剣を振る男
「剣一ー? 朝よ、起きなさーい!」
「……んあ?」
階下から聞こえる声に、剣一は間抜けな声をあげながら目を開く。そのまましばしボーッとしていると、不意に部屋の扉が乱暴に開け放たれた。
「ちょっと剣一!? 起きなさいって言ってるでしょ!」
「うわっ!? ご、ごめん母ちゃん! すぐ起きるから!」
「まったくこの子は……ほら、顔洗ってご飯食べちゃいなさい。すぐに祐二君達が来るわよ?」
「わかってるって!」
あきれ顔の母にそう言うと、剣一は足早に一階に降り、洗面所で身支度を調える。その後は香ばしく焼けたトーストにたっぷりバターを塗って囓っていると、チャイムと共に玄関の方から聞き慣れた声が響いた。
ピンポーン!
「おはようございまーす」
「あら祐二君、おはよう」
「おはようございます、おばさん。剣ちゃんは起きてますか?」
「あの子なら今ご飯を食べてるから、もうちょっとだけ待っててね。ほら剣一、祐二君来たわよ! 今すぐ食べきっちゃいなさい!」
「わふぁってふって! んぐんぐ……ゴクン。それじゃ父ちゃん、行ってきます」
「ああ、気をつけてな」
一緒のテーブルで新聞を読んでいた父に苦笑で見送られ、剣一は玄関に向かう。するとそこでは腰に手を当て待ち構える母と、微妙な笑みを浮かべた親友の姿があった。
「おはよう剣ちゃん」
「おはよう祐二」
「忘れ物はない?」
「大丈夫だって! それじゃ母ちゃん、行ってきます!」
「行ってきます、おばさん」
「はーい! 二人共気をつけてね」
母に見送られ、剣一は祐二と共に自宅を出る。するとすぐに愛とも合流し、三人は揃って通学路を歩き出した。
「ねえねえ祐くん、今日って確か、火魔法のテストだよね? 私あれ苦手なんだよなー。回復魔法なら得意なんだけど」
「ははは、メグ。自分のスキルの適正魔法はテストにならないってわかってるでしょ? それに属性魔法は発動体に魔力さえ通せば発動するんだから、そんなに難しいことなくない?」
「それは祐くんが器用だからだよー! ねえ剣ちゃん、剣ちゃんはどう?」
「俺は……」
愛に話題を振られ、剣一は渋い顔になる。五〇年前、ダンジョンやスキルという謎の存在と共に、アトランディアという国がこの世界に転移してきた。だがアトランディアは転移直後に大きな災厄に見舞われ、その救助に各国の手を借りた結果、本来ならば秘匿され、少しずつ公開されるべき高度な魔導技術が一気に世界に流出した。
そうして訪れた大魔導時代。電気・ガスに続いて魔力が当たり前の動力として認識され、既存の物理法則から抜け出した画期的な魔導具が溢れる世界ではあるが、その扱いが得意かどうかは、当然ながら個人差があった。
「そんな顔しないでよ剣ちゃん。補修ならまた付き合うからさ」
「いつも悪いな、祐二」
「いいって。でも剣ちゃん、そう思うならもうちょっと魔法の練習をした方がいいんじゃない? その……剣ばっかりじゃなくって、さ」
「……………………」
「あ、いや、別にそれが悪いってわけじゃないよ! そうじゃないけど……」
「剣ちゃん、この前のダンジョン補修も剣で受けたんでしょ? どうだったの?」
「…………四〇点だった」
愛の問いに、剣一はぶすっとした顔で答える。赤点は回避できたものの、芳しいとは言えない成績……それは当然、スキルがあるわけでもないのに「剣」などという時代遅れの戦闘手段を選んだ結果だ。
「ねえ剣ちゃん。前も聞いたけど、どうしてそこまで剣にこだわるの?」
「どうしてって……どうしてだろうな? 正直自分でもよくわかんねーんだけど、でも剣を振ってねーとどうにも落ち着かない感じでさ」
「なら魔法剣とかは? 剣ちゃんは<光魔法>のスキルがあるんだから、それを付与して剣を振れば、今よりずっと強くなれるんじゃないの?」
「それはまあ、そうだと思うんだけど……うーん、こだわり?」
首を傾げて顔を覗き込むように問うてくる愛に、剣一もまた腕組みをし、首を傾けながら言う。
「純粋な剣じゃないと駄目なんだ。スキルとか、そういうのが関わる感じの剣はしっくりこねーんだよ」
「こだわりって……剣ちゃん、たまに渋いこと言うよね」
「ほんと、お爺ちゃんみたい」
「お爺ちゃんとか言うなよ! 同い年だろうが! ……同い年だよな?」
「何で疑問形なのさ! 三歳の頃から知ってるのに、違ったらそっちの方が驚きだよ!」
「それに剣ちゃんは、どっちかって言うなら手のかかる弟って感じだしねー」
「ぐはっ!? ち、ちげーよ! 俺はいつだってダンディな大人なんだよ!」
「それを自分で言う人は、ダンディでも大人でもないと思うよ」
とぼけた事を主張する剣一に、祐二の無慈悲なツッコミが炸裂する。友に囲まれた平和な世界。だがそこでも剣一は流れに逆らい、ただ一人剣を振るい続けていた。
「悪いな蔓木君。また他のところで頑張ってくれ」
「はい。今までありがとうございました……」
頑丈そうな鎧を身につけた男に頭を下げ、剣一は冒険者ギルドがレンタルしている会議室を去る。そのままギルドも出て通りに出ると、剣一は空を見上げて大きくため息を吐いた。
「はぁー…………またクビかぁ」
ダンジョンがこの世界に生まれて、早五〇年。その入り口から無限に湧き出す魔物によって、人類はその勢力を大きく削られた。
故にこの世界には、そんな魔物を倒して生活を守るための職業が存在する。それこそがハンターと呼ばれるものであり、剣一もその一人なのだが……
「あれ、ケンイチ?」
「お、エルじゃん」
途方に暮れながら街を歩く剣一に、不意に知り合いの女性が声をかけてきた。かつて新人だった頃に剣一が少しだけ面倒を見たことがある、将来有望な……いや、既に大分有望に育った後輩だ。
「ハントの帰りか?」
「そ! 今日は多寡埼の北西一区に行ってたの。あの辺ってダンジョンが近いから、割と魔物が湧きやすいのよ」
「そっか。相変わらず大活躍だな」
「まーね! 何せアタシ達は近年まれに見る大型新人パーティ『希望の光』だもの!」
胸を張るエルの姿に、剣一は眩しげに目を細める。かつては共に戦ったこともあるが、今の剣一では英雄達にはついていくことすらできないだろう。
「ケンイチは?」
「俺は……今ちょうど、所属してたパーティから契約打ち切りされたとこ」
「あちゃー。一応聞くけど、理由は?」
「実力不足。今後彩玉の方に足を伸ばすから、俺が一緒じゃ厳しいって」
「うー、それは仕方ないわね」
命がけで魔物と戦う以上、実力の合わない相手とパーティを組み続けるのは互いにとって不幸しか生まない。実際エル達も剣一とのパーティを解散しているのだから、そんなことはよくわかっている。
「……ねえ、ケンイチ。アンタなんでそんなにハンターにこだわるの?」
「何だよ、そんなの俺の勝手だろ?」
「そうだけど! でも、剣一のスキルって<水中呼吸>でしょ? 戦闘向きのスキルじゃないんだから、他の人みたいに普通に街で仕事を探してもいいんじゃない?」
魔物が席巻しているとはいえ、別に文明が滅んだわけではない。主要な道路や送電線などが魔物に破壊されているためかつてのような大量生産大量消費……とはいかないが、それでも大きな町なら発電所もあるし、何より今は「スキル」というかつての人類が持ち得なかった力がある。
なので、別に戦えなければ生きられないというわけではない。衣食住に関わる基本職は勿論、ソーラーパネルの点検や上下水道の保守など、生活インフラに関わる仕事はいつでも新たな人材を募集しているのだ。
「アンタが剣を振るのが好きだっていうのは知ってるけど、それは別に休みの日の趣味とかでもいいでしょ? なのに何で、ずーっと命がけのハンターを続けてるの?」
「うーん、そうだなぁ……」
エルの問いに、剣一は改めて空を見上げる。青く澄み渡った空は何処までも平和で……だからこそ剣一の胸をざわめかせる。
「何かさ、俺の剣って、見た目だけの飾りじゃ駄目な気がするんだよ。もっとこう、実戦に即してるっていうか……ちゃんと魔物を倒せる剣じゃないと駄目なんだ」
「ふーん? つまり実戦でないと満足できないってこと? でも剣一の言う実戦って、精々ジャイアントラットくらいでしょ? それで実戦にこだわってるって言われても……」
「うるせーな! いずれゴブリンだって倒せるようになるから、今はいいんだよ!」
ニヤリと笑うエルに、剣一がそう言い返す。するとエルは悪戯っぽい笑みをそのままに、その場でクルリとステップを踏む。
「あ、そ! じゃあその時を楽しみにしてるわね……ねえ、ケンイチ?」
「何だよ?」
「困った事があったら、ちゃんと言ってね。アタシもヒデオもヒジリも、ケンイチには感謝してるの。アタシ達にはどうしてもやらなきゃいけないことがあって、だからアンタと一緒にハントはできなくなっちゃったけど……
でも、忘れないで。アタシ達はいつだってずっと、アンタの仲間だからね」
「ははは、そりゃ嬉しいな。ならすぐに追いつくから待ってろって、英雄に伝えといてくれ」
「フフッ、わかった。じゃあケンイチ、またね!」
「おう、またな!」
小さく手を振り去っていくエルを見送ると、剣一は拳を握る。さっきまでのしょんぼりした気持ちは、気持ちのいい風で既に綺麗さっぱり吹き飛ばされている。
「よーし、俺も負けてらんねーな! 次のパーティを探して……今度こそゴブリンに勝ってやる!」
死がすぐ隣にあるからこそ、危険だが輝きに満ちた世界。やる気に満ちた剣一は、今日もまた剣を振るため、新たな一歩を踏み出すのだった。





