求められた覚悟
「何だ、これ……? 俺の体に何が……!?」
体の奥底、もっと根本的なところから力が抜けるという生涯で感じたことのない状態に、剣一が激しく戸惑う。そしてその現象は、剣一だけに起きたわけではない。
「何これ!? 力が入らない……のとも違う? どういうこと!?」
「呵呵呵、わからんか? ならばすぐにわからせてやろう……『やれ』」
「グォォォォ!」
ウー将軍の命令に、巨大化した兵士が襲いかかる。アリシアは即座にそれに応戦したが……
「ソニック……え? きゃあ!?」
「アリシアさん!?」
技の発動に失敗し、変な格好で動きが止まってしまったアリシアに、兵士の強烈な拳が叩きつけられる。その様子に剣一が慌てて駆け寄ると、口の端から血を垂らすアリシアが苦しそうに呻いた。
「う、うぅぅ……」
「アリシアさん! 大丈夫ですか!?」
「大丈夫……とは、ちょっと言いづらいわね。大分いいのをもらっちゃったみたい」
「今変な動きをしてましたけど、どうしたんですか?」
「わからないわ。何か異常があったとかじゃなく、ただ技だけが発動しなかったの。まるで……」
「スキルがなくなったかのよう、かね?」
アリシアの呟きを、ウー将軍が拾って続ける。その手には未だ黒い炎が燃え続けており、見ているだけで不安に、不快にさせてくる。
「あんた、アリシアさんに……いや、俺達に何したんだ?」
「そこの猿が言った通りだ。これこそ我が力! 他者のスキルを燃やして消し去る、虚无の力だ!」
「スキルを……消す!?」
「馬鹿な、あり得ない! 貴方のスキルは<鉄拳>でしょ!? そんなとんでもない力のはずがないわ!」
将軍の言葉を、アリシアが強く否定する。将軍のスキル<鉄拳>は、文字通り拳を硬くするスキルだ。<格闘技>のように近接戦闘の技術が高まるような効果はなく、影響範囲も拳だけと極めて狭いが、代わりにその拳はレベル一の段階ですら素手で岩を砕けるほどに強くなるという、癖のあるスキルだ。
ウー将軍はそれを最大限に生かすべくスキルに頼らない格闘技術を徹底的に磨き上げ、そこに<鉄拳>のスキルを乗せることで爆発的な破壊力を生みだし、幾つものダンジョンを踏破した功績で将軍にまで成り上がった、いわばたたき上げの実力者である。
が、だからこそウー将軍のスキルは広く知れ渡っている。それが偽装とは思えないと叫ぶアリシアに、ウー将軍は楽しげに笑う。
「ああ、確かに私のスキルは<鉄拳>だ。故にこの力はスキルではない。私が新たに手に入れた、スキルを超える力だ。
貴様程度の頭でも、これがどれだけ偉大な力かわかるだろう? この力を以て、私は皇帝陛下に勝利を……いや、私こそがこの世界全ての支配者となるのだ!」
「……どうやら、強い力に頭までやられちゃってるみたいね。そんな力、早く捨てた方が身のためだと思うけど?」
「ハッ、強がりを! 『もういい、始末しろ』」
「ウォォォォ!」
「やらせるかよ!」
将軍の命令に、再び兵士がアリシアに襲いかかる。だが今のアリシアはとても戦える状態ではなく、すぐ側にいる剣一が代わりに応戦したのだが……
ズバッ!
「えっ!?」
アリシアと違って、剣一のスキルは弱体化してなお発動した。だがいつもと違う感覚に暴発した技が、兵士の右足を太ももの辺りで斬り跳ばしてしまう。
「ち、ちが……俺は、そんなつもりは…………!?」
「グォォォォ…………」
床に転がり血を流す兵士を前に、剣一は激しく動揺する。自分のスキルが意図せず暴発して人を傷つけることは、剣一にとって忘れがたいトラウマだった。
「ケンイチ君、どうしたの? 顔が真っ青よ!?」
「だ、だって、俺、人を……」
「何言ってるのよ、今のは完全な正当防衛でしょ! そもそも私達を殺しに来てる相手なんだから、殺されたって自業自得だわ!」
「そんな!? そんなの、俺は……」
アリシアの言葉に、しかし剣一の動揺は収まらない。そしてそんな剣一に更なる追い打ちがかかる。
「何だと!? 我が力を受けてなお、それだけの力を残しているとは……ならばこれでどうだ!」
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁ!?!?!?」
「ケンイチ君!? うあっ!?」
体から更に力が抜け、背筋にゾワゾワと寒気が走る。その瞬間剣一はアリシアを思い切り突き飛ばすと、自分もまた全力で床を蹴って全員から距離を取る。
「自分から一人になるとは、愚かな! 『そいつを攻撃せよ!』」
頭を抱えてうずくまる剣一に、兵士達が集まっていく。そんな敵に対し、剣一は心の底から悲鳴のような警告を叫ぶ。
「駄目だ! 来るな! 俺に近づくな!」
ズバッ! ビシュッ! バラバラバラ……
剣一の周囲にある椅子やテーブルがバラバラに斬り裂かれ、床や天井にも鋭い亀裂が走る。ウー将軍の謎の力により剣一のスキルは確かに弱体化したが、元があまりに強大過ぎるため、その効果は焼け石に水どころか、太陽に水滴を一つ足らしたよりも小さい。
しかしそれでも、力が減ったことに変わりはない。そしてそれは莫大な力を使いこなすために剣一が積み上げた努力をあっさりと踏み潰した。元が元だけに針の穴を通すような繊細な力加減が必要だったのだから、その穴がわずかでもズレればコントロールできなくなるのは必然。
そこに精神的な動揺が加われば尚更だ。剣一の<剣技>はその制御を失い、近くにある全てのものを無差別に斬り裂いてしまっていた。
「「「ウォォォォォォォォ!!!」」」
「やめろ! 来るな! 頼むから、来ないでくれ……っ!」
ウー将軍の命令を受けた兵士達は、恐れも怯みもなく剣一に襲いかかる。そしてその体には、剣一の意思に反して無数の切り傷が刻まれていく。
「やめてくれ、やめてくれ! お願いだから、もう……っ!」
涙を流して懇願する剣一の頭上に、血の雨が降り注ぐ。無数の兵士に取り囲まれ、然れどかすり傷ひとつ負うことなく近づく敵を斬り刻み続ける剣一の姿にアリシア達が息を飲むなか、ウー将軍だけが強く歯噛みをして声をあげる。
「ぐぬぬぬぬ……これほど力を燃やし尽くしてなお倒せぬとは! 『全員こちらに集まれ!』」
そのかけ声に、息も絶え絶えの兵士達がウー将軍の下に集まる。やっとこの地獄が終わったのかと剣一が顔をあげると……ウー将軍の黒い炎に包まれた手が、兵士の胸を容易く貫く。
「ウガァァァ!?」
「あ、あんた何を!? 自分の部下なんだろ!?」
「だからどうした! 怯えた子供一人倒せぬ弱卒など、我が配下として不適格だ! だがそんな者にも、別の使い道がある……『超力融合』」
「ガッ…………アッ……………………」
黒い炎が、胸を貫かれた兵士の体を跡形もなく焼き尽くしていく。そしてそれと引き換えに、ウー将軍の中にドクドクと黒い力が流れ込んでいく。
「さあ次だ! あの忌々しい子供を処分するために、全員私の力となれ!」
「や、やめ……やめろ…………っ!」
目の前で、次々と人が死んでいく。力なく手を伸ばした剣一がそう声をかけたが、ウー将軍が止まることはない。
「これで……最後だ!」
「グ、グォォ…………」
「ハァァァァ……呵呵呵。漲る、力が漲るぞ! さあ刮目しろ! これが真に偉大なる者の姿だ!」
返り血で真っ赤に染まっていたウー将軍の体がビクビクと震えだし、一気に巨大化していく。服が張り裂け露わになった裸体は全身が真っ黒に染まっており、もはやその姿は人型をしているだけの化け物と成り果てる。
『クァァ……クァァ……素晴らしい……素晴らしい力だ…………今ならば、何でもできる……天をこの手に掌握し、全てを消し去ることだって……』
真っ赤に染まった瞳の中央で、漆黒の瞳孔が剣一を見据える。三メートルを超える巨体となり、広い室内で窮屈そうに背を丸めるウー将軍の丸太のように太い腕が、顔を涙でグズグズにした剣一の方に伸び……だがその腕に、チクリと痛みが走る。
「やらせない!」
『……アメリカの猿か。今更この私を、貴様如きが止められるとでも思ってるのか?』
「何言ってるかわからないけど、何となく予想はつくわ……ほらケンイチ君、立って! そして戦って!」
「アリシアさん……でも、俺は…………」
「よく見て! これが人間に見える!? こんなのはもう魔物よ! ゴブリンやオークや、貴方があそこで倒したミノタウロスと同じ、ただの魔物よ!」
「でも……でも…………っ!」
ウー将軍の見た目は、確かにもはや人ではなかった。だが剣一にとって「さっきまで人間だった存在」は、今もなお人間である。
だからこそ、剣一に人は斬れない。しかしその価値感を、アリシアは理解できない。
「大丈夫よ! あれを斬ったからって、ケンイチ君が罪に問われたりしないわ! もしそんなことになっても、私やミスター・シラサギが全力で守ってあげる! だから戦って! 恐れないで、敵を倒すのよ!」
剣一の過去を知らないアリシアからすると、今の剣一は初めて実戦に出た新兵と同じに思えた。故に「人を殺す」という法や倫理に外れた行為が決して悪ではないのだと、本心から説く。
「そりゃ人を殺すのはよくないことだけれど、戦わなきゃ……殺さなきゃ守れないものだってあるのよ! だから――あぐっ!?」
『負け犬がいつまでも出しゃばるな! そんなに死にたいなら、貴様から先に殺してやろう!』
「アリシアさん!」
「お願い……ケンイチ君、勇気を……勇気を出して…………」
「俺は……俺は…………っ!」
床に伏せ、祈るように手を伸ばすアリシア。そしてそこに迫る、変わり果てた姿のウー将軍。
このままでは、アリシアが殺されてしまう。その背後にいるクサナやミンミンも……そしていずれは、自分も殺される。
……やらなければいけない。人を斬る。斬って殺す覚悟を持たなければ、仲間も自分も守れない。
(やる……やるんだ。俺がこの手で、あいつを……ウー将軍を…………)
震える手で、剣一はいつの間にか落としていた剣を拾い上げる。
震える足で立ち上がり、その剣をまっすぐに構える。
震える心が、剣一のなかの柔らかい何かに、取り返しのつかない傷を刻もうとしている。
だが、それでも。それでも守りたいものがあるのだと、剣一は何度も自分に言い聞かせながら剣を振り上げ――――
「勝手なことばっかり! 言ってるんじゃないわよぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
大声をあげ、扉を破って部屋に入ってきたのは、剣一が今だけは会いたくないと思っていた年下の女の子であった。





