皇帝との謁見 前編
その後、剣一は取り戻したスマホを使ってディアに連絡を入れた。そこから清秋とも話をして、他国の軍事基地で軍人相手に大立ち回りをしたという、よく考えなくても相当にヤバい状況をどうにかするべく色々立ち回ってもらって……それから五日後の八月一七日。剣一達は北京にある大きな城に来ていた。
そう、城である。周囲には近代的な高層ビルが建ち並んでいるというのに、明らかに時代錯誤な城。だがそれこそが今の中国の支配者が誰であるかを如実に物語っており、その中でもひときわ豪華な一室にて、剣一達は頭を下げていた。
「面を上げよ」
許しを得て、剣一達が顔をあげる。すると朱と金で彩られた謁見の間、その玉座にてやはり朱と金のゆったりした服を纏う五〇代くらいの男性が、剣一達を見下ろしてその口を開く。
「朕が偉大なる中華真民帝国の初代皇帝、エイ・リーロンである。此度の反乱鎮圧、大儀であった」
「……………………」
皇帝直々のお褒めの言葉を、しかし剣一達は無表情で聞き流す。というのも、ここで何を話されるかは、事前に全て説明されていたからだ。
剣一を巡る一連の騒動は、最終的に「剣一の……ひいてはドラゴンの力に目をつけたウー将軍が、それを手に入れて皇帝の座を簒奪しようと画策した事件であり、全てはウー将軍の独断による犯行である」という形で決着がついた。
それが本当か嘘かは剣一達には知る由もないが、一般人である剣一達にできるのは、中国という国家がそういう結論を出したという事実を受け入れることだけだ。
勿論国家レベルのなんやかんやは清秋と皇帝の間で色々取引があったのだが、それは剣一達には関係ない。またそれ以上を求めるにしても剣一達に襲いかかってきた兵士達は軍人としてウー将軍の命令に従っただけなので罪を問うこともできないし、肝心のウー将軍はその後意識こそ戻ったものの、ずっと茫然自失状態で会話もままならないという。
つまり、もう全てが終わっている。強いてこれ以上を求めるならウー将軍を処刑してもらうとかだが、剣一やエルがそんなことを望むはずもないし、となればアリシア達もわざわざそんなことを申し出たりはしなかった。
「――ということで、汝等にはその働きに報いるべく、朕から報奨金を与える。ありがたく受け取るがいい」
「…………どうも」
上から語られる皇帝の言葉に、剣一は若干の不満を滲ませた声でそう答える。何だかよくわからないうちに勝手に終わったことにされ、「金をやるからそれで納得しろ」と言われているのだから、それも無理からぬことだろう。
だが、じゃあどうすればいいのかと言われると、それはそれで答えがない。なにせ問題の根幹に関わっていそうな「黒いナニカ」は、剣一が全て斬ってしまったからだ。
元々クサナの<真眼>のスキルでしかその存在を確認できなかったわけだが、今となってはそれですら何も見えない。痕跡の欠片すら残っていないのでもはや実在したことすら証明できないとなれば、調べろと言う方が無理だろう。
(……まあ、仕方ねーか)
なので剣一は内心で小さくため息を吐きつつ、その現実を受け入れた。酷い目に遭いはしたが、代わりに高級ホテルに泊まったり美味しい料理を食べたり……睡眠薬が入っていたが……あとは詫び金を幾らか……単位が「円」ではなく「元」だったので具体的な金額がよくわからなかった……もらったから、それでよかったことにしようと立ち上がり、謁見の間を出ようとしたのだが……
「おっと、待て。アトランディアの姫よ、お前には話があるから、少し残れ」
「え、アタシ?」
打ち合わせにない呼び止めに、エルが驚きの声をあげる。するとエイ皇帝は鷹揚に頷き、更に言葉を続ける。
「そうだ。ここからは皇帝である朕と、王族である姫だけで話を行う。『これより先は王の対話だ。お前達は退室せよ』」
「收到」
エイ皇帝の言葉を受けて、周囲の人々が一礼をしてから部屋を出て行く。だが剣一達の方はそうもいかない。
「エルだけ? 俺達がいたら駄目なんですか?」
「駄目だ。それともお前は、自らが日本の王になる者だとでも言うつもりか?」
「うげっ!? いや、そんなことは…………」
「大丈夫よ、ケンイチ。アタシにはこれがあるんだし」
苦い顔をする剣一に、エルがそっと声をかけながら胸の小瓶を握りしめる。あの黒いナニカに邪魔されていた状況ですらエルを守り切ったのだから、確かにこれ以上の護衛はいないだろう。
「……わかった。でも何かあったら、絶対呼べよ? すぐ来るからな?」
「あはは、日本の漫画じゃないんだから、部屋の外に出たら叫び声なんて聞こえないわよ、きっと。まあでも、ありがと。じゃ、ちょっと話をしてくるから、先に行って待ってて」
「おう!」
「また後でね、お姫様。ほら、行きましょクサナ」
コクコク
「ワタシはいつまで一緒に行動したらいいネ? これ有休扱いになってたら、三日ぐらい泣き続けるヨ……」
笑顔で手を振るエルが剣一達の背を見送ると、広い室内にはエルとエイ皇帝の二人だけとなる。そうして一〇秒ほど場が静寂を満たすと、エイ皇帝が改めて大きなため息を吐いた。
「はぁ……まさかこれほど重要な話をする相手が、お前のような小娘とはな」
「なっ!? アンタが残れって……ごほん、陛下が私に話があるとおっしゃったんじゃありませんか?」
いつもの勢いで反論しそうになったエルが、慌てて言葉を取り繕う。すると皇帝は面倒くさそうに顔の前で手を振ると、口の端を吊り上げて苦笑した。
「別に飾った話し方などせんでもよい。お前にそこまで求めてはおらんし、何よりこの場には朕とお前しかいないのだからな。
それより本題だ。改めて言うのだが、朕は今回の件、何も知らぬ」
「はぁ……え、今更そんなことを言うためにアタシを呼んだんですか?」
「そうではない。誰も信じぬだろうし、実際あのシラサギとかいう者も信じなかったし、朕とて立場が逆なら絶対に信じぬだろうが……本当に朕は何も知らぬのだ。
だが、それがおかしい。朕は仮にも皇帝だぞ? 貧民街で酔っ払いが喧嘩をしたというような些事ならともかく、自国の将軍があれほど大規模に軍を動かして、知らぬなどあり得ん。
だが知らぬ。繰り返すが、朕は本当に何も知らぬのだ。それをお前はどう考える?」
「えぇ? そう言われても…………?」
知らないはずがない立場なのに、本当に知らないらしい。そんなトンチのような疑問を投げかけられ、エルは大いに困惑する。
「えっと……それだけウー将軍が巧妙に隠してた、とか?」
「確かにあの男はやり手だったし、五龍を幾人かというのであれば、朕に隠して動くことはできただろう。だが報告にあった転移を阻害する実験や、兵士を強化する謎の力など、そんな研究をする場所を秘匿し、かかる莫大な資金を秘密裏に集める? その全てに気づかぬほど朕が無能であったとは流石に思いたくない。
では何故朕が知らぬか? その原因に、一つだけ心当たりがある。これもまたお前達の報告にあった、黒いナニカ……ウー将軍曰く、虚无の力とやらだ。
今から朕が話すことを、安易に他人に語ってはならぬぞ」
「……………………」
真剣な表情で言う皇帝に、エルは小さく頷いて続きを待つ。
「お前達が将軍を倒したのと同じ時、朕の頭が突然はっきりとした。当時は全くわからなかったが、今思えばそれまでの朕は、常に分厚い布越しに世界を見ているような状態だったのだと思う。
急に視界が……思考が開けたところに飛び込んできたのが先の報告だ。朕は改めて自分のこれまでの言動を精査し、そこでどういうわけかウー将軍の行動に対して一切言及していなかったことを突き止めた。
それこそが朕が何も知らなかった理由。朕は自らの意思で……少なくとも自分ではそう思い込んでいたもので、あえてウー将軍のことを知らずにいたのだ」
そこで一旦言葉を切ると、エイ皇帝は立派な玉座に背を預け、疲れたように天井を見上げた。





