己の在り方
「さて、それじゃやってみるわよ……って言っても、どうすればいいかしら?」
意気込みは十分、だが具体的な手段は持ち合わせていないエルが、その場でむむむと考え込む。するとその頭の中に、レヴィの声が響いた。
(落ち着きなさい、我が愛し子エル。貴方の気持ちはわかりますが、今の貴方の実力では、生きている者から直接スキルを得るのは難しいでしょう)
「え、そうなの? でもほら、そこは何とか……」
「……? なあオマエ、一体誰と話してるネ? 前からたまにその名前呼んでたけど、ひょっとして頭の中にお友達が住んでる感じなのカ?」
「そんなわけないでしょ! あー、ねえレヴィ、貴方の声を他の人にも聞かせられるようにできる?」
怪訝な顔をするミンミンに、エルが反論しつつレヴィに頼む。するとエルの首から提げていた小瓶から、ちょっとだけくぐもった感じの高笑いが響いた。
「ウオーッホッホッホッホ! 勿論ですわ! これでよろしいかしら?」
「うわっ、本当に声が聞こえたヨ!? それ一体どうなってるネ?」
「詳しい仕組みは、アタシにもわかんないわよ。でもここにはレヴィが……アタシの大切なお友達で、ずっとアトランディアを護ってくれていたドラゴンの意思が宿ってるのよ」
「ドラゴン!? え、じゃあ面倒なことしなくても、そのドラゴンに頼んだら、この状況全部解決するんじゃないのカ?」
「そうね。少なくとも黒いドラゴンさんと連絡を取れれば、ひとまず撤退とかもできるんじゃない?」
驚くミンミンの言葉に、アリシアも同調して問いかける。だがそれに対してレヴィは若干渋い声で答える。
「それは難しいですわね。どんな理屈かわかりませんが、ワタクシも今本体との接続が切れておりますの。本体側が気づいてこちらに接触してくれば別でしょうが、ワタクシの方から繋ぎ直すのは無理ですわ。
それにこの状態では、あまり大きな力は使えませんわ。実際あの黒いのを閉じ込める魔法も、愛し子にかなりの負担をかけてなお想定の半分程度の効果しか出せませんでしたし……ワタクシの力であれを倒すのは無理ですわね」
「そうなの!? あれ、思ったより強いのね」
アリシアの視線が、下半身を固められてもがくウー将軍に向けられる。本来のドラゴンの力があればあの程度の小物を倒すのはわけないが、エルの体を介して……となると難しい。一瞬であろうとあれを倒すほどの力を出すとなると、エルの体ではどうやっても耐えきれないのだ。
「まあ、できないことはいいわ。それで? だったらどうすればアタシはクサナの力を借りられるの?」
「そうですわね……一番簡単なのは、ワタクシがその少女を食べることですわ」
「ヒエッ!?」
レヴィの言葉に、クサナがビクッと体を震わせる。それを見たエルが、何とも困ったように眉根を寄せて胸元のレヴィに語りかける。
「レヴィ? それは流石に……」
「ウオーッホッホッホッホ! 食べるといっても、勿論頭からパクッといくわけではありませんわ。まあそういうやり方もありますけれど、今のこの状態ではそもそも食べられませんしね。
そうですわね。一瞬力を再現するだけなら、指先をちょっと切って血を舐めるくらいでいけるでしょう」
「あ、そうなの? そのくらいなら……って、アタシが言ったら駄目よね。ねえクサナ、お願いできない?」
「……チクってするです?」
「大丈夫よ、私が綺麗に斬ってあげるから……まあ、ちょっとくらいは痛いと思うけど」
「うぅぅぅぅぅぅぅぅ…………わ、わかった、です」
キュッと顔をすぼめたクサナが、それでもグッと唇を噛みしめて右手を前に突き出し、人差し指を伸ばす。そんなクサナの頭をアリシアが優しく撫でると、まだ痛むお腹をさすりながら剣を拾ってクサナの指先に小さな切り傷を作る。
そうしてポタリと血が垂れ落ち始めると、エルは慌ててクサナの指先を咥えた。
「うぅぅ、にゅるにゅるする、です」
「うわぁ、絵的には大分アレな感じネ」
「こら、ミンミン、茶化さないの! お姫様、どう?」
「……………………」
アリシアの問いに、エルは何も答えない。指を咥えているんだから口が動かないというのもあるが、何よりその意識がここではなく、もっと深いところにいっているからだ。
「さあ、集中しなさい、我が愛し子エル」
蒼く深い暗闇の底。エルの目の前に立っていたのは、かつて一度だけ見たことのある女性の姿。それはレヴィが変じた姿であり、何処か懐かしさを感じる姿でもある。
「ドラゴンは世界を喰らい、それを力と変えるモノ。然れどただ喰らうだけでは、単純なエネルギーに変わるだけです。技神の加護……スキルを得ようと思うならば、その相手を特別にしなければなりません」
「特別?」
「そうです。ドラゴンは自ら選んだモノの力や姿、名前などをその身に刻み、我が身に映すことができます。たとえばこの姿は、呪いに沈んだ世界に降り立った際、民を守るために全ての呪いを我が身に集め、計り知れない苦痛の果てに死んでいったかつてのアトランディアの女王、アナスタシアのものです。
彼女は呪いに蝕まれながらも最後の最後まで民を案じていました。ですが人の身に呪いはあまりに強大であり、正気を失った自分が今度は民を傷つける側に回ってしまうことを恐れた彼女は、私に自分を食べて欲しいと願いました。
故に私はその願いを叶え、アナスタシアを食べました。彼女の誇り高い魂は天に昇って因果の流れに還っていきましたが、その想いや力は、今も私と共に在ります」
「そうなんだ…………」
自らの体を抱きしめるように腕を回し大事そうに語るレヴィに、エルは言葉にできない感動のようなものを覚えた。だが同時に、その胸に強い不安もわき上がってくる。
「えっと……それだと、これ無理じゃない? アタシ、クサナのことは嫌いじゃないけど、流石にそこまで思い入れはないわよ?」
「確かに、普通ならば無理ですね。ですが貴方の<共感>のスキルがあれば、ほんのわずかに力を繋げることだけならできるはず。さあ、自分を広げ、相手を受け入れ……そして混じるのです」
「混じる…………」
<共感>スキルを意識することで、エルは自分の存在が薄く広くなっていくのを感じた。そうして伸ばした右手の先が、血の向こうにあるナニカにちょんと触れる。
するとその色が、自分に染み込んでくる。そのいつもと違う感覚に、しかしエルは強い恐怖を覚えた。
「なに、これ? アタシがアタシじゃなくなっていく……!?」
「それが生きている相手と<共感>するということです。死して不変となった者は、固まった絵の具のようなもの。己に取り込んでもその色が溶け出すことはなく、必要な部分だけを使うことができる。
ですが生きている相手は、水を含んだ柔らかな絵の具です。触れれば色が移り、ジワジワと自分に染み込んでいく。不用意に取り込めば、その色は自分を変えてしまうことでしょう」
「そんな!? いや、いや! 怖い……っ!」
「ならやめますか? 今ならまだ引き返せますよ?」
「……………………やめない」
凍えるような寒さを感じるなか、しかしエルは首を横に振る。その脳裏に浮かんだのは、さっき見た剣一の姿。
あれだけ強い剣一が震えていた。自分が傷つくことではなく、ただ誰かを傷つけてしまうことに怯えて泣いていた。
あんな顔、もう二度と見たくない。そのためなら、このくらい我慢できる。
やれる。頑張れる。剣一のためなら……その想いがエルの胸に輝く光を生みだし、そこで手から入ってくるクサナの力の浸食が止まった。
「そうです。そうして自分を強く意識できれば、他者と混じることなどありません。では、次はそれを剣一さんに届けますよ」
「わかったわ、レヴィ」
色んな色の混じった右手を見つめ、エルが頷く。するとその意識が浮上し、現実へと戻ってきた。





