自ら求めた覚悟
「…………エル?」
予想外の登場に、剣一が呆けたようにその名を呼ぶ。だが当のエルはそんな剣一をチラリとだけ見ると、グッと唇を噛みしめながらアリシアの方に走り寄る。
「さっきから聞いてれば、何なのアンタ! ケンイチのこと何も知らないくせに、偉そうに!」
「お姫様!? どうしてここに……」
『呵呵呵、アトランディアの小娘か。これほどの力が手に入った以上、もう貴様など用済みだ。これで――』
「うるさい、黙れ! レヴィ!」
(ウオーッホッホッホッホ! ……キツいですわよ?)
「覚悟の上よ! 力を貸して……『フリザベント・ミド・ターゲル・コフィア』!」
自分にだけ聞こえるレヴィの声に応えてから詠唱すると、エルの突き出した手から青い光が放たれる。それは変貌したウー将軍の下半身に纏わり付くと、青白い氷のようなもので包み込んだ。
『な、何だこれは!? 今の私が破れぬ魔法だと!?』
「…………っ。アンタはそこで、少し大人しくしてなさい」
口の中に溢れる大量の血を無理矢理に飲み込み、エルは動けなくなったウー将軍を無視して歩き出す。人の身でドラゴンの魔法を使った代償はレヴィによって既に癒やされているが、それでも忘れられない地獄の苦しみを乗り越えられた理由は二つ。
そのうち一つを解消すべくアリシアの元に辿り着いたエルは、振り上げた手を思い切りアリシアの頬に打ち下ろした。
バシーン!
「何でアンタがケンイチに人殺しをさせようとしてるのよ! アンタ何の為にここに来たの!? そういうのからケンイチを守ることがアンタの役目じゃないの!?」
「それは…………でも、仕方ないでしょ! 私だって他の方法があるならそうしたいけど、できないことはできないのよ! それともお姫様は、ここで全員死んだ方がいいって言うの!?」
「そうよ!」
アリシアの言葉を、エルは即座に肯定した。その揺るぎない瞳に、アリシアは思わず気圧される。
「何もできない無力な自分が助かるためにケンイチの心を殺すくらいなら、アタシは死んでもいい。そりゃ死にたくはないし、本当に死んだらそれはそれでケンイチが悲しむだろうから困るけど……でも少なくとも、誰が許すとか許さないとか、どうしようもなく傷つけたあとで守ってあげるとか、そんな馬鹿なこと言うつもりはないわ!
ねえ、ケンイチ?」
振り返ったエルが、今度は剣一の方に向かって歩き出した。それを見た剣一は、慌ててエルを止める。
「駄目だ、来るなエル! 今俺は、近くにいるやつを全部斬っちまうんだ!」
「フンッ、そんなの平気よ! レヴィ?」
(今の愛し子の状態では、長くは保ちませんわよ? それに剣一さんほどの力となると、完璧に防ぐことも……)
「いいわ、お願い……」
エルの体を、青く輝く水が覆っていく。そうして全身に水の鎧を纏うと、エルはゆっくりと剣一に近づいていった。
「ねえ、ケンイチ。アタシはずっと動けなかったけど、ここで何があったのかはレヴィに聞いてるわ。もう一つのイクラを通じて、ここの情報を見てたんだって」
「やめろ! 来るな!」
水の鎧の覆われたエルの体に、しかし小さな切り傷が増えていく。如何にレヴィの加護があるとはいえ、剣一の剣を完全に防ぐことなどできるはずもない。
「最初はね? ここに来る気はなかったの。でもケンイチが人を斬ったって聞いて、飛び出しちゃった。へへへ、ビックリした?」
「怪我、怪我してる……駄目だ、なら俺が――」
「逃げないで!」
エルが足を止めないなら、自分がこの場から離れればいい。そう考えた剣一に、エルが鋭い声で叫ぶ。
「ケンイチがアタシのことを嫌だって思うなら、逃げてもいいわよ? でもそうじゃないなら……お願い、アタシが側に行くのを怖がらないで」
「でも、だって……」
「ふふ、大丈夫よ。だってアタシは助けを待つお姫様じゃなくて……アンタの隣に立つ仲間だもの。だからお願い、そこにいて」
「うっ…………」
微笑むエルに、剣一がその場で踏みとどまる。必死にスキルを抑え込もうとギュッと拳を握り、だがその力みが悪い方にばかり発揮されて余計に斬撃が速くなり、エルの体にどんどん切り傷が増えていく。
青い鎧に、赤い血が煙のように漂う。傷はすぐに癒やされるが、漂う赤は消えない。
絶え間なく走る鋭い痛みに、エルが顔を歪める。だがそれがどれだけ続いても、エルの足は止まらない。一歩、また一歩と剣一に近づいていき……
「ほら、来られた」
「エル…………」
剣一の目の前まで辿り着いたエルの体から、赤く染まった水の鎧がパシャリと落ちて……もはや涙も涸れ果てた剣一に、ニッコリと笑う。
「ねえ、ケンイチ。今更言うのもあれだけど、アリシアの言うことも絶対間違ってるってわけじゃないと思うの。アタシはまだまだ子供だけど、でもアトランディアの王女で……だから国のため、そこに住む家族や友人、恋人のために必死に戦った……敵を殺した兵士達のこと、悪く言うつもりなんてないもの。
その人達は、アタシの誇り。アタシ達を守ってくれた英雄。だから人を殺すことを、ただ悪いことだって斬り捨てたりしないわ。だから……」
そこで一旦言葉を切ると、エルがふわりと剣一の手を取る。剣を握って震える拳を自分の両手で優しく覆うと、祈るようにそれを胸の前まで持ってくる。
「もし本当に、どうしてもケンイチが人を殺さなきゃならなくなったなら……その時はこうして、アタシがアンタの手を握ってあげるわ。命を奪う重みは変わってあげられないけれど、降り注ぐ血はアタシが受け止める。
そうすればケンイチの手は汚れない。誰にもアンタの手が汚いなんて言わせない。綺麗なところから文句を言う奴や、偉そうに罪がどうこうなんて言う奴は、二人で蹴っ飛ばしてやるの!
どう? いい考えだと思わない?」
「エル……お前、どうしてそこまで…………?」
悪戯っぽい笑みを浮かべて言うエルに、剣一が戸惑いの声をあげる。するとエルはポッと顔を赤くして……だが健一の目をまっすぐに見つめて応える。
「そんなの決まってるでしょ! アタシがアンタのこと……す…………」
「す……?」
「な、何でもないわよ馬鹿ぁ!」
「ぐはぁ!?」
耐えきれなくなったエルの拳が、剣一の頬に突き刺さる。周囲からは「うわー! うわー! 青春ね!」「何でもないことないネ。あれでわからなかったら朴念仁どころか木人ネ」「ひゃあ……」などとという声が漏れていたが、それはそれ。
「と、とにかく! ケンイチは危なっかしくて放っておけないって話よ! どう? 落ち着いた?」
「いてて…………ああ、もう平気だ」
むすっとした顔で言うエルに、剣一は頬をさすりながら答える。気づけばスキルの暴走は収まっており、剣一の心にはエルの温もりが伝わっている。
「……よし。なら俺も覚悟を――」
「ならよかったわ。あ、でも、今のは本当にどうしようもない時よ! そして今はまだ、そうじゃないわ!」
「あれ? そう、なのか?」
人を殺す……怪物に成り果てたウー将軍を斬る決意を固めかけた剣一だったが、エルの言葉に変な声を出してしまう。するとエルはニヤリと笑うと、その視線を剣一から外す。
「そうよ! まだ手はあるわ。でもアタシだけじゃ駄目なの。だから……クサナ!」
「っ!?」
急に名前を呼ばれて、クサナがビクッと体を震わせる。だがそれを一切気にせず、エルがクサナの方に駆け寄っていく。
「お願い、アンタの力を貸して」
「クサナの力、です?」
「そう! アタシの<共感>スキルで、クサナの力を借りるの! で、それを更にケンイチに<共感>させれば、多分その……黒いもやもや? それがケンイチにも見えると思うのよ」
「え? え!? そんなこと、できる、です?」
「できるかどうかじゃなくて、やるのよ! こんなところで、あんなしょぼくれた奴のためにケンイチが傷つくなんて、絶対に嫌なの! だからやるの! 何が何でもやるのよ!」
「えぇぇ……?」
「ねえケンイチ、アンタ、見えたら斬れるわよね?」
戸惑うクサナをそのままに、エルが振り向いて問う。まだ見てもいないし、それがどんなものかもわからない。だがそれでも剣一は……
「ああ、任せろ!」
ただ一瞬も悩むことなく、親指を立てて断言した。





