浪漫と現実
「おお、サギハン……サハギン? どっちでもいいか。とにかくやっぱり、海っぽいモンスターが出るんだな。よっと」
「ギャッ!?」
全身をぬらぬら光る鱗で覆われた魚人間を前に、剣一が軽く剣を振るう。すると魚人の魔物……サハギンが正しい……は抵抗らしい抵抗をすることも敵わず、あっさりと両断されて魔石に成り果てた。
「うっし。エルー? そっちはどうだー?」
「もうちょっと待って! うぅぅぅぅ……よし、切り替え終わり! いくわよ、ファイアアロー!」
「ギョァァァァ!?」
そんな剣一の背後から、<共感>の対象を変えたエルが魔法を放つ。するといきなり仲間がやられて動きの止まっていたサハギンの肩に火の矢が命中した。
だが火傷こそ負ったものの、まだまだやる気を漲らせているサハギンがエルを睨んで向かってくる。
「ギョーッ!」
「むぅ、やっぱり弱いわね。なら……ファイアアロー! ファイアアロー!」
そんなサハギンに対し、エルが更に魔法を連発する。二発目が太ももに当たってよろけると、三発目が顔に命中。燃える炎を吸い込んでしまったサハギンはそのまま地面に倒れて悶え苦しみ、そのまま息絶えるとその体が消え、代わりに魔石がコロリと転がった。
「やったなエル! で、どんな感じだ?」
「炎系はどうしても相性が悪いから、<水魔法>の時と比べると、純粋な魔法としての威力は七割くらいかしら? でもここの魔物って全然水魔法効かないから、結果として見たらこっちの方が強いと思うわ」
「そっか。まあ三発で倒せるなら十分だろ」
スライムやゴブリンなどの定番の魔物を除くと、「海の王冠」に出てくる魔物は、その名の通り海にちなんだものが多かった。そのせいでエルがいつも使っている水系統の攻撃魔法は効果が大きく減衰しており、このままではかなり浅い層であっても足手まといにしかならない。
そこでエルは、<共感>のスキルで宿す魂を、いつもの巫女から炎の魔女と呼ばれた偉人に切り替えた。その結果が今の戦闘であったわけだが……
「とりあえず……そうね。今気づいた欠点は二つかしら?」
「ほほぅ? それは?」
「一つ目は、単純に発動の遅さよ。今までずっと巫女様の力しか借りてなかったからわからなかったけど、<共感>を使う対象を切り替えるのがこんなに大変だとは思わなかったわ。
ヒジリがいればこの状態で固定すればいいけど、今は毎回<共感>を発動させないとだし……今はケンイチが前衛をやってくれるから平気だけど、一人だとちょっと使い物にならないわね」
「ふむふむ。そこは要練習だな」
後衛職が単独で戦えないのは、そう珍しいことでもない。ただスキルを発動させるときの重さや遅さは致命的な問題になりうるものなので、今後も当分は自分が引きつけ、エルに戦う経験を積ませる方がいいだろうなぁと考えつつ、剣一は追加で問いを重ねる。
「んで? あと一つは?」
「それは勿論、この匂いよ。ケンイチだってわかってるでしょ?」
「あー……」
苦笑するエルに、剣一もその場で唸る。火の魔法を使ったせいか、辺りには魚の焼けるいい匂いが漂っているのだ。流石にサハギンを焼いて食べたいとは思わないし、そもそも魔物の死体は消えて魔石になってしまうのだから食べようと思っても食べられないのだが、だからこそ食欲をそそる匂いが広がるというのは注意力を削られる。
「毎回これを嗅ぐくらいなら、別の偉人に<共感>した方がいいかしら? 雷の弓士……は弓がないと駄目よね、多分。氷壁将軍……重武装の騎士だったけど、これ氷魔法もいけるのかしら? うーん……」
「なあ、エル?」
そうして悩むエルに、徐に剣一が声をかける。その表情はどこか照れくさそうで、かつその目は期待に輝いている。
「あのさ……もう一回入れさせてくれない?」
「え、またぁ!? アンタじゃ無理だってわかってるでしょ!?」
「いや、そうだけどさ。でもほら、次は入るかも知れないし……」
「駄目よ! 破れちゃったらどうするわけ!?」
「大丈夫だって! そっとやるから! 少しだけ! ちょっとだけだから!」
「はーっ、仕方ないわねぇ……」
懇願する剣一に、エルは大きくため息をついて自らの腰に手をかける。そうして取り出したのは、一見見窄らしくすら見える、茶色い小さな袋だ。
「はい、どーぞ。でもそっとよ? そっとだからね!」
「わかってるって! いくぞ……」
差し出された袋の口を開け、剣一は今拾ったばかりのサハギンの魔石を押し込もうとする。だがダンジョンの入り口で感じたのと同じ不思議な抵抗があり、剣一がどれだけ魔石を押しつけても袋の中には入らない。
「ふんぬっ! ぐぐぐぐぐ……!」
「痛い痛い強い強い! もー終わり! ほら、それ貸して!」
「あっ!?」
強引に押し込もうとする剣一の手から、エルが魔石を奪い取る。そのまま手を突っ込むと、今度は簡単に袋の中に魔石が入っていった。
「くっそー、やっぱり駄目なのか……」
「駄目に決まってるでしょ! これ何回目だと思ってるのよ!」
「そうだけどさ! でもほら、浪漫じゃん!」
「知らないわよそんなこと!」
食い下がる剣一に、エルがそう言い捨てる。剣一が拘るそれは、ゲームなんかでは定番……そして現実なら絶対にあり得ないと思われていた、見た目からは想像できない量が入る収納袋である。今回のダンジョン探索において剣一ではなくエルに貸し出されたそれは、間違いなくアトランディアの秘宝の一つだ。
「うぅぅ、俺も欲しい……」
「流石にこれはくれないと思うわよ? っていうか、もらってもアンタじゃ使えないんだし」
生き物以外は何でも入り、中に入れた物の時間が止まるというまさに夢の魔導具である収納袋だが、そこには当然使用制限もある。その中でも最たるものが、「アトランディアの王族にしか使えない」うえに、「アトランディア国内でしか使えない」という二つの縛りだ。
この時点で、収納袋の価値は大きく下がる。「王族専用」だけなら国外での活動に利用できたし、「国内専用」だけならこれを使えば物流に多大な恩恵を与えられる。
だが、余程の非常事態でもなければ、王族に下っ端の荷運びのような仕事をさせるわけにはいかない。「王族専用」と「国内専用」という二つが揃ってしまったことで、この袋の使い勝手は想像以上に悪かった。
「まあ、気持ちはわからなくもないけど。アタシだって初めてこれの存在を聞いた時はビックリしたけど、実際には年に一回、余剰分の食糧を長期保存目的で突っ込む時にしか使わないって聞いた時はガッカリしたもの。
でも、そうよね。改めて考えてみると、そのくらいしか使い道ないのよね」
出し入れが王族しかできない時点で、普段使う消耗品を入れるのには向かない。加えて万が一王族が全滅した場合に誰も中身が取り出せなくなってしまうため、本当の貴重品をしまうのも躊躇われる。
中に入れた物が劣化しないというのは素晴らしい効果だが、上記の条件を全て満たすうえで劣化して欲しくない物となると、もう歴史資料くらいしかない。そしてそれは実際入っているが、劣化させないために入っているのだから、それこそ城の書架に普通に存在する写本が大きく破損した時くらいしか取り出されないため、やはり収納袋が使われないことに変わりはない。
つまるところ、凄い魔導具なのに基本倉庫の片隅に置きっぱなしというのが、この収納袋の在り方であった。
「まあでも、そういう扱いだからこそアタシに貸してくれたんだろうし、そのおかげでアンタだってこうしてダンジョンに潜れるんだから、それでいいでしょ?」
「うぐぐ……よし、決めたぞ! 俺もこのダンジョンで、俺専用の収納袋を手に入れてやる!」
「え? 別にこれ、ここで見つかったわけじゃない……のかしら? どうなんだろ?」
「王族専用って共通点があるんだし、ここなんじゃねーの?」
「そう言われればそうっぽいけど……あれ? ひょっとして見つかるの?」
「ふはははは、やっぱりな! うぉぉ、やる気が漲ってきたぜー!」
「ちょっ、ケンイチ!? 待ちなさいよ! まったくもー!」
いきなり雄叫びを上げて走り出した剣一を、エルが苦笑しながら追いかけていく。二人のダンジョン探索は、まだまだ始まったばかりだ。





