とある姉妹の結末
昏く冷たい時の果て。何もないその場所で、剣一は夢を見ていた。無限に分岐する夢幻の平行世界で、自分と同じ顔と名を持つ者達がひたすら剣を振る夢だ。
その努力は、一つとして実らなかった。人の努力が、神の力を上回ることなどなかった。
だがどの世界の自分も、ただの一度も諦めなかった。それが自分の本質なのか、あるいはそれを視る自分の意志が流れ込んだからなのかは、剣一にはわからない。
ただ剣一は、全てを見ていた。全てを聞いていた。全てを知り、全てを感じていた。過ぎ去る世界が増えるごとに剣一の体は薄くなっていったが、それでもなお、剣一は見続けていた。
そうして静かに時は流れていく。幾十、幾百、幾千、幾万。もはや剣一の体は人の形を留めておらず、おぼろげな光が揺らめくのみ。このまま更に時が過ぎれば、やがてそれすら消えてなくなり、「剣一」という存在は、あらゆる世界から消え去ることだろう。
だが、そうはならなかった。そこに膨大な因果が……エネルギーが集約していることに気づいたモノがいたからだ。
永炎竜ウロボレアス。黒すらもない虚無の世界に黒くて小さな穴が空き、そこから触手のように細く伸びたウロボレアスの炎が剣一に迫る。
だが剣一は動かない。何の反応も示さない。淡く揺らめく光に触手の炎が触れると、ウロボレアスが剣一の視る平行世界に入り込んだ。
「な、何だあれは!?」
「日食? でも、周りは明るいままだけど……?」
その変化に、あらゆる平行世界の住人達が声をあげた。誰もが空を見上げるなか、やがて空が朱く変わると、自分の中から技神の加護が抜けていくのを感じる。
「うぅ、何か急に、体がだるい……」
「えっ!? す、スキルが使えない!?」
「見ろ! 空から何か降ってくるぞ!」
終末の朱い空に、終焉の黒い火が舞う。それに触れた全ては塵と化し、ウロボレアスの力に変わっていく。
オオオオォォォォォ…………
その現象に、ウロボレアスはわずかに残った知性で歓喜を感じていた。吸っても吸ってもなくならない、無限にして夢幻のエネルギー源。これはいい、素晴らしいと次元を隔てる穴が増え、次々触手が伸びていく。
そうして一本増え、二本増え、まるで壊れやすい宝物を抱きしめるように剣一の光をウロボレアスの触手が覆い尽くした時。
『いくよ、お姉ちゃん!』
『まっかせなさーい!』
現れたのはよく似た顔つきをした、制服姿の二人の少女。向かい合わせて手を繋ぐ二人がグッと腕を伸ばすと、そうしてできた丸い輪のなかに触手に包まれた剣一を収める。
『お姉ちゃん、今の増幅率はどのくらい?』
『相当いいよー? 多分……二兆倍くらい? 最高記録ぶっちぎり!』
妹の問いに、姉が答える。姉である理香のスキル<増幅>は、触れている相手のスキルを触れていた時間に応じて強化するというものだ。一見すると極めて強力そうだが、八時間スキルを使い続けてようやく二倍くらいというショボい増加率と、途中で一瞬でも手が離れると増加率がリセットされてしまうという仕様で、現実的にはほぼ使い道のなかったスキルである。
だがこの空間にやってきてから、理香は一度として妹の鞘香から手を離していない。その増幅率は人の域など軽く超え、神にさえ届きうるほどになっている。
『そんだけあればいけるかな? いけるよね、多分!』
『もー! 鞘香は相変わらず勢い任せなんだから! でもま、私もいけると思うよ?』
『お姉ちゃんもそう思うなら、もう絶対いけるじゃん! じゃ、いっちゃうよー! よみがえるのだ、この、電撃でえーっ! <伝達>!』
『電撃要素は何処なの!?』
握神竜デアボリックから継承された際、ディアの影響を多分に受けてしまったらしい鞘香が、己のスキルを発動させる。それは触れた相手に自分のイメージを直接送り込むことができるスキル。
それを用いて、鞘香は自分の中に蓄積していた剣一のイメージを全て剣一本人に叩き込んだ。不安定に揺らめくだけだった光があっという間に元の形を取り戻し、剣一という存在が蘇る。
だがその結果、突然大きくなった剣一の体に、ウロボレアスの触手が深く食い込み、引きちぎれた。まるでウロボレアスの力に汚染されたような状態だが、二人はそれを見てニヤリと笑う。
『おおー、上手くいったね!』
『まだだよお姉ちゃん。最後の詰めが残ってるんだから!』
『おっと、そうだった。それじゃ鞘香……』
『うん、お姉ちゃん』
二人はそれぞれ肘を曲げ、互いの体の隙間を縮めていく。そうして間に挟まる剣一を抱きしめるような形になると、密着した三人の頭が横一列になる。
『元の場所に帰りなさい、剣一。産んであげられなかった私の息子』
『ちゃんと世界を救うんだよ? 会えなかった私の甥っ子』
『『カオスシフト!』』
瞬間、剣一の存在がかき消える。握神竜デアボリックの権能でこの場に誘われた剣一は、ほんのわずかなオマケと共に、元の場所へと戻っていった。魅力的な餌が消えたことでウロボレアスの触手もすぐに消え去り……残ったのは力の残滓たる二人の姉妹。
『……終わったね、お姉ちゃん』
『ええ、終わったわね』
『終わり、なんだね』
『そうね、これで終わり! 何よ、鞘香はまだ心残りがあるの?』
『うーん、あると言えばあるけど……でもほら、あの子が帰った世界って、私は普通に生きてるでしょ? だからこう、この気持ちをどうしていいかわからないっていうか……』
『あー、それはちょっとわかるかも。私だって別の世界に行ったら、そこで鞘香が死んじゃってて、代わりに私が元気に生きてるーって言われても、喜んでいいのか悲しんでいいのかわかんないし』
『だよね。というか、そもそもリッくんから聞いてた話だと、私とかお姉ちゃんの心とか魂的なやつは普通に成仏してて、こんな風に話したりできるものじゃないってことだったけど……』
『そうなの? でも、普通に話せてるよ?』
『うん。だから何でかなーって……まあ元からリッくんのなかで、リッくんがやってることはうっすらわかってたって言うか、夢でも見てるみたいな感じで何となく伝わってたから、不思議は不思議でもあり得ないって程じゃないとは思うけど』
『なら別に、それでいいんじゃない? そんな世界の仕組みがどう、みたいな話なんて、私達なんかじゃ考えたってわかんないし、どうでもいいよ。だって重要なのは最後のこのひとときを、鞘香と一緒に過ごせることだもの。
元の私がとっくに成仏してて、それこそこれが私の残響みたいなものだったとしても、私は今とっても幸せ! それだけわかれば十分よ』
『うわー、お姉ちゃん、相変わらず適当だね。でもなんか、凄くお姉ちゃんっぽい……ふふっ』
間に剣一がいなくなったことで、二人は遂に互いの体を密着させる。ダンスを踊るかのようだった手を離すと、互いが互いの背中に腕を回し、強く強く抱きしめ合った。
『さよなら。私の知らない世界のお姉ちゃん。でもお姉ちゃんは、間違いなくお姉ちゃんだったよ』
『さよなら、私の知らない世界の鞘香。貴方も間違いなく鞘香だったわ。何処に出しても恥ずかしくない、自慢の妹よ』
青白い少女の体が、ゆっくり溶け合い一つになっていく。だがまだ二人が二人である間に、互いが最後の一言を口にする。
『色んな世界を思いっきり大冒険して、最後は家族と一緒にゆっくり眠りたい……アタシの願いを叶えてくれて、ありがとうね、リッくん』
『美味しいものも一杯食べたし、楽しいことも一杯したねー。ありがとうリックさん。私のお願い、ちゃんと叶ったよ』
二つが一つになり、一つが小さくなっていき、やがてその全てが虚無の闇へと消えていく。
それが本物だったのか、あるいは優しい嘘だったのか、それは神にしかわからない。だが少なくとも二つの影は、誰よりも幸せそうにその結末を受け入れていた。





