破滅の前の静けさ
「はぁぁぁぁ…………」
眼前に広がる雄大な景色に、剣一が朝から思わずため息を吐く。一一月一二日。剣一は決戦の地として選ばれた、北アメリカ中西部にあるグレートプレーンズに来ていた。
「なんじゃケンイチよ、朝から気の抜けるような声を出しおってからに」
「おはようディア。別に気を抜いてたわけじゃねーよ。ただこういうのを見ると、俺ってちっぽけなんだなーって感じがしてさぁ」
「ふむ? わからんではないが……本当にそんなことを思ったのじゃ? 実はちょっと言ってみたかっただけとか、そんなことはないのじゃ?」
「……………………」
ニヤリと笑うディアの言葉に、剣一は無言で視線を逸らす。そのままディアの隣を歩き去ると、平原にぽつんと立てられた仮設住宅に入った。
そここそ、剣一達がウロボレアス出現まで待機する施設。日本から提供された被災地用のもので、プレハブとはいえ内部はかなりしっかりした作りになっていた。
「イッチー、おはウェーイ」
「おはようございますわ、剣一さん」
「ニオブ、レヴィ、おはよう」
家の中ではニオブがニュッと甲羅から首を伸ばし、専用の水槽に入れられたレヴィが頭を水面から出して挨拶をしてくる。ウロボレスがいつくるかわからないので、既に全員が集まっている。
「みんな起きたなら、丁度いいから飯にするか。さて、今日の朝飯は……」
言って、剣一は大きな冷蔵庫の中身を探る。とはいえ剣一に対した料理はできないので、取り出したのはパックの納豆だ。そこにインスタントの味噌汁とレンジでチンしたご飯を並べれば、あっという間に朝食の完成である。
「んじゃ、いただきまーす!」
「「「いただきます」」」
全員が声を揃えて食事を始める。椅子に座り器用に首を伸ばしてテーブルの上のおかずを食べるニオブはまだしも、水槽から出て宙に浮かんだ鮭の口にご飯やら納豆やらが吸い込まれていく光景はかなり異質だが、剣一宅ではいつものことなので誰も気にしない。
「うーん、不味くはないけど……なあイッチー、昨日の弁当、もう残ってないのか?」
「あるわけねーだろ! あんな沢山あったのに、お前らが全部食っちまったんじゃねーか!」
「ウオーッホッホッホッホ! あれは絶品でしたから、仕方ありませんわ!」
「そうじゃな。実に美味かったのじゃ」
剣一の母が持たせてくれた弁当は、昨日のうちに皆で綺麗に食べきっている。塩の利いた俵おにぎりや出汁入りと甘めの両方があった卵焼き、ぎゅうぎゅうに詰まった唐揚げや一口サイズのミニハンバーグなど、剣一の好物が詰まった弁当はディア達にも大好評で、ずっしり重かった弁当は気づいた時にはなくなってしまっていた。
「特にあの卵焼きは、本当に美味かったのじゃ。ワシが今まで食べたもののなかで一番美味いと言ってもいいくらいなのじゃ」
「いやいや、流石にそれは大げさだろ? そりゃ母ちゃんの料理は美味いけど、一番まではねーって!」
「カッカッカ、それはお主がまだ子供だからなのじゃ。様々な経験を積み重ね、戻ることのできない旅路を進み……ふと立ち止まった時、もはや二度と届かぬ味を思い出す。母の料理とはそういうものなのじゃ」
「ふーん…………ん? 待てよ、話繋がらなくね? ディアが俺の母ちゃんの料理を食べたのなんて、これで二回か三回目くらいだろ? 母の料理とか何の関係もねーじゃん!」
「そうじゃなぁ。ま、とにかく凄く美味かったという、それだけのことなのじゃ」
「むぅ」
カラカラと笑うディアに、剣一が微妙に腑に落ちない顔をする。そんな風に賑やかな食事を終え、洗い物などを済ませると……やることのなくなった剣一は、徐にソファに横たわってグデッとした。
「はぁ……暇だな」
今現在、剣一がやるべきただ一つのことは、ウロボレアスの出待ちである。それは逆に言うとここから離れて他の場所に行ったりすることができないということだ。
そしてそれこそが、ここに仮設住宅がある理由である。ディアの転移を使えば簡単に家に帰れるし、水や食材だって一瞬で運搬できるのだが、万が一ディアの魔法が使えない状況になる可能性を考慮して、ここに長期滞在できるようになっているのだ。
「祐二達は、今頃ダンジョンに向かってる頃かな? 英雄達もそうだろうし……しょうがねーからタブレットで漫画でも読むか……って、嘘だろ!? オフラインだと読めねーの!?」
剣一の悲痛な叫びがリビングに木霊する。一口にグレートプレーンズと言っても、その広さはかなりのものだ。主要な道路の側であればネットも繋がるが、剣一が「できるだけ人気のない、万が一の時に被害の少ない場所」を指定したので、この周囲には電波が届いていない。
電力はソーラーパネルと蓄電池があるし、水も家の外に大きなタンクがあるので生活に困ることはないのだが、現代のエンタメに染まりきった剣一には、ネットに繋がらないと暇を潰すのも難しかった。
「マジか……え、どうすっかなこれ。なあディア、一瞬だけ日本に帰ってデータをダウンロードしてくるとかは……」
「駄目に決まっておるじゃろ! どうしてもというのなら、そこの……ほれ、確か衛星電話とかいうのを使えばよかろう」
「いやでも、これ通信料馬鹿高いだろ。あと通話はまだしも、ネット接続はスゲー遅いって話だったし」
「そんなことワシは知らぬのじゃ」
「ぐぬぬぬぬ……」
唸ったところでインターネットには繋がらない。仕方ないので剣一は家の外に出ると、置かれていたビーチチェアに寝そべって空を見上げた。
天気は快晴ながらも、気温は摂氏一三度。ひなたぼっこと言い張るには少々寒い。
だがその寒さこそが、剣一の感覚かを鋭く磨き上げていく。目を閉じ、ゆっくりと呼吸を重ねると、やがて睡眠とは違う暗闇へと意識が沈んでいく。
(…………見える)
風、光、熱……世界を満たす力と理が、自分を包み込んでいるのを感じる。真っ暗闇の世界に白い点が広がっていき、この世の全てが見えるような気持ちになる。
それはかつて、エルの助力を得てクサナの「真眼」を使った時の名残。一度でも見えた、認識できたなら、剣一はその全てを知覚し、自覚し、斬ることができる。
吹き抜ける風の一房を、降り注ぐ光の一粒を。斬ろうと思ったその瞬間白黒の世界が広がり、視覚ではなく感覚で理解と認知が進んでいく。
広い、広い、世界は広い。草の隙間で何かが揺れる。その音の波形から小さなテントウムシのシルエットが浮かび上がる。
空には鳥が飛んでいる。遙か上空を雲が流れている。識れるのは剣の間合いのみ。ならば何処までも届く剣一の剣ならば、星の彼方までわかるかも知れない。
意識を飛ばす。だが途中でわからなくなる。剣一の知識に、経験に、詳細な宇宙の情報がないからだ。
(なら、ここが今の俺の限界か……)
あわよくば宇宙どころか世界を飛び越え、ウロボレアスが何処にいるかわかるかもと考えなかったわけではない。だが流石にそれは甘すぎたと苦笑すると、剣一の意識があっという間に現実に戻ってきた。
「……………………ふぅ」
「おい、ケンイチよ。集中の鍛錬を怠らぬのはいいことじゃが、肝心のウロボレアスへの警戒を忘れてはならぬぞ?」
長い息を吐いた剣一に、いつの間にか隣に立っていたディアが声をかける。
「ディア? あー、悪い。確かに今のはちょっと集中し過ぎてたかもな」
「まったく……まあ今の感じなら奴が侵入してくるのは早くても明日だと思うのじゃが、ワシが読み間違えるということもあるでの。いつでも斬れるようにしておくことだけは怠ってはならぬぞ?」
「わかってるって」
軽く手を振ってディアに答えると、剣一は改めて空を見上げる。
(そうだよな。世界はまだまだ広くって、知らないことも行ったことない場所も、会ったことない奴もしたことないことも、何もかもてんこ盛りなんだ。それを全部台無しになんて、絶対にさせねーからな)
心の内で静かにそう決意を強めつつ、剣一は家の中に戻っていき……それはそれとしてどうにかタブレットをネットに繋ぐ裏技がないかと、必死に頭を捻るのであった。





