<剣技:一>
「ふー……………………」
長く大きく息を吐き、剣一は意識を整える。先ほどは英雄を助けるためということで自然に体が動いたが、今も剣一のスキルが封じられている事実に変わりはない。
ならばどうやってウロボレアスに剣を届かせるのか? その答えは剣一の体に刻まれている。
(感じろ……繋がりを…………)
意識を集中するほどに、体の痣がジクジクと痛み出す。それはウロボレアスが剣一を通じ、平行世界からエネルギーを吸い取っていた残滓。本体からは切り離されたものの、それは未だに剣一の体に……どころかより深い本質に食い込んでいる。
だが、だからこそ剣一は、自分が通り過ぎて来た平行世界との繋がりを保てている。黒く蠢く邪悪な触手を辿って、剣一の意識が平行世界に潜っていく。
「フッ……フッ……ふぅ、今日はここまでだな」
そこには剣一がいた。全てを失い瓦礫の山でもがくように生きながら、それでも剣を振る剣一がいた。ボロ布を体に巻き付け、ざんばらの白髪をそのままにした、六〇歳くらいの自分。彼がそこまで積み上げた剣の技術が、今の剣一に伝わってくる。
「いくぞ……光刃剣!」
「やった! 遂にやったね剣ちゃん!」
「おめでとー!」
そこには剣一がいた。制服を着た親友達の協力を得て、遂にスキルを使わずスキルのような効果を発揮させる剣を振ることに成功していた。その友情と努力の結晶が、今の剣一に伝わってくる。
「うわぁぁぁ! …………え?」
「ったく、だから地力を磨くのも大事だって教えただろ? 大丈夫か、英雄」
「蔓木先輩!?」
そこには剣一がいた。激しい戦いで力を使い果たし、今まさに倒されそうになっている懐かしい後輩を助けるためにやってきた、二〇代後半くらいの自分がいた。格好付けた笑顔と共に巨大な敵を吹き飛ばす剛剣が、今の剣一に伝わってくる。
「曰く、其は全ての剣である」
そも、人の人生とは、どれほど長くても一〇〇年くらいだ。故に人が積める研鑽の限界もまた、そのくらいになってしまう。
だが、今の剣一は違う。数え切れない程の平行世界を経て、数え切れないほどの努力が積み重なっている。一人一人は数年から数十年であろうとも、億兆を優に超える平行世界全ての努力が集約すれば、その鍛錬期間は天地開闢の時より長くなる。
それだけの時を費やしたからこそ、剣一はありとあらゆる剣技を身につけた。全ての剣の一は剣一であり、全ての剣の一もまた剣一である。
「曰く、其の全ては剣である」
その存在は、剣の体現。己の全てが剣であり、剣の全てが己である。見ることも、聞くことも、感じることも、念じることも、そして何より「できる」と信じるその意志こそが、全てを斬り裂く剣である。
オォォォォォォォォ……
剣一から迸る圧倒的な力の奔流に、ウロボレアスが巨体を震わせ唸り声をあげる。空は一層朱くなり、唯一己を害する可能性である技神の力を根底から消し去ろうとするが……しかし剣一は揺るがない。
「曰く、其れは剣である」
剣とは斬るものであり、剣技とは斬るための技である。つまり磨き上げた技とは剣であり、その全てを振るう者こそ、紛うことなき剣である。
「曰く、其れは正しく、剣であった」
それは決して、一人で辿り着く場所ではない。それは決して、一人が抱く夢ではない。
数えきれぬほどの人がいた。数えきれぬほどの夢があった。数えきれぬほどの想いがあった。数えきれぬほどの願いがあった。
誰一人諦めなかった。誰一人失わなかった。誰一人疑わなかった。そして……誰一人届かなかった。
だが今は違う。今だけは違う。無限に連なる平行世界の、夢幻に生きた剣一達の努力の全てが、今ここにいる剣一ただ一人に集約されていく。それは幾千、幾万、幾億の昼と夜を越え、幾星霜の研鑽により磨き上げた究極の一。
一は全なり。全は一なり。その生き様は、その在り方は、たとえ全知全能の神ですら否定できぬほど、正しく「剣」であったのだ。
「……なあ、ウロボレアス。俺はみんなのおかげでここまでこれた。祐二も、愛も、英雄も、聖も、エルも……ディアやニオブやレヴィや、勿論父ちゃんや母ちゃん、清秋さんとか聖女様とか、ミンミンとかクサナだって……誰か一人が欠けるだけでも、俺はここにいられなかった」
掲げた剣が、淡く輝く。
「それはお前もだ、ウロボレアス。お前がいなかったら、俺は他の俺の力をここに集めたりできなかった。お前がいたから……お前が欲張ったから。お前の力が今の俺に辿り着かせた!」
静かに、だが確実に剣の輝きが増していく。
「みんなが……俺に関わった全部が、俺を俺にしてくれた。俺こそが剣であり、この剣こそが俺だ!」
オオオオォォォォォ…………
朱い空が更に紅く染まり、血のように濃く黒くなる。飽和した魔力は粘り着くほどで、ニオブとレヴィの結界がなければ、背後の祐二達は一瞬だってその命を保てない。
だがそんななか、剣一は悠然と立つ。無限と夢幻の総算たる今の剣一を殺し尽くすことなど、神にもなれない大食いミミズにできるはずもない。
オオオオォォォォォ…………
ならばせめてと、ウロボレアスは剣一から力を奪う。過去、現在、未来どころか平行世界に至るまで、ありとあらゆる世界で、次元で、剣一からスキルが失われていく。だが……
「無駄だよ。言っただろ? これはスキルじゃない……そんなものなくても、俺はもう剣を振れるんだ」
スキルはできないことをできるようにする力ではなく、いつかできるようになることを、補助してできるようにしてくれる力。
故に既に自らの足で立つ者に、ウロボレアスの力は意味がない。技神の加護……親に手を引いてもらわなくても、人は自分で歩けるのだから。
『ああ、そうか』
『俺達の努力は』
『今この時のためにあったのか!』
平行世界の剣一達が、剣を構えてニヤリと笑う。自分には届かなかった。だが自分の積み上げた一段が、続く誰かを少しだけ高い場所に押し上げた。
全ては一つに。全てを一つに。その集大成、頂点たる一は、今まさにここに在る。
「覚悟しろウロボレアス。全ての剣技を一つに纏めた、これが人類の最強の一撃!」
『全!』
『剣!』
『抜!』
「刀!」
全ての世界の剣一が、雄叫びと共に剣を振った。時間も世界も全てを超えて生まれたたった一つの剣閃が、この世の全てを年輪に刻む黄花の大樹を斬りつける!
オオオオオ……ォォォォォ……………………
その一撃は、ウロボレアスを真っ二つに斬り裂いた。その身も、その名も、その存在すらも、二つに斬られて消えていく。
過去にも現在にも未来にも、どの世界にもどの次元にも、もうウロボレアスの記述はない。捻れて歪んだ∞の輪が○に戻ってゼロへと還り、自我をなくした大食らいのミミズに、かつての心が蘇る。
「オ……オォ……オ、ワル…………?」
借り物ではない自分の知性が戻り、崩れゆくウロボレアスの体表に、失われていた目が生まれた。数千、あるいは数万年ぶりに取り戻した物理的な視界に映ったのは、自分に比べればあまりにも小さな存在。
「アァァ……ア、リガトウ…………」
心に浮かんだ感謝を呟き、ウロボレアスの存在が消える。そして――
「……あれ? 僕達何してたんだっけ?」
「確かディアちゃんに急に呼ばれたんじゃなかったっけ? えーっと……そうだ、バーベキュー!」
「ならコンロの用意とかしないとですね。あの家のなかかな?」
「私もお手伝いしますわ、英雄様」
「おーい、ケンイチ! アンタそんなところで何突っ立ってんのよ! バーベキューするんでしょー!?」
「…………ああ、今行くよ」
青く澄み渡る空の下、手招きをするエルに笑顔で答えると、剣一は空を見上げる。輝く太陽は何も変わらず眩しくて……
「お前、最高に強かったぜ」
目を細めながらそう呟くと、仲間達の元に歩いていった。





