日本の対応
今回の問題は、剣一個人の範囲で収まるものではない。故に今まで蔑ろにされ続けてきた日本政府にも件の情報は届けられ……八月三一日。世間では終わっていない夏休みの宿題に子供達が頭を抱える様子が見られるなか、国会議事堂の閣議室では子供達より深刻な顔で政治家達が頭を抱えていた。
「うぅぅ、何故私が総理になった途端、こんな問題ばかりが続くんですか……」
日本国内閣総理大臣、谷垣 次郎。齢六八歳にしてようやく掴んだ総理の座が、今はまるで針のむしろのように感じられる。
当然だろう。突然世界が滅ぶと伝えられたうえに、その原因となる外来生物を保護しているのが、他ならぬ日本人の子供なのだ。
「叩かれる……こんなのどうやっても叩かれるじゃないですか。ああ、これじゃ次の選挙が……」
「くだらん! 子供の戯言など無視して、さっさと処分してしまえばいいではないか!」
そんな谷垣の横でダンと拳を振り下ろすのは、防衛大臣の早川だ。古希を迎えてなお矍鑠とした体には力が溢れており、ギュッと握られた拳は怒りに震えている。
「ドラゴンだか何だか知らんが、原因だというのなら殺せばいい。魔物……特定外来生物は発見次第処分するように法案が通っている! なら警察に逮捕させるでも自衛隊に確保させるでも、やり方は幾らでもあるだろうが!」
「いやいや、早川さん。国内で大規模な軍事行動はマズいですよ。それに件のドラゴンにはアメリカやアトランディアも関与していますから、我が国の独断で処分するわけには……」
「それがくだらんと言っているのだ! それにそもそも世界崩壊の原因なのだろう? それを処分して感謝されることこそあれ、非難されることなど何もないはずだ!」
外務大臣の吉岡の言葉に、早川が声を荒げる。その怒りの言葉はまだまだ止まらない。
「そもそも、何だこの『友達を殺したくない』という意見は!? 日本国民……いや、世界を危機に晒しておきながらこのような厚顔無恥な発言ができるとは、如何に子供であろうと度しがたい! これだから私は義務教育の短縮には反対だったんだ!」
「ですが、そうしなければ日本の国際競争力は低下する一方でした。それにこれは個人の感情の問題であり、教育の質とはまた別の問題なのでは……」
「こんな個人が育ってしまうことが、質の低下だと言っているのだ!」
「まあまあ早川さん、落ち着いてください。その辺を追求するより、まずは現状の対策を考えませんと……」
「む……まあ総理がそう言うのであれば、ここは引きましょう」
愛想笑いを浮かべて言う谷垣に、早川が一旦引き下がる。そうして場が静まったことで、谷垣は改めて全員を一瞥してから話を続けた。
「では、日本の取るべき方針に関してですが……」
「そんなもの、ドラゴンの殺処分一択だ。むしろそれ以外にどんな選択がある?」
「言葉は過激ですけど、谷垣さんの言うことは理に適っていると思います。ですがそれには『どうやるか』が問題なのです。
情報によれば、ドラゴンというのは極めて凶暴であり、アメリカ軍を簡単に圧倒できるような存在とのことです。そんなもの三匹を相手取るとなると、自衛隊でも難しいかと……」
「ん? だがそのドラゴンは、日本人の子供に管理されているのだろう?」
吉岡の言葉に、早川が首を傾げる。
「管理しているというのなら、その子供に殺させればいいではないか。できるんだろう?」
「えーっと……そうですね、資料によれば、その子供……蔓木 剣一という一五歳の少年ですが、彼ならドラゴンを殺せるそうです」
「なら早速そうさせればいいだろう? 処分してしまいさえすれば、他国も口を挟む余地がなくなるはずだ。後でわーわー言ってきたら、『世界の危機を救うための行為に文句を言うとは何事だ』と、こっちからたたき返してやればいい」
「ですが、先ほどの資料からすると……」
「そんなもの、令状でも何でも出せばいいだろう。従わないなら犯罪者……いや、いっそ国家反逆罪として逮捕すると脅してやるか?」
「流石にそれを子供相手にやったら、世論が黙ってませんよ。特に野党がここぞとばかりに騒ぎ立てるのが目に見えてます」
「ならいっそ、世論を誘導するのはどうですか?」
苦笑する谷垣に、吉岡が提案する。
「世界を滅ぼす原因であるドラゴンを子供が庇っているという情報を、あえてリークするんです。そうすれば世間はその子供を激しくバッシングするでしょうから、そこでこちらから手を差し伸べて保護すれば……」
「なるほど、一度怖い目を見ればこちらの言うことを素直に聞くようになる、か。子供を躾けるのに痛い目を見せるのは確かに効果的だな」
「それにこれなら、政府が批判される要素はありません。むしろ問題解決に積極的に動いたとして賞賛されるかも知れません」
「おおー、いいですね! 傷ついた子供を保護するというのは民衆受けもいいでしょうし、そうすれば次の選挙も……よし、ではそれで――」
「いいわけがあるか、この馬鹿者共が!」
と、そこで突如として閣議室の扉が開かれ、白髪の老人の怒声が響き渡る。
「ひえっ!? あ、貴方は確か……白鷺 清秋!?」
「ははは、こうしてお会いするのはこれで三度目くらいでしたかな? お久しぶりです、谷垣総理」
「ハッ! ヤクザの親玉がよくも堂々と顔を出せたものだな! おい、誰か! 今すぐコイツをつまみ出せ!」
ニッコリ笑って挨拶する清秋に、早川が怒声をあげる。しかしどれだけ待とうとも、誰かがやってくる様子はない。
「悪いがここの警備は掌握させてもらった。呼んだところで誰も来ぬよ、早川君」
「ぐぬぬぬぬ……黒巣とかいう癌がいなくなったかと思えば、今度はこんな輩が現れるとは! 日本の政治はどうなっておるのだ!」
「それはこちらの台詞ですよ」
憤る早川に答え、清秋の背後から一人の男が姿を現す。四七歳という若さで官房副長官に抜擢された四谷 孝彦だ。
「皆さんのような方がいつまでも居座るから、日本の政治はなかなかよくならないのです。そろそろ後ろの世代に席を譲るべきなのでは?」
「貴様、四谷!? 六〇にもなっていない若造が、随分と生意気な口をきくものだな!」
「だからその感覚が古いんですよ……」
早川の恫喝に、しかし四谷は苦笑して肩をすくめる。それからチラリと清秋の方に視線を向け、小さく頷いたのを確認するとニヤリと笑って口を開く。
「ところで早川先生。実は早川先生のご自宅に、強盗が襲撃を企てているようなのです」
「な、何!? 強盗!? 何だ突然……そんなものすぐに捕まえろ!」
「いやー、それがなかなかに手強くて難しいんですよ。なので強盗対策として、早川先生の財産を全部慈善団体にでも寄付したいんですけど、いいですか? ほら、奪われるものがなくなれば強盗が来ることもないわけですし、そうなればご近所にも迷惑とかかからなくて、全部丸く収まると思うんですけど」
「いいわけあるか! 犯人を逮捕できない無能を棚に上げ、被害者である私に財産を差し出せなど、よくそんなことが言えたものだな!」
「え? でも今、早川先生達はそういう会話をしてましたよね?」
怒鳴る早川に、四谷が大げさに驚きながら言う。するとそこに今度は清秋が会話に入ってきた。
「今回の問題、対処すべきは明らかにこの世界に襲いかかってくる謎の存在だ。にもかかわらずお前達は『ドラゴンがいるのが原因だから殺せ』と主張する。今の自分の発言を顧みて、大人としてどう思うかね?」
「それは……だが強盗なら捕まるが、謎の存在とやらは倒せんのだろう? ならば国民を守るために、外来生物を駆除する方がどう考えても正しいだろう!」
「そうだな、その主張そのものは私も否定しない。故にお前達が本当に民のことを考え、その想いを真剣に蔓木君に伝え、伏して頼むというのであれば、私だって何も言わなかった。
そしてその結果が今と変わらずともお前達を責める気などなかったし、あるいは説得に成功して蔓木君が厳しい道を選ぶなら、私はそれを決めた蔓木君やドラゴン達に心からの賞賛を贈ったし、お前達のことも高く評価しただろう。
だが……」
そこで一旦言葉を切ると、清秋の目がカッと見開かれた。途端体から発せられた圧力に、谷垣達は思わず身をそらしてガタリと椅子を揺らす。
「よりにもよって、世論を操作し蔓木君を叩かせる!? 年端もいかぬ子供を追い詰め、しかもそれを己の選挙に利用しようなど、認められるはずがない!」
「ひっ!?」
「腐っても鯛……黒巣がお前達を見逃していたのは、どれほど澱み濁ったとしても、これまで築いてきた権力地盤や利権関係には利用価値があったからだ。一朝一夕には変えられぬそれらを一層してしまえば、日本の国力が看過できないほどに落ち込んでしまう。だからお前達はお前達であることを許されていたのだ。
だが、それも今日までだ。若い世代が育ってきた今、お前達はもはや必要不可欠な先導者ではなく、足を引っ張るだけの害悪と成り果てた。地位も名誉も権力も……老いたその身に過ぎたる悉くを、後人達に置いて去るときが来たのだ」
「な、何を勝手な……私は内閣総理大臣、谷垣 次郎ですよ!?」
「それがどうした! 私は白鷺 清秋だっ!」
互いにただ名前を名乗っただけ。だが谷垣は完全に気圧されて言葉を失い、他の二人も何も言えなくなってしまう。
そんな二人から視線を切ると、清秋は横にいた四谷に向き直り、その肩にポンと両手を置く。
「ふぅ……さて、自分で言ったことだからね。私のような老人が出しゃばるのは、できればこれで最後にしたいものだ。
なあ四谷君。権力というのは暴走するものだ。私のこのやり方とて、とても褒められたものではない。だから……」
「お任せ下さい、白鷺さん。私達がきっと、若い世代も政治に興味を持つような日本にしてみせます。権力者になるための人気投票ではなく、真に国の進む方向を、誰もが選んで投票できるように……そうすれば二〇年後、もし私達がみっともなく権力にしがみつく愚物に成り果てたとしても、続く若い国民達が、きっと引きずり下ろしてくれますよ」
「ハハハ、それは何とも頼もしいな」
自分は絶対そうならないではなく、そうなっても大丈夫な環境を作り、そこで育つ若者を信じる。その言葉に破顔すると、清秋は静かに閣議室を後にする。
老兵は死なず、ただ消え去るのみ……だというのにその足取りは、踊るように軽やかだったという。





