己との戦い
「まずは様子見……などと温いことは言わぬぞ! 最初から全力なのじゃ!」
捨て身とまでは言わずとも、十分な渾身。その顎を大きく開くと、ディアは宙空を蹴って突進した。その勢いは光速に比べれば遅いが、幻影よりもずっと重い。だが……
ガチン!
「はんじゃほ!?」
「どうした、この程度か?」
ディアの牙を、握神竜デアボリックがそのまま腕で受け止める。思い切り噛みついているというのに、それは食い込むどころかかすり傷すらつけられない。
「ふんっ!」
「ぬあっ!? ど、どういうことじゃ!?」
デアボリックで腕を振るい、ディアの巨体が吹き飛ぶ。再び元のように対峙する二体だったが、その精神状態は大きく違う。
この一撃で決着がつくと思っていたわけではないが、それでもこの一撃には、その後の勝負を大きく左右するだけの威力があるはずだった。
故にディアはかわされる、防がれる、受け流されるなどの幾通りかの状況を想定し、そこから更なる攻勢に繋げるつもりであったが……それがまさか、特に何をされるでもなく無傷で防がれるというのは、完全に予想外であった。
(全力で噛みついて無傷!? ワシと此奴の間には、そこまで力の差があるのじゃ!?)
「では、次はこちらからいくぞ」
「くっ!」
ニヤリと笑ったデアボリックが、今度はディアの方に突っ込んでくる。体の大きさは同じだというのに、その速度は光速に等しく、そしてその重さは己よりもずっと重い。
(これは……っ)
速すぎて回避は不可能。重すぎていなすのも無理。故にディアが瞬時に選んだのは、皮肉にも己の先ほどと逆……己の腕でデアボリックの牙を受け止めること。しかし――
ブチンッ!
「ぐぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
結果は全くの逆。ディアの腕は容易く食いちぎられ、デアボリックは己の同位体たるディアの腕をグチャグチャと咀嚼し飲み込む。
「……ふむ。我が身を喰らうのもこれで七度目だが、此度は殊更に味が薄いな。一体どれほど怠けていたのだ?」
「別に怠けてなどおらぬ! ……おらぬはずじゃ」
ディアの脳裏に、ふと最近の食っちゃ寝生活が蘇る。だがドラゴンとしての長い生を考えれば、たかだか四ヶ月ほどのそれが体に影響を与えることなどない。ないが……とはいえお腹がポテッとしていることを気にしていないわけでもない。
「まあ、そんなことはどうでもいい。これならすぐに決着がつきそうだ」
「……何故じゃ? 何故ここまで力が開く? ワシとお主はほぼ変わらぬのじゃろう?」
グッと力を込めて流れ出る血と魔力を抑え込みつつ、ディアが問う。だがその質問を、デアボリックは鼻で笑い飛ばす。
「ハッ! 確かに我と貴様の元は同じだ。だが我は貴様よりずっと先を歩いている。我は貴様が諦めた神の領域に足を踏み入れているからな」
「じゃから何故! どうしてそうなったのじゃ!? そこまで名が同じなら、お主もワシと同じく封印に捕らわれておったのじゃろう!? そこからどうして再び神を目指そうなどと思ったのじゃ!?」
かつて神を目指していたころのディアは、単純に世界を喰らい尽くすより、生かさず殺さずの状態で維持し続ける方が長期的に見れば得られる力が多くなるのではないかと考えた。
そしてその結果が、その世界に住まう人々の心を黒く染め上げ、そこから生まれる怒りや憎しみの感情を己の力と変える仕組みだった。染め上げられた七つの世界は何千年もの間ディアに力を吸い上げられ続けることとなり、その結果ディアは当時存在していたドラゴン達のなかでは群を抜いて強く、神にもっとも近い者として認識されていた。
だが栄華は続かない。ディアの支配下にあった七つの世界が「悪心竜デアボリック」という共通の敵を介して繋がり、世界を跨ぐ大魔法にてディアを封印することに成功したのだ。
どれほど強大な力を誇ろうと、所詮は世界の理に捕らわれる者。ダンジョンという神の仕組みに取り込まれ、ディアは世界と分断された小さな部屋に閉じ込められた。
もはやディアは自力で部屋から出られない。食べられるものもなく、隔離された空間では外から力を得ることも敵わないので、その身は徐々に衰弱していく。
そうして飢えと渇きに苛まれるディアが感じていたのは、自らを封じた七つの世界の者達に対する怒りや恨みでもなければ、死ぬことに対する恐怖や絶望でもなく……意外なことに静かな「悟り」であった。
――ああ、自分はこうやって死んでいくのか。命とはかくも儚きものであり、ままならぬものであるのか。
力を振るって他者から奪った事実を、後悔などしていない。その結果更なる力によって己の命が奪われようとすることに、理不尽など感じない。何故ならそれら全てが世界の真理であり、在るべきものが在るがままにある、ただそれだけのことだったからだ。
――己が死ねば、己の身に蓄えられた膨大な力もまた世界に霧散し、新たな命として何処かで芽吹いていくのだろう。これほど大きな力が存在してもしなくても、世界は変わらず在り続けるのだろう。
ならば命とは何か? 生きるとは何か? 死とは何か? 己とは何か?
問うたところで答えはない。自問自答が行き着く先は自身の限界であり、どれほどの賢者であろうとその壁を越えることはできない。
――多くを喰らった。多くを宿した。この身には己が認めた英雄の力と名が刻まれているが、その魂はここにない。あの者ならばこう考えるだろうと想像するのは、結局一人遊びの延長でしかない。
「…………もしも我が『独り』でなかったならば、別の答えに辿り着けたのであろうか?」
もはや「神の座」など、欲しくもなんともない。並ぶ者のない高みなど、語る者のいないこの底辺と何が違うかわからない。そして唯一望むものは、未来永劫手に入らない。
暗く冷たい部屋の中に、聞く者のいない呟きが響く。それがディアに与えられた『結果』であり、それがディアに許された『結末』である……はずだった。
「……ああ、わかっているとも。我もまた同じように封印に捕らわれていた者。確かにあの時の我は、貴様と同じく『神の座』などどうでもよくなっていた」
「ならば――」
「だが! 我にはそれを変える出会いがあった。貴様にもあったのではないか? でなければ、第一位の名が変わっているはずがない!
それがあったからこそ我は再び神の座を求め、こうして平行世界に移動することすらできるようになったのだ! それと同じものが、貴様にもあったはずだろう!」
ドラゴンの名のうち、最初と最後は世界によって名付けられる。たとえばディアの場合、最初の「悪心竜デアボリック」の部分と、最後の「イニシエート」の部分は世界によって名付けられたもので、ドラゴンとして世界に出た瞬間のディアの名は「悪心竜デアボリック・イニシエート」であった。
だがそこから先、ドラゴンは五つまで己が認め、欲した相手の名と力をそのまま我が身に取り込むことができる。そしてその再現力は、当然ながら先に名乗る方が強い。
故にドラゴンにとって、一番目の名前が変わるというのは一大事だ。それは戦い方どころか己の存在を根底から変えるような変更であり、気軽に入れ替えられるようなものではない。
だというのに、ディアとデアボリックは第一位の名前だけが違う。それこそが二体のドラゴンが同じでありながら違う、何より大きな理由であった。
「……ああ、あった。忘れられぬ……決して忘れてはならぬ出会いと別れが、ワシにはあったのじゃ」
「我も同じだ。その違いこそが我と貴様の違いであり……その違いがあるからこそ、我と貴様は相容れぬのだ」
同じであるディアとデアボリックが、同じでなくなった運命の出会い。ディアの脳裏に浮かんだのは、そんな自分を変えた日の出来事であった。





