全剣
「クッ、ハッハッハ……っ! この我を前に、よくぞそこまでの口を叩けたものだ! 貴様が平然としているのは、魔力を感知する能力が壊滅的に低いからであろう? 己が弱いが故に我が強さを感じ取れずいきり立つとは、何と滑稽なことか!」
「いや、そういうのもういいから。ちょっと前にやったばっかりだし」
「我をその辺の雑魚魔物と同じとするか!? その不遜、己の命を以て償え!」
ニオブライトがバサリと羽ばたくと、そこからレーザーのような光の矢が数百本打ち出される。だが降り注ぐ光の雨を前に、剣一はヒラリヒラリと流れるように剣を振るってその全てを斬り伏せた。
「うわ、手応え軽いな!? やっぱ光だからか?」
「……………………何だと?」
己の意に介さぬ全ての存在を光の塵と変える攻撃。それ故に派手な爆発どころか粉塵一つ生じる余地がないのはわかっていたが、そこに立つ人間まで何の変化もないというのはニオブライトにとって大きな予想外だった。
「あり得ぬ、どうやって防いだ?」
「どうって、剣で斬っただけだけど?」
「だから、それがあり得ぬと言ったのだ! 我が光は我が許さぬ全てのモノを塵と変える必滅の光! それがそのような金属剣で斬れるはずがなかろう!」
「そう言われてもなぁ……そこはほら、いい感じのコツがあるんだよ」
「コツ……!?」
ゆで卵を綺麗に剥く方法、くらいのノリで話す剣一に、ニオブライトが思い切り表情を歪ませる。
当たり前だ。枯れ葉を一枚太陽に放り込んだら、燃えないどころか太陽の方がかき消えるなど、それはもはや新たな摂理であり、コツなどという言葉で済ませていいものではないのだ。
「何だ、何なのだ貴様は!? まさか我を倒すために技神が新たな加護を生みだしたのか!?」
「いや、俺は別に神様の声なんて聞いてねーんだけど……にしても、ははは」
「……何がおかしい?」
「いや、何て言うかさ……でかいことを言う割には、お前あんまり強くないよな」
「……………………は?」
軽い苦笑を浮かべながらの剣一の言葉に、ニオブライトは絶句する。剣一の言葉が理解できず、戦いの最中でありながらたっぷり五秒ほど考え込んで、そして漸くその口が開く。
「弱い? 我が? 何故そう思うのだ?」
「うーん、何て言えばいいか……実は他のドラゴンとも戦ったことがあってさ。単純な力なら多分お前の方が強いと思うんだけど、何かこう……浅いんだよ」
かつてディアと対峙した時、剣一はその強さに心からの賞賛を贈った。後に聞いた話も加味すれば当時のディアは酷く弱り、全盛期よりもずっと弱かったと思われるが、それでもディアの中には間違いなく剣一であっても警戒したくなる「本物の強さ」を感じられたのだ。
だが今、ニオブライトと対峙した剣一は、あの時ほどの脅威を感じていない。今の攻撃の感じから当時のディアとニオブライトが戦えば十中八九ニオブライトが勝つだろうと思えるのに、それでもなおディアの方が強いと確信できる。
「やっぱあれかな? 光だから向こうが透けて見えるとか? さっきの攻撃も軽かったし……お前実は、ちゃんと戦った経験あんまりないんじゃないか?」
「……………………」
馬鹿にしているわけでも、侮辱しているわけでもない。本当に何気ない調子でそう問うてくる剣一に、ニオブライトの思考が止まる。
取るに足らない、弱くて愚かな生物。自分の爪ほどもない大きさの、いくらか賢いだけの猿……そのなかでもかなり猿寄りだと思われる存在が、自分を下に見て未熟を訴えてくる。
「ハ、ハハ、ハハハハハ…………」
「お、おい、平気か?」
突然壊れたように乾いた笑い声をあげだしたニオブライトに、剣一が思わず心配そうに声をかける。するとニオブライトは感情の籠もらなぬ瞳を剣一に向け、いっそ静かに言葉を紡ぐ。
「我はこれまで、我を弑そうとする神の使徒を幾度も退けてきた。そこには口汚く罵るものもいれば、我の強さを讃えて倒れた者もいた。
だが我に未熟を問うたのはお前が初めてだ。その無知蒙昧故の豪胆さを認め、貴様は本気で消し飛ばしてやろう!
グォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!」
ニオブライトが雄叫びをあげると、その頭に光り輝く白金のたてがみが生える。その瞬間ただでさえ莫大であったニオブライトの魔力が更に爆発的に増加し、まるで水中にでもいるかのように、物理的な粘度すら感じるほど周囲の魔力濃度があがる。
「うん? 何か体が重い?」
「どうだ!? この魔力の中では如何に貴様が鈍かろうと満足には動けまい! そしてこれで終わりだ! ミラーダスト・イリュージョン!」
ニオブライトのたてがみから、光の粒子が広がっていった。それはすぐに集まり固まり、ニオブライトとそっくりの光の竜が次々と形作られていく。
無限に広がる神殿内部を埋め尽くす、夢幻で作られた光の竜。その数は百を超え千を超え、万を、億を、兆を超えても増殖が止まらない。
「我が最大の奥義、受けられるというなら受けてみよ、人間! 天地万物光塵と化せ! ミラーダスト・ブレイカー!」
星の数より多い光の竜が、剣一目がけて一斉に突っ込んでいく。人間など一瞬たりとも存在できないはずの攻撃を受け……しかし剣一は抜き身の剣を手にした自然体のまま平然と立っていた。
人の身の何万倍もの質量を持ち、光の速度で突っ込んでくるドラゴンの群れ。その全てが剣一の前で単なる光と成り果てる。
「へっ、遅いな。やっぱりお前、ニブゴンだぜ」
「遅い!? 遅いだと!? 光の速度で突っ込む我が分身を、たかが人間が遅いと嗤うか!?」
「ああ、遅い。だってそうだろ? 俺はもうとっくに……剣を抜いたんだからな」
人の体は、光の速さで動くことなどできない。そして実際、剣一の腕は動いていない。ぶらんと下げた剣は何も斬っておらず……だがそれでも、剣一に届く全てが斬られている。
「あり得ぬ! あり得ぬ! あり得ぬ! 一体どんなペテンだ!? 神からどれほどの力を与えられたというのだ!?」
「俺のスキルは<剣技:一>さ。何処にでもある、珍しくもなんともない平凡なスキルだよ」
「そんなわけがあるか! そんなもので我が奥義が破れるはずが――」
「でも、そうだな。強いて言うなら、最初で最後の派生技だけは、他のやつとはちょっと違うかな?」
そう小さく呟くと、剣一がゆっくりと歩き始める。絶えず迫る光の竜の全てを切り裂きながら、一歩また一歩と、その小さな体がニオブライトに近づいていく。
五歳から六歳くらいの頃にスキルが芽生え、それが自分の意思で使えるようになる一〇歳頃。芽生えたスキルの種類によっては、そこで技を覚えることがある。<剣技>ならスラッシュとか、<水魔法>ならウォーターアローとかの、いわゆる基本技というやつだ。
なので当然、剣一もそれを覚えている。レベルがあがらないため最初に覚えたその一つしかないが、代わりにそれはどれだけネットで検索しても、類似するものが一切みつからない唯一無二。
「曰く、其は全ての剣である」
一歩踏み出し、剣一が口ずさむ。
この世界に存在する全ての剣技を、剣一は扱える。そして光の速度で攻撃する魔法があるのなら、光の速度で剣を振る技があるのも必定。同じ速度で振るえるならば、のろまな体当たりより剣で斬る方が速いのは当然だ。
「曰く、其の全ては剣である」
一歩踏み出し、剣一が口ずさむ。
剣一の一挙手一投足、その全てが剣である。呼吸も鼓動も瞬きも、目で見る事も耳で音を聞くことも、匂いを嗅ぐことや肌で空気の流れを感じることさえも、その全てが剣となる。
見れば斬れる。聞こえれば斬れる。感じれば斬れる。信じれば、念じれば、そこには必ず剣があり、剣があるなら斬り裂ける。
「何だ、何なのだ!? 本当に、貴様は一体何なのだ!?」
剣一が一歩踏み出す度、光の竜が剣一に迫る距離が開いていく。それは光速で突撃する自分の分身が、少しずつ押し負けているということだ。
長い生涯において一度として体験したことのない脅威に、ニオブライトの体が知らず後ずさる。その一歩は体躯に合わせて長大だが、そうして開いた距離を、剣一は気にせず歩き詰めていく。
「曰く、其れは剣である」
一歩踏み出し、剣一が口ずさむ。
剣とは即ち、斬るものだ。剣を振るという行動の果てに、斬ったという結果を与えるものだ。
ならば全ての剣を振るう者は、全てを剣とする者は、その全ての行動の果てに「斬った」という結果を生み出せる。斬るとは即ち、剣である。
「嘘だ! 嘘だ! 嘘だ! 嘘だ!」
もはや光の竜は、剣一の遙か前方で溶けるように消えてしまう。地平の果てまで埋め尽くしていた分身が、無限に補給され続けるはずの残弾が、気づけば半分以下になっていた。
そしてそれは、今も加速度的に減っている。ニオブライトがどれだけ必死に魔力を練っても、もう生産が追いつかない。
「曰く、其れは正しく、剣であった」
一歩踏み出し、剣一が口ずさむ。
今ここに因果は結し、全ての剣は-となった。この世界に「斬る」という概念がある限り、その剣は「斬った」という結果を押しつける。ありとあらゆる全ての全て、斬れぬものなど何もない。
故に剣一の得た技は、一にして全の完全なる剣。
「待て、来るな! やめろ! こっちに来るな!」
全ての分身を斬られて終わり、ニオブライトが尻餅をついて後ずさる。だがどれほど泣いて懇願しようとも、自分の腹に隠れて見えない小さな人影が頭から離れない。
「嫌だ! 嫌だ! 俺はまだ……死にたくないっ!」
遂に全てをかなぐり捨てて、ニオブライトが巨大な翼をはためかせる。
地を這うだけの人間に、光の速さで宙を舞うドラゴンを捕らえる術などあるはずもない。実際剣一には、ニオブライトを捕らえることなどできない。だが……
「全剣、抜刀!」
「ガッ……………………!?」
たったひとつの-たる剣に、逃げるドラゴン如きを斬れぬ道理なし。翼を失い地に落ちたニオブライトを確認すると、剣一は静かに抜き身の剣を鞘に収めた。





