎ねてもよいところです」
「ニキアス! お前は我が国の騎士団長たるシデロを疑うのか!?」
その物言いに、今度はイリオスが声を荒げた。しかしニキアスは王の恫喝を平然と受け止め笑う。
「ええ、そうです。どのような立場の人間であろうと、疑わしきは疑うべきでしょう。むしろ身内だからと信頼で目を曇らせる行為こそあり得ない!
それに陛下とて、これが他国の話であれば、そんな馬鹿なとお疑いになるのでは? それとも妹のことも含めて、他国の方々に自分の判断が如何に滑稽であるか聞いて回りますか?
もしそれを実行されるなら、是非私に王位を継承してからにしてください。アトランディアの品位が疑われますので」
「ぐぬっ…………」
嘲るような息子の言葉に、しかしイリオスは言葉を詰まらせる。実際イリオスとて、自分があの場におらず事後説明だけを受けたなら、一体どういうことなのかとシデロをきつく問い詰めたであろうことは想像に難くないのだ。
「ふぅ……まあいいでしょう。褒美を与えたという事実そのものについての是非は、また後ほど問わせてもらいます。話を戻しますが、陛下はどのようなお考えで、こんな褒美を与えたのですか? まさかとは思いますが……」
「……お前の考えているようなことではない。というか、むしろお前ならば賛同するかと思ったのだが」
「私がですか?」
父の言葉に、ニキアスは怪訝な表情を浮かべる。その様子にイリオスはあらかじめ用意していた答えを口にした。
「そうだ。確かに『海の王冠』は王家が管理するダンジョンだが……逆に言えばそれだけだ。あそこの探索許可を出したとして、王家に何の損失がある?」
「それは……確かに何もありませんが」
「そうであろう? 強いて言うなら制限の関係上大規模な探索ができぬから、一般開放されたダンジョンよりは宝が多く眠っている可能性はある。が、そもそも手に入れられぬものをエルピーゾ達が持ち出したとして、それを損失とは呼ぶまい。
エルピーゾと蔓木殿に渡す褒美は、名誉。金銭でも権利でもなく、王族しか入れぬダンジョンに入ったという名誉だけで全てが済むなら、これが一番安いのではないか?」
「む…………しかし、陛下はエルピーゾにアトランディアの秘宝たる『収納袋』を貸し出したとお聞きしましたが?」
「あれの詳細は、お前なら……お前だけは知っておろう。あの袋は単なる袋。真に重要なのはあの袋に付与された『窓を開く術式』そのもの。あれが失われたとて痛くも痒くもないからこそ貸し出したのだ」
アトランディアの秘宝は、秘宝に非ず。秘宝を作る秘法こそが、真なるアトランディアの宝。その手段は王しか知らないため王位を継承していないニキアスには教えられていないが、「そういうものだ」という事実だけはいずれ王位を継ぐ者として教えられていた。
「お前がエルピーゾや蔓木殿のことをよく思っていないことはわかる。だからこそ余は、あの二人に単なる気持ちの問題でしかない『名誉』を与え、一見貴重だが実は価値のない『秘宝』を貸した。
不確かな成果に不確かな褒美を与える……お前の価値感からそうズレてはいないのではないか?」
「……………………」
イリオスの言葉に、ニキアスが黙り込む。確かに自分が王の立場でどうしても二人に褒美を与えなければならないのであれば、これは最適な選択に思える。だが……
「本当にそれだけですか?」
「何だと?」
「確かに陛下の言うことは筋が通っております。しかしそこには、別の意図があるのではありませんか? たとえばそう、これをきっかけとして、私ではなくエルピーゾに王位を委譲しようとしているとか?」
「……はぁ、何を言い出すかと思えば。アトランディアの王太子はお前であろう?」
目を細めて問うニキアスに、イリオスが呆れた声で言う。だが父のその態度に、ニキアスが安心することはない。
「確かに、今の王太子は私です。ですが将来に渡っては? もし陛下が確実に私に王位を継承してくださるというのであれば、ここで明言していただけませんでしょうか?」
「……それは無理だな」
「何故でしょうか?」
「お前とてわかっているだろう。いや、わかっているからこそそう聞いているのだろう? 王の言葉は重く、人の未来はわからぬ。怪我や病で政務に耐えられぬ状態になるかも知れぬし、悪意につけ込まれたり惑わされたりした結果、何者かの傀儡にされることだってあるかも知れぬ。
故に『今は』お前だと言うことはできても、『必ず』お前だとは言えぬ。そしてお前がすべきことはそのような言質をとることではなく、いつ如何なる時でも自分が王位を継ぐに相応しい存在であるということを、その言動で示し続けることだ。
違うか?」
「いえ、全くその通りです。では陛下、聞きたいことも聞けましたので、これで失礼させていただきます」
「うむ。退室を許可する」
そう言って頷くイリオスに一礼すると、ニキアスは執務室を出て自室へと戻っていった。余人のいないその空間で、ニキアスは隠すことなく苦々しい表情を浮かべる。
「まさかとは思ったが……本当にあの愚妹に王位を継がせるつもりなのか? 一体何がそう決断させた?」
幼き頃から王としての父を見続けていたニキアスには、父の言動の「中心」が何処にあるのかがわかる。決して嘘はつかないし、幾つもの言葉を周囲に飾ることで巧妙に誤魔化そうとしていたが、そんなものはニキアスには通じない。
故にニキアスは、父の言葉の中心……つまり「王位継承」に関して、その決意が揺らいでいることを敏感に感じ取った。今はまだ自分の方が優位だが、もし父や母がその気になって立ち回れば、風向きは変わる。
「猶予も慈悲も、もはや無し。これは私が直々に動かねばならないか……」
わずかな焦りを感じてはいても、切り札は既に己の手の中にある。ニキアスは誰にも気づかれぬように、ひっそりと準備を進めていった。





