エルの判断
「お連れ様は外でお待ちです。ご案内致します」
「あ、はい」
(よかった、考える時間ができた……)
扉の外に待っていたのが仲間ではなく見知らぬ女性だったことに、エルは内心でホッと胸を撫で下ろす。皇帝の話があまりに衝撃的すぎて、今は少しでも考える時間が欲しかったからだ。
(何なのよあの話……あんなの聞かされて、どうしたらいいの!?)
正直に言っていいなら、知りたくなかった……そんな皇帝の話を、エルは頭の中で何度も反芻する。望んで聞いたわけではないが、聞いてしまったからにはそれをどうするかを判断しなければならない。
勿論「あんなの全部嘘。自分は何も聞かなかった」とすることもできるが、そうするかどうかもまた、ここで決めねばならぬことなのだ。
(ディアが隠れて人間を操ってた? そんなことある……の? うぅ、わかんない……でも、できるかできないかで言ったら、多分できるわよね)
エルにとって、ディアは剣一の家に居候しているぽっちゃり気味のドラゴンだ。普通に話をするし美味しいお菓子や料理を一緒に食べたりすることもあるが、その深いところを知っているわけではない。
というか、そもそもディアは気が遠くなるほど昔から生きていて、色んな世界を渡り歩いたドラゴンだ。今は大人しくしていても人間とは善悪の観念が違うのだから、自分達の知らないところで独自の価値感に基づき行動している可能性はゼロではない。
(……そうよね。今は普通に遊んでるニオブだって、元はこの世界を滅ぼそうとしてたんだもの。なら昔のディアが何かしてたってことも、実はそう不自然なことじゃないの?)
ウェイウェイ言ってるだけの亀になったので忘れがちだが、ニオブはエル達にとって宿敵であった光塵竜ニオブライトである。レヴィだってアトランディアをずっと護ってくれていたドラゴンではあるが、それ以前には人を襲ったりしていた事があるというのを、本人……本ドラゴンから聞いたことがある。
(でも、それなら何で今回は助けてくれたんだろ? いえ、それ以前にそんなことをしてたなら、アタシ達がここに来るのを止めるとか、隠すとかするんじゃない?
でもアタシ達は向こうから手を出してきたウー将軍と関わって、黒いナニカを全部やっつけちゃった。本当にディアが何かしてたなら、それっておかしくない? だって隠そうと思えば隠せるし、本当に人を操れるなら、ウー将軍に手を出すなって指示すればよかっただけでしょ? なのに……あー! 何なのよもー!)
「あの、お客様? 大丈夫ですか?」
「へ!? あ、はい。大丈夫です」
どうやら知らぬ間に、エルは立ち止まって変な顔をしていたらしい。それに気づいた案内役の人が声をかけてきたことで、エルは慌ててそう答え、引きつった愛想笑いを浮かべる。
すると軽く首を傾げた案内役の人が、怪訝な表情を浮かべつつも再び歩き始める。なのでエルもそれに合わせてしっかり足を動かし始めた。
(ふーっ、危ない……それにしても…………アタシ、何にも知らないんだなぁ)
こっそり息を吐きつつ、エルはやや自虐的な笑みを浮かべる。もし自分が変化する以前のエン皇帝の人となりを知っていたら、何かが変わったかどうかを判断できたかも知れない。あるいはこの国の歴史をもっとよく学んでいたら、当時の皇帝の判断からあの話の真偽を類推することだって可能だっただろう。
だがエルは何も知らない。比較するべき情報も、真偽や是非を判断する基準も何もないからこそ、こうしてフワフワした指向を空回りさせることしかできないのだ。
「……お兄様だったら、違ったのかな?」
ぽつりと、そんな声が零れる。今は残念な状態になっているが、兄ニキアスが王位を継ぐべく様々な努力をしていたことを、エルはよく知っている。
加えてほんの数回ではあるが、ニキアスには外交の経験もある。そんな兄ならば皇帝の狙いを読み取り、あの話が本当かどうか……もし嘘が混じっているなら、どんな意図でそうしたのかを理解できたのではないか?
世界を救うという名目はあれど、実際には自分のことばかりで「王族」という立場に目を向けなかった自分と違い、そこに真っ向から向き合っていた兄なら、もっといい判断ができたのでは……そうして湧き上がる劣等感を、エルは首から提げた小瓶を握りしめることで無理矢理に押さえ込む。
(……駄目よエル。しっかりして。アタシはお兄様じゃないし、アタシ達が追いやったから、お兄様はここにいない。ならその責任を果たすためにも、アタシがしっかりしなきゃいけないの。
だって、レヴィは待ってくれてる。アタシがちゃんと、アタシとしての答えを出すのを待ってくれてるんだもの。ならちゃんとしなきゃ)
ずっと一緒にいて、おそらく話も聞いていたはずなのに、レヴィはここまで一言も発していない。だがそれは決してレヴィに見捨てられたわけではなく、むしろ逆だとエルは考える。
自分が問えば、レヴィはおそらく答えてくれる。自分などよりずっと賢く長生きなレヴィなら、自分よりずっと完璧な答えをあっさりと用意してくれるだろうという確信がある。
だが、それは結局自分の考えをレヴィに委ねているのと同じだ。問題が起きる度にレヴィに問い、その通りに答えるだけになってしまったら、それは操られていたウー将軍や皇帝と何が違うのか?
そんなものをレヴィは望まない。愛しい我が子を傀儡にするなど、優しき国母竜が願うはずがない。
自分が答えを出すのを待ってくれている。自分なら答えを出せると信じてくれている。<共感>のスキルなんか使わなくても、レヴィならそう思ってくれている。そう信じられるからこそ、エルはエルは問うことなく考え続けるのだ。
「到着致しました。では、私はこれで」
「え、もう!?」
「おーい、エル!」
が、現実は非情であり、廊下の長さは常識の範囲内である。結局答えが出る前に、エルは仲間の元に辿り着いてしまった。一礼して去っていく案内係と入れ違うように、剣一が手を振ってエルの方に駆け寄ってくる。
「お疲れさん、エル。結構かかったけど、何の話だったんだ?」
「えーっと……」
「ちょっとケンイチ君? 陛下がわざわざお姫様だけに話したんだから、詮索したら駄目よ?」
「そうヨ少年。世の中には知らない方がいいいことが一杯あるネ。小難しい顔してる役人より、アホ面で流れるプールに浮かんでるやつの方が一〇〇倍くらい幸せだと思うネ」
「流れるプール! サメの浮き輪もある、です?」
「お、クサナも興味あるカ? あるヨー! サメでもカニでもバナナでも選び放題ネ!」
「……アリシア?」
「クサナ、行きたいの? 別にいいけど……ケンイチ君達はどうする?」
「そうですね。なら気分転換に――」
「ごめん! あのねケンイチ。アタシ、ケンイチに話があるの。二人っきりで……駄目?」
「お、おぅ!? いや、駄目じゃねーけど……」
突然の申し出に、剣一が微妙に挙動不審になる。するとそれを見て聞いたアリシアが、ニヤリと意味深な笑みを浮かべた。
「あー、なるほど。なら私達は遊びに行ってくるから、二人はゆっくりしてくるといいわよ。ほらクサナ、ミンミン、行きましょ」
「わかったね。ワタシだって馬に蹴られる趣味はないネ」
「サメちゃんの浮き輪……楽しみ、です」
「それじゃ、また後でね!」
ヒラヒラと手を振って、アリシア達が去っていく。その背中を見送ると、剣一は改めてエルの方に視線を向けた。
「えっと……じゃあ、どうする?」
「とりあえず、少し歩かない? 日本ならともかく、ここだとホテルの部屋もあんまり落ち着かないし」
「それもそうだな。んじゃ久しぶりにのんびり散歩といくか」
剣一が自然に伸ばした手に、エルが掴まる。そうして二人はゆっくりと、中国の町を歩き始めた。





