四文字
「え……? な、何だよこれ? 何が――」
「参ったなぁ。まさか英雄君と聖さんに先を越されちゃうなんて」
目の前で起きたことが理解できず……理解したくなくて戸惑う剣一の耳に、場違いな明るい声が届く。油の切れたブリキ人形のようにぎこちない動きで剣一が顔を向けると、そこには苦笑いを浮かべる祐二の姿がある。
「祐二? お前何言って……」
「だってほら、僕って剣ちゃんの一番の親友でしょ? ならやっぱり最初に行くべきだったよなぁって」
「だから何言ってんだよ!」
「そう怒らないでよ。大丈夫、ちゃんと次は僕がいくから」
「何一つ大丈夫じゃねーよ!」
今まであげたことのない大声で怒鳴る剣一に、しかし祐二の苦笑は変わらない。そのまま剣一の方を見ると、まるで明日遊びに行く予定を語るように話を続ける。
「ねえ剣ちゃん。僕達って結構色々あったよね? まあ大体は暴走した剣ちゃんを僕とメグで止める感じだったけど……」
「えー、そんなことないよ? 祐くんは割と剣ちゃんと一緒に危ないこととかしてた気がするけどなー」
「うぐっ!? そ、そうかな?」
横から入った愛のツッコミに、若干祐二が怯む。だがそれに負けじと会話は続いていく。
「ま、まあそういう細かいことはいいとして。僕達っていいコンビだったと思うんだ。剣ちゃんは滅茶苦茶強かったけど、僕の方が頭が良かったしね。お互い足りないところを助け合う感じでさ。
だから……うん。今回のこれも、いつもと同じさ。僕が先に剣ちゃんを助けるから、剣ちゃんは僕を……みんなを助けてよ。それで……あ、そうだ! 僕の部屋の片付けは、悪いけど剣ちゃんにお願いするよ。
まあ別に? 見られて困るものとかがあるわけじゃないけど……でもそこはやっぱり、男同士の方がいいでしょ。だからそれだけお願い」
「ゆう……じぃぃぃぃ…………っ!」
血が滲むほどに歯を食いしばり、呻くように剣一が言う。するとそんな剣一を目がけ、また黒い火がふわりと舞い寄ってくる。
「もう出番か。早いなぁ……それじゃ剣ちゃん…………またね」
「アアアアアァァァァァー!!!!!!」
ニッコリ笑った祐二の姿が、黒い塵になって崩れる。親友を失い喉が裂けるほどの声をあげる剣一に、今度は愛が声をかけた。
「ねえ剣ちゃん。ずっと秘密にしてたんだけど……私ね、実は剣ちゃんのこと、ちょっと嫌いだったの。だって、剣ちゃんって祐くんとすっごく仲良しだったでしょ? だからね、ちょっとだけ嫉妬してたの」
「メグ……?」
「それにね、私どうしても、剣ちゃんが祐くんの手首を切ったあの時のこと、忘れられないの。二人が仲直りしたのはよくわかってるけど……でもどうしても、剣ちゃんが祐くんを傷つけたことを許せなかったし、そんなことをした剣ちゃんのこと、怖かったの」
「……………………」
軽く俯きながら言う愛に、剣一は何も答えられない。だがそれでも白くなった唇を流れる血で赤く染めながら、震える唇で必死に言葉を絞り出そうとする。
「だ、だったら……俺が嫌いなら、今すぐここから逃げて――」
「でもね、剣ちゃんと友達でいることを、一度だって後悔したことはないよ。だって、友達なら好きなところも嫌いなところもあって当然でしょ? どうしても受け入れられないことがあったとしても、それよりずっと、剣ちゃんや祐くんと一緒にいることが楽しくて幸せだったの。だから……次は私の番ね」
「やめ……やめろよ…………頼むから、もうやめてくれよ…………」
「あ、そうそう! 祐くんの部屋に何があるかは私もおばさんもぜーんぶ知ってるから、無理に片付けなくてもいいよ。あと私の部屋を剣ちゃんが片づけるのは、絶対禁止! 乙女の秘密を無闇に探ったりしたら、こわーいオバケになって出てきちゃうんだから!」
「あっ……あっ…………」
「……じゃあね、剣ちゃん。ちゃーんと世界を救って、何十年かしてから会いに来てね……お待たせ、祐くん」
剣一目がけてふわりと舞った黒い火に、愛が手を差し伸べる。愛しい人と抱擁するように穏やかな笑みを浮かべた愛が、そのまま塵になって消える。そうして最後に残ったのは……
「いつまでグズグズ泣いてるのよ! しゃっきりしなさい!」
「エル…………」
結界が狭いせいで泣き崩れることすら許されず、立ったまま顔をくしゃくしゃにしている剣一に、エルがちょっと怒ったような声で話しかける。
「みんながケンイチを守って死んだのは、ケンイチなら世界を救ってくれるって信じたからでしょ!? なのに肝心のアンタがへたれててどうするのよ!」
「だって、みんなが……みんなが、俺のせいで…………」
「あーもう、仕方ないわね! ねえニオブ、この結界って触ったら駄目なやつ?」
「ぐぅ……どうせ最初からガバガバだし、親指くらいの範囲を一瞬だけなら何とかしてやるよ、ウェーイ」
「十分! ならケンイチ、ちょっと屈んで結界の側に顔を近づけなさい!」
「何を……」
「いいから早く!」
エルに言われて、剣一がわずかに腰をかがめ、顔を突き出す。するとそこに背伸びをしたエルが、ギュッと唇を突き出して押し当て……二人の唇が触れる。結界を超えたことでバチリと現実の痛みも走ったが、それを遙かに超える衝撃に剣一が思わず顔を引くと、エルが手を後ろに組んで、悪戯っぽく笑う。
「エル!? おまっ……」
「へへー、遂にやっちゃったわね! 無理矢理口を突き出したから、ずっごく不細工な顔になっちゃったのが心残りだけど……まあでも、そこはファーストキスをあげたんだから妥協しなさいよね!」
「……………………」
「ねえ、ケンイチ。アタシケンイチのこと好きよ。何度も何度も、アタシの命も心も守ってくれたもの。
あーでも、それだけじゃないの。そういう恩とかばっかりじゃなくてね、普段のアンタのちょっととぼけたところとか、優しいところとか……うん。きっとアンタが今みたいに強くなかったとしても、アタシはアンタのこと好きになったと思う。強さはケンイチの一部だけど、ケンイチの全部じゃないもの。
アタシ、ケンイチが好き。だから今回も、ケンイチならこの世界をどうにかしてくれるって思ってる。だから次は、アタシが…………」
そう言うと、エルがクルリと剣一に背を向ける。だがその足も肩も、小さな震えが止まらない。
「……あー、ヒデオもヒジリも、ユージもメグも、凄いなぁ。アタシやっぱり、死ぬのは怖い。大事な人が死んじゃうのも怖かったけど、自分が死ぬってなったらもっと怖いわ。当たり前って言えば当たり前だけど」
「エル……」
「何も言わないで。今アンタに『一緒に逃げよう』って言われたら、きっとアタシは挫けちゃうから。他の皆みたいに強くないの、アタシ」
「エル……! だったら……っ」
「でも、アタシ一人じゃ絶対に逃げないわよ? それにケンイチだって、ここまでの皆の想いを無駄にして、逃げ出したりしないでしょ? それとも違う?」
空に、黒い火が舞う。それは剣一の方に迫ってきていて……必然、その前にはエルの姿がある。
「もしケンイチがそこから飛び出してアタシの手を引けば、一緒に逃げられる。でもアンタはそんなことしない。だからアタシも逃げないの。怖いけど……すっごくすっごく怖いけど……最後までアンタの側にいるって決めたから」
「……斬れろ」
全身全霊の想いを込めて、エルに迫る黒い火を剣一が睨み付ける。剣を握る手から血が零れ、飛び出しそうな程に目を剥きだし、その一点を凝視する。
「斬れろ、斬れろ、斬れろ……っ! 今斬れなくてどうする!? もう一生スキルなんて使えなくていい! だから今すぐ、全部斬り跳ばせ!」
「……ねえ、ケンイチ?」
「斬れろ! 斬れろ!!! 斬れろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」
「――」
目から涙を溢れさせたエルが振り向き、小さく口を動かす。
――ありがと
――ごめんね
――さよなら
――だいすき
聞こえなかった四文字と共に、その体が塵に変わる。魂を込めた絶叫は空気を斬り裂くことしかできず……剣一の前から、最後の一人が儚く消え去った。





