皇帝との謁見 後編
「……それって、陛下もウー将軍に操られていたってことですか?」
恐る恐る問うエルに、エイ皇帝は難しい顔で首を横に振る。
「わからぬ。そうであったのかも知れぬが……調査でわかったウー将軍の行動も、朕の知るウー将軍という人物像からはやや離れた、正直大雑把というか適当というか、そういう感じのものが多かったのだ。であればウー将軍もまた、何処かの誰か、あるいは何かに影響を受けていたのではないかと思う。
実際、今回のウー将軍の立ち回りは賢いものとは思えなかった。全てが終わった後だから言えるというのもあるだろうが、それにしたって日本にドラゴンが残されているのを知っていながら日本国内で部隊を動かしたり、戦車や戦艦を斬るような小僧を簡易的な拘束のみで、見張りすらいない部屋に留め置くなど、不用心にもほどがある。そんな迂闊な者が将軍になれるほど、我が国の地位は安くない。
だというのに、ここぞという一番警戒すべき場面でウー将軍は失態を重ねた。それこそがウー将軍の思考もまたまともではなかったという証拠ではないかと、朕は考えるわけだ」
「なるほど……それは確かに、そうかも知れないですね」
皇帝の言葉に、エルは納得して頷く。実際剣一と清秋の会話を横で聞いていたなかでも、「まさかアメリカとの模擬戦を見た後、中国ほどの大国がこんな迂闊な動きをするとは思わなかった」という話があったので尚更だ。
「そこまで思い至った朕は、更に記憶を遡っていった。一体いつから朕は黒いもやに思考を妨げられていたのか? それをひたすらに思い返していって……遂に思い至ったのは、朕がこの国に革命を起こす、少し前のことだ。
当時、朕はただの若者であった。荒れている国内事情に辟易してはいたものの、だからといって自分の力でこの国を立て直そうとか、そんな大それたことなど考えることのない、単なる貧農の息子であったのだ。
だがそんな朕の前に、一人の男が現れた。その者は当時の朕でもわかるくらい高そうな黒いスーツを身につけた背の高い男であり……そいつが朕に言ったのだ。激しく揺らめき滅び行くこの国を、朕の力で統一せよ、とな」
「えっ!? でも陛下は、秦の始皇帝の血族なんじゃ……?」
首を傾げるエルに、皇帝が自虐的な笑みを浮かべて吐き捨てる。
「ハッ! 何千年も前の偉人の血だぞ? ここまで世代を重ねたら、もはや一滴も血が混じっていない事の方が難しいではないか。日本の天皇のように直系男子で血を継いできたというのなら話も違うだろうが、朕の即位に誰も文句を言わぬということは、そういう本物は存在しないのだろうしな。
ま、そんなことどうでもいい。とにかく朕が言いたいことは、この一連の騒ぎが一体いつ、何処から始まったのか? そしてそれは本当に終わったのか? そういうことが全くわからんということだよ」
「ま、待ってください。そんな重要な話を、どうしてアタシにだけしてくれたんですか? もっと他に、話のわかる人がいると思うんですけど?」
聞いた話が本当なら、という前提はつくものの、自分が一人で抱えるにはあまりにも事が大きすぎる。戸惑いを口にするエルに、しかし皇帝は顔をしかめる。
「いや、いない。だからお前に話したのだ。
まず前提として、今回の事件に関わっていない者には話せない。内容が荒唐無稽すぎて、朕が妄言癖を持つ者だという揶揄が広まるだけだ。元の生まれや動機はともかく、今の朕は間違いなくこの国の皇帝。やっと幾らか安定してきた国内を、そんなことで乱れさせるわけにはいかぬ。
そしてシラサギとかいう男も駄目だ。あれは話は通じるだろうが、だからこそ今の朕の立場でこれを語っても、体のいい言い訳としか思われぬ。加えてこちらには負い目しかないのに、その上で更に弱みを握らせるなど論外だ。
もしも話せばここぞとばかりに我が国に食いついてくるであろうアメリカの軍人もあり得ん。ロシアならば話し相手になるだろうが、あの娘では流石に幼すぎる。我が国の諜報員は……言うまでもないな。
ほれ、消去法でお前しかおらぬではないか。それにお前には、幸いにしてアトランディアの姫という立場もある。魔法大国の姫であれば、朕の知らぬ事実に行き当たるかもしれん」
「で、でもじゃあ、ケンイチは? ケンイチだったら……」
「あれにだけは、絶対に知らせられぬ!」
瞬間、皇帝が強い口調で言う。皮肉な言動を見せつつも比較的穏やかだった態度の急変にエルがビクッと身を震わせると、皇帝は心を落ち着かせるように長く息を吐いてから言葉を続ける。
「ふーっ…………気が高ぶってしまった、許せ」
「い、いえ……でも、何でケンイチがそんなに駄目なんですか?」
「…………朕の前に現れ、朕に力を与えたと思われる男の話をしたな? その男は自らの力を示すといって、朕の前から消えるとき、その姿を変じたのだ。
ああ、思い出した。いや、あれをどうして今まで忘れられていたのか……あの男は、黒く巨大な龍となって朕の前から飛び去ったのだ」
「黒くて大きな竜……ドラゴン?」
「そうだ。あんなものを人が御せるとは思えん。故に龍使いの少年もまた、龍によって大きな影響を受けているのではないかと朕は考えている」
「そんな!? そんなことないわよ! だってケンイチは、ドラゴンよりずっと強いもの!」
「フンッ。それが本当かどうかなど、朕にはわからぬ。そうやって下手に出ることで、ドラゴン側が上手いこと少年を操っている可能性とてあるのではないか?」
「でも、でも……っ!」
なおも食い下がろうとするエルを、皇帝が手のひらを見せて押し留める。
「いい。別に朕は言い争いをしたいわけではない。お前が何を信じようと勝手だし……何なら朕の話を全て嘘だと断じても構わん。朕はただ、自分の身に起きたことを誰かに語っておきたかっただけだ。
まあその相手がこんな小娘しかいなかったというのは業腹ではあるがな」
「うっ……」
苦笑する皇帝に、エルは顔を口をへの字に結ぶ。王族としても人間としても、自分が頼りない子供であることは嫌というほど自覚しているからだ。
「今朕が話した内容を、お前が誰に伝え、誰に伝えぬかは自由だ。だが語る相手は慎重に選べ。場合によっては我が国に起きたような騒動が、お前の国でも起こる可能性があるのだからな。
では、これで話は終わり…………っと、そうだ。最後にもう一つだけ教えておこう」
「……何よ?」
若干憮然とした表情を浮かべるエルに、皇帝が楽しげに笑う。
「ハハハ、変に取り繕うより、その態度の方が余程好感が持てるぞ、娘。あの龍が名を名乗っていたのを思い出したのだ。確かあく……あか……あかしっく?」
言って、皇帝がわずかに考えこみ始める。宙に視線を彷徨わせ、首を捻ること一分。流石にそろそろエルが焦れてきたところで、皇帝がポンと膝を打つ。
「ああ、そうだ! アクシンリュウだ!」
「…………えっ!?」
「アクシンリュウ・デアボリック・アリタサヤカ・ローズフェラート・アイゼン・イルム・ストラダ・イニシエート! ふふふ、よくぞまあこんな長ったらしい名前を覚えていたものだ。
もしその名を耳にすることがあったなら、気をつけるがいい。まあ人間如きが気をつけたところで、どうにもならんのかも知れんがな」
「……………………」
話は終わりとばかりに、皇帝がシッシッと手を振る。だがそんな無礼な振る舞いが一切気にならないほど、エルの頭は真っ白になっている。
(どういう……ことなの…………?)
悪心竜デアボリック。剣一の家に居候するぽっちゃりドラゴンの名を聞かされ、エルはギュッと胸の小瓶を握りしめながら、フラフラと謁見の間を後にしていった。





