変わらない気持ち
「むぅ…………」
「何でケンイチがそんな顔してるのよ」
「いや、だって…………むぅ」
ニキアスと別れた後。呆れたような目をエルに向けられつつも、剣一はひたすら唸っていた。これが葛井のような関わりのない相手であれば「何だよあいつ、むかつくなー!」で済むのだが、友人の兄となるとそうもいかない。
「てか、エルは平気なのか? スゲー言われ方だったけど」
「アタシは……まあ、慣れてるしね」
「慣れてるって……」
その言葉に、剣一は表情を曇らせる。あんな言動を「慣れた」と言ってしまうエルのことが心配でたまらないが、かといって人の家族の問題に気軽に口を挟むこともできない。
「むぅぅぅぅ…………っ!」
故に剣一は唸る。今すぐにでも祐二に電話を掛けて相談したいところだが、本人の前でそれをやるほど剣一も無神経ではない。そしてそんな様子を見て、エルがそっと剣一の肩に手を置く。
「大丈夫よケンイチ」
「エル、お前……」
「きっとまだ、身長だって伸びるから」
「そっちかよ!?」
「フフッ、冗談よ冗談! でも、本当に平気だから」
思わず突っ込む剣一に、エルが小さく笑う。
「それにお兄様の言うことも、確かに間違ってないのよ。お兄様から見たらアタシはどうしようもない愚妹なんだって、今日改めて思い知らされたし」
「そんなことねーだろ! エルも英雄も聖さんも、皆頑張ってたじゃねーか!」
「でもそれは、アタシ達しか知らないことだわ。もしケンイチと出会わなかったら、将来的には違ったのかも知れないけど」
「それは……」
「あ、待って。違うからね? ケンイチが悪かったなんて、これっぽっちも思ってないんだから! それはアタシだけじゃなく、ヒデオもヒジリも、皆同じよ。それは絶対に勘違いしないで」
「そう……なのか?」
「そうよ、ケンイチには本当に感謝してるの。だって『子供の妄想』を子供の妄想として終わらせてくれたんだもの」
もし剣一がいなければ、いつかこの世界には万全に準備を整えたニオブ……光塵竜ニオブライトが顕現したのだろう。その時世界は想像を絶する絶望に包まれたはずだ。
空が、海が、大地が瞬く間に焼き尽くされ、何十億という人が無残に殺され……そんな世界にエル達が神の使徒として立ち上がり、光塵竜を倒したならば、それは正しく新たな神話として語り継がれるほどの偉業となっただろう。
誰もがエル達を知り、誰もがエル達を讃え……もしその時ニキアスが生き残っていたならば、あるいは泣いてこれまでの行いを悔い、エルに謝罪したかも知れない。
だがそうはならなかった。世界の裏側に潜伏していた段階でニオブライトが討伐されたことで、世界には何の被害も出ていないし、ニオブライトの存在そのものが知られていない。
ならばそれを倒した者達の偉業も、全ては幻の彼方。それでよかったのだと言うエルに、剣一はふと以前見たとある記事の内容を思い出した。
「そう言えば、何だっけな……鍵開けだか何だかの仕事で、お客さんに呼ばれて一瞬で鍵を開けると、あっという間に終わるのに料金が高いって怒られるって話を聞いたことある。
そうなれるように必死に努力して技術を身につけたのに、お客さんだって長々待たされるよりすぐ鍵が開く方がいいに決まってるのに、それをやると嫌がられるって。だから簡単に開く鍵でもあえて時間を掛けてカチャカチャやった方が感謝されるんだってさ。
そっか、そういうことか……」
「鍵開けってアンタ……世界を救った偉業を、鍵を開ける仕事と同じに考えるのはどうなのよ?」
「え、だって同じだろ? わざわざ苦戦してるところを見せつけねーと評価されないとか、世の中って理不尽だよなぁ」
「まあそうだけど……アンタ、本当にケンイチね」
「なあ、その表現気に入ったのか? 何か馬鹿にされてるような気がするんだけど……」
エルの言葉に、剣一が微妙な表情を浮かべる。するとそんな剣一を、エルが真剣な表情でまっすぐに見つめた。
「馬鹿になんてしてないわよ。だってアタシは知ってるもの、アンタがアタシを……アタシ達を、世界を助けてくれたって。
世界中の誰も知らなかったとしても、世界中の誰も認めなかったとしても、アタシは知ってる、アタシは認めてる。たとえ世界が離れても、アタシが死んでこの世からいなくなっても、この感謝の気持ちだけは、絶対になくならない。
だからアタシは、何度だってこう言うの。ありがとうケンイチ。アンタは間違いなく、アタシの…………っ」
「? エル?」
何故か途中で黙ってしまったエルに、剣一が声を掛ける。すると顔を真っ赤にしたエルが、剣一の背中をペシッと叩いてそっぽを向いた。
「な、何でもないわよ! とにかく感謝してるってことよ! わかった!?」
「お、おぅ? わかったよ、うん」
微妙に腑に落ちない顔をする剣一をそのままに、エルは胸を押さえて呼吸を整える。
危なかった。まさかごく自然に「アタシの王子様よ」なんて言葉が出てきそうになったことに、これ以上無いほどの驚愕と危機感を覚えた。
(駄目よ駄目よ! 何やってるのよアタシ! ちょっとお母様に言われたくらいで、どうしてこんなに……そりゃケンイチは指導員で恩人だけど、今まではそんな意識とかしてなかったじゃない! まったくもー! まったくもー!)
「あ、そうだエル。もう一つ気になってたことがあるんだけど、ダンジョンに入るのが結婚って……」
「け、結婚!? アンタ突然何言ってんのよ!?」
「うおっ!? 何って、だからエルの兄ちゃんが言ってたことだよ。『海の王冠』に入るのって結婚する相手みたいなこと言ってたけど、あれってどうなんだ?」
「あ、ああ、それね。まあ確かにそういうこともあるけど……っていうか、そもそも『海の王冠』は基本的にはそういう儀式に使うダンジョンなのよ」
「へー。今更だけど、そんなところに俺が入っていいのか?」
「へーきよへーき。アタシ達が都合良くそう使ってるってだけで、ダンジョン側からすればそんなの関係ないでしょ。
それにアタシもほとんど入ったことないからよくは知らないけど、なかは普通のダンジョンだって話よ。奥まで人が行くこともないし、そもそも一般開放されてないから他の冒険者もいないでしょうから、多分お宝とかザクザクあるわよ?」
「お宝ザクザク!? 何だよそれ、スゲーいいじゃん!」
「でしょー? 正直アタシも、ちょっと楽しみにしてるの」
望まぬ出会いによってしょぼくれていた剣一のテンションが、一気に燃え上がる。世界を滅ぼすドラゴンを一蹴できるような強者であろうとも、剣一は冒険大好きな一四歳の少年なのだ。
「いや待て、その前に確認だ。ダンジョンのなかで見つけたお宝って、俺がもらっちゃってもいいのか?」
「探索許可が出たんだから、いいんじゃない? あーでも、物によっては王家が買い取りをお願いするかも知れないけど」
「そっか、ならいいんだ」
せっかく手に入れたお宝を無償で取り上げられるとなれば不満も出るが、まっとうな金額で買い取ってくれるなら剣一的には問題ない。というか、そもそも剣一の目的はダンジョンで生活費を稼ぐことなので、悪目立ちせず高価なお宝を買い取ってくれるなら、むしろ望むところであった。
「んじゃ、気を取り直してダンジョン探索へレッツゴーだ!」
「おー! って、流石に今日は行かないわよ? 準備もしなくちゃだし」
「そりゃわかってるけど、そこはほら……流れ的に?」
「まったくもー! 本当にケンイチはケンイチなんだから!」
「むぅ……なあ、やっぱり馬鹿にしてねーか?」
「さあ、どうかしら?」
「なっ、おまっ!? 待ちやがれ、こら!」
「へへーん! 捕まえてごらんなさい!」
ひらりと身をかわし、ぺーっと舌を出して笑うエルを剣一が追いかける。冷たく寂しかった城の通路が、気づけば春の公園のように暖かくなっていた。





