剣一とロシア
「スゲーな。ここがあの有名な聖ドロテヤ大聖堂か……」
八月一九日。特に何事もなくロシアに辿り着いた剣一達が立っていたのは、新造されたばかりの大きな聖堂の前であった。タマネギのように膨らんだ独特の屋根とカラフルな色彩の外壁は日本人の剣一の目にはテーマパークのお城のように映ったが、そこから漂う神聖な気配が「これは本物だ」と如実に物語っている。
ちなみにだが、ロシアには他にも歴史ある大聖堂が幾つもあるのにどうしてここが一番有名になっているかと言えば、この大聖堂が造られた経緯が、五〇年前のダンジョン出現に関わっているからだ。
当時この北の地にはソビエト社会主義共和国連邦という大国が存在しており、ロシアはそこに含まれる一国でしかなかった。だがダンジョン出現に伴いソビエトもまた大きな混乱に見舞われ、やがて国としての体裁を保てなくなっていく。
だがそんな時、ロシアに<天眼>というスキルを持つ子供が現れた。五歳と少しでスキルが芽生えてから急激にその知能が高まり、六歳の時には法典を諳んじるどころか、難しい解釈に関して大人と論議を交わせるほどになる。
加えて一〇歳になってスキルが覚醒すると、その言葉は訪れていない未来を示唆するようになる。故に今現在彼女しか持っていない<天眼>のスキルは、予知や神託のような、通常知り得ぬ未来の情報を得ることのできる類い希なるレアスキルであると判断された。
そんな少女を「聖女」として祭り上げることで国民を纏め、新たな国として興ったのが現在のロシア……聖ロシア共和国である。流石に実際の政治活動を幼い少女に任せるのは誰もが不安だったので、国民から選ばれた大統領に聖女が助言する……という形の体制を取ってはいるが、それでも聖女ドロテヤをトップとした「救世の光」教団の権勢は圧倒的であり、ならばこそその総本山であるこの大聖堂は、剣一ですら知っているくらい有名な場所となっているのだ……閑話休題。
「で、俺はこれからここで聖女様に会うのか……何か緊張してきたな」
荘厳な雰囲気を放つ建物を前に、剣一がそう呟く。気づけば国王や大統領や皇帝とも面識を持った剣一だが、そのメンタルは未だ祐二達と一緒にダンジョンに潜っていた頃と変わらない。
というか、たかだか数ヶ月でいきなり世界のVIPに登らされたと言われても、実感など湧くはずもない。故に気後れする剣一に、エルが苦笑しながら声をかける。
「ほら、しっかりしなさい。大丈夫よ、アタシも一緒についていってあげるんだから」
「お、おぅ。ありがとな、エル」
「どういたしまして」
「ねえ、クサナ。確認だけど、本当に私も一緒でいいの?」
笑顔を向け合う剣一とエルを横に、アリシアが改めて自分の足に手を添えているクサナに問いかける。招待を受けた剣一は当然として、アトランディアの王女であるエルが聖女に会うことも違和感はない。
だがアリシアは単なる一軍人であり、更に言うなら立場的にはよくて護衛、でなければただの同行者だ。自国の大統領ですらなかなか会えない相手に自分が会うというのに不安を感じるのは当然だろう。
「大丈夫……です。聖女様は、全部お見通し……です」
「そう? ならいいけど――」
「……多分」
「多分!? うぅぅ、不安だわ……」
「アリシアったら、そんなに気にしなくても平気よ! 駄目なら駄目って向こうから言ってくるわよ、きっと」
「それは勿論そうでしょうけど、会おうとしたってこと事態が相手に不快感を与えることもあるのよ」
「えぇ、そんなことまで考えるの? アトランディアはそういうのないわよ? 時間さえあれば、よっぽど不審な人以外とならお父様……陛下はお会いになるもの」
「その辺はお国柄の違いでしょうね……ふぅ。おまけの私がいつまでも尻込みしているわけにもいかないし、行きましょうか、待たせてごめんね、ケンイチ君」
「いえ、気にしないでください。んじゃ、行こうぜ!」
謝罪するアリシアに笑ってそう答えると、一行は大聖堂へと入っていった。開け放たれたままの大扉から一歩踏み込んだだけだというのに、その瞬間周囲の気温がいきなり下がったかのような印象を受ける。
「うおっ!? 何か寒い……いや、寒いのとは違うか? 冷たい?」
「神聖な場所なんだし、言うなら空気が澄んでるとかでしょ。でも、確かに不思議ね。外には沢山観光客がいたのに、中には全然いない……?」
「それはこの大聖堂を、結界が覆っているからです。招かれた者や真に教えを求める者以外は、精神的に入りづらいと感じるようになっているのですよ」
と、そんな剣一達に、黒い修道服を着た男性が声をかけてきた。剣一達が顔を向けると、男性は瞑目しながら軽く頭を下げる。
「ようこそいらっしゃいました、蔓木様、エルピーゾ様、そしてミラー様。私は皆様の案内を務めさせていただきます、ジョレスと申します。どうぞ宜しくお願い致します」
「こちらこそ宜しくお願いします……って、日本語?」
ジョレスの挨拶に普通に答えてから、剣一はその違和感に首を傾げる。するとジョレスは朗らかに笑って説明をしてくれる。
「ええ、そうです。聖女様のお言葉を正しく伝えるため、外交担当である我等『黒服』は、主要な国家の言葉は全て話せるように学んでいるのです。もっと小さな国や地域、部族の言葉などとなると話せる者が限定されますが、現在確認されている全ての言語が、必ず誰かに通じるようになっているのですよ」
「へー、そりゃ凄いですね」
「それってひょっとして、アトランディアの言葉もわかるんですか?」
素直に感心する剣一を横に、エルが問う。するとジョレスは笑顔で頷き、その口を滑らせる。
「フィシカ、プリンキピッサ(勿論です、王女様)」
「うわー、本当に通じるのね! 凄い凄い!」
「ふふふ、ありがとうございます。聖女様のお言葉は極めて重要なので、ほんのわずかな解釈違いが問題となることがございます。なのでそれぞれの国の言葉に間違いなく翻訳するのは、絶対に必要なことなのです。
それとアトランディア語ですが、文字こそ独自のものをお使いになられておりますけれど、言語としてはほぼギリシャ語ですよね? なので習得は容易でしたが、一体どうしてそうなったのか……っと、失礼しました。話が逸れてしまいましたね。
聖女様がお待ちですので、こちらへどうぞ」
改めて一礼すると、ジョレスがそう言って先導し始めた。剣一達はそれに着いていきながら、大聖堂の中を何気なく見回していく。
「服の色が三種類あるんですね。黒と灰色と白?」
「はい。外部の人に触れる者は黒、その者と教団の者を繋ぐ者が灰、そして純粋に教団のなかでだけ働く者が白となっております。一般的な教団のように階級が分かれているわけではなく、単純な役割分担ですね」
「へー、そうなんですか。あれ? じゃあ俺を迎えに来たクサナは、何で白い服を着てるんだ?」
「ひゃっ」
剣一が振り返ると、クサナがヒュッとアリシアの影に隠れる。以前よりは怖がられなくなった気がするが、それでもこの反応であることに剣一が苦笑を浮かべていると、ジョレスが疑問に答えてくれる。
「それは、クサナ様が『使徒』だからですね。先ほど階級がないとは言いましたが、それはあくまで我等一般信徒のことであって、当然ながら聖女様は唯一無二の存在となります。
またそれに加え、聖女様に選ばれた者は『使徒』となります。その者は聖女様から直接お言葉を賜ることになるので、その服は例外なく『白』になるわけです」
「つまり外部と関わるかどうかより、聖女様と近いかどうかで服の色が違うってこと?」
「そうですね。ただ正直なところ、そこまで厳密に分かれているというわけでもないのです。灰や白の服を着ていても一般信徒の方と触れ合うことはありますし、私のような黒服であっても、必要であれば聖女様が直接お声がけしてくださることもあります。
ただ、何も知らない外部の方にとっては、こういうわかりやすい区分があった方が対応しやすいだろうというのが、聖女様のお考えなので」
「それは確かにそうね。組織として要請を出すなら、そっちの方が絶対にわかりやすいもの」
エルの確認にジョレスが応え、アリシアが頷く。そんな感じで軽い雑談を交えつつ、一行は大聖堂の中を歩いていき……
「では、こちらとなります」
ジョレスが足を止めると、目の前にあった分厚い扉が勝手に開いていく。そうして姿を現したのは……
「よくきてくださいました。私が聖女ドロテヤ・ジーナスです」
白いローブからオパールのような髪を流し、ルビーのような左目とサファイヤのような右目を持つ、美しい妙齢の女性であった。





