読み違い
コツ、コツ、コツと、規則的にテーブルを叩く音がする。幸いにしてこの場には音を鳴らす当人しかいないが、もし他に誰かがいたならば、きっと生きた心地がしなかったことだろう。
苛立ちの主は、ウー・シェイヘイ。指がテーブルを一〇〇度叩いたのをきっかけに、ウー将軍は通信機のスイッチを押す。
『……まだ連絡はつかないのか?』
『申し訳ありません。まだありません』
前回の問い合わせから、まだ二分も経っていない。なので同じ言葉を繰り返すしかないのだが、それでウー将軍が満足するかは別の話だ。
『……………………そうか。連絡が来たらすぐに知らせろ』
『了解しました、将軍』
通信相手にとっては幸いなことに、ウーの自制心はまだ残っていた。将軍は苛立ちを胸に押さえ込んで通信を終えると、何度目かわからない思考を巡らせる。
(どういうことだ? まさか本当に捕縛されたのか? あの三人が?)
五龍は、数字が若いほど強いとされている。が、それはあくまで対外的にはそう思われている……否、思わせているだけで、実際にはそうではない。
ほぼ全ての新規入隊者が最初に所属することになる五番隊は確かに一番弱いし、鋼の忠誠心と圧倒的な実力を兼ね備えた一番隊が最強であることは間違いないが、それ以外の二、三、四番隊はそれぞれに特化した役割を与えているため、実力順ではないのだ。
故に四番隊だからといって、三番隊や二番隊より弱いというわけではない。特に今回送り込んだのは四番隊……諜報部隊「陰龍」のトップ三だったのだから、その実力は極めて高い……はずだったのだが……
(あり得ん! いや、百歩譲って任務が失敗する可能性までは受け入れよう。だが逃走どころか自害すら許されず、捕縛された!? 我が五龍を遙かに上回る手練れが日本にいて、しかもその情報を私が掴めなかったなど、そんなことが……そんなことが…………?)
ふと、ウーの思考にノイズが走る。龍使いの少年は、この国に肝心のドラゴンを連れてこなかった。つまり真に脅威であるドラゴンは、今も日本に残っていることになる。
ならば龍使いの少年が、ドラゴンに何らかの指示を出していた可能性はあるのではないか? というか、そんなもの真っ先に警戒すべき事柄のはず。なのにどうして――――
『ウッ、グッ……………………そんなことあり得ない。この私が失敗することなど、あるはずがない』
ズキリと強い痛みが走り、思考が再び黒く塗りつぶされていく。一度閉じてから開かれた目からは黒いもやが立ち上り、ウーの口元に邪悪な笑みが浮かぶ。
『何を心配する必要がある。あの少年は今も私の手の中にあるのだ。あれを洗脳してやれば、ドラゴンの力も我が物となる。そうだ、何の問題も……』
ビー! ビー! ビー!
ほくそ笑むウーの耳に、突如けたたましい呼び出し音が届く。緊急の呼び出し音は、しかし今のウーにとっては待ち望んだものだ。
『どうした? 金からの連絡が来たのか?』
『ち、違います将軍! その……』
『何だ? 報告は簡潔にしろといつも言っているだろうが!』
『も、申し訳ありません! たった今、龍使いの少年が逃げ出したという報告を受けました』
『……………………は?』
全く予想していなかったその報告に、ウーは子供の頃、買ったお菓子のパッケージの三分の二が底上げのプラスチック容器だった時のような声を出した。
「おーい、ケンイチ! 聞こえるのじゃー?」
時はわずかに遡り、取調室。相変わらず椅子に拘束されたままだった剣一の耳元に針の先ほどの小さな黒い穴が空き、そこから聞き覚えのある声が聞こえてくる。
「お、ディアか。どうだった?」
「うむ、お主の予想通り、変なのがやってきたのじゃ。で、ワシとニオブでいい感じにやっておいたのじゃ」
「そっか、サンキューな」
ディアの言葉に、剣一は感謝の言葉と共に胸を撫で下ろす。
剣一がもっともされたくないことは、家族に手を出されることだ。勿論清秋は色々と手を打ってくれていたが、剣一が政府とは関係ないただの一般人であるが故にできることは限られ、また相手が国家レベルとなると、守り切るのは難しい。
ならばこそ剣一は、両親をディア達と引き合わせていた。一度顔を合わせておけば万が一誘拐されたりしてもディアの転移魔法で簡単に取り戻せるし、今回のように明らかに何かありそうな時なら、ずっと警戒していることもできたからだ。
「それと、セーシュウから伝言じゃ。『自分の力が足りず、迷惑をかけて申し訳ない。捕らえた者達はこちらで適切に対処しておく』ということじゃ」
「了解。清秋さんには『ありがとうございます。宜しくお願いします』って伝えといてくれ」
「わかったのじゃ」
当初、清秋は「アメリカ軍との模擬戦であれだけ色々見せつけたのに、安易に剣一に手を出してくるような者はいない。仮にいたとしても二流以下の組織だろうから、それなら十分に対処できる」と考えていた。
だが今回、その予想に反して中国という大国が動いた。読み間違えた清秋は若干後手に回らざるを得ず、剣一の保険がなければ剣一の両親は誘拐されていた可能性が極めて高い。
故の謝罪だったが、結果としては全員無事だったので、剣一は本当に気にしていない……というか、自分の大事なものは自分で守るのが当然なので、誰かが守り切れなかったことに文句を言うほど、剣一は捻くれていなかった。
「にしても、お主は相変わらず酔狂じゃのう。怪しいと思うならわざわざ捕まったりせず、最初からズバッと斬ってしまえばいいのじゃ」
「そうはいかねーって言ってるだろ。俺はあくまでも善良な一般市民であって、そういう超法規的な措置ができるような立場じゃないんだって」
ディアの突っ込みに、剣一が苦笑して言う。実のところ、今回剣一達が捕まったのはわざとである。クサナが警告する黒いなにかに犯されたウー将軍とその一味……そんなものが偶然自分達の目の前に現れ、何もしてこないわけがない。
それに万一本当に何もされなかった場合、そんな怪しい集団のなかにミンミンを残す必要が出てくる。別に世話になったわけでも何でもないが、一応の顔見知りを放置した結果酷いことになったらかなり寝覚めが悪いのと、ミンミンが泣いて縋って「助けて欲しいヨー!」とお願いしてきたので、一気に片付けるべく敵の罠を受け入れることにしたのだ。
具体的には、昨日ホテルで話し合った際、日本にワンコールだけして今のようにディア経由の「転移通信」を実行し、そこでレヴィに致命的な問題が生じる毒や攻撃以外は防がないようにしてくれと頼んでおいた。
その結果剣一達には将軍の盛った毒が効果を及ぼし、無事捕まることによって、本来なら探しても見つからず辿り着けないであろう敵の拠点に、まんまと入り込むことに成功したのである。
「んじゃ、向こうが先に手を出してきたから正当防衛ってことで、こっちも動くか。レヴィ、エルの方はどうなってる?」
「ウオーッホッホッホッホ! 我が愛し子エルなら、私の力で完璧に守っておりますわ! あの子の柔肌には指一本触れさせませんから、どうぞご安心くださいな!」
「そっか、流石レヴィだぜ」
ディアの代わりに届いた高笑いに、剣一は笑顔で賞賛を伝える。エルに関しては最初からレヴィがガッチガチにガードするのがわかっていたので、姿が見えなくても全く心配していなかったが、改めてそう聞かされれば更に安心である。
「それと剣一さんが奪われた小瓶は、そこから北西の下の方にありますわ。泥棒猫達は東側ですわね」
「泥棒猫って……にしても正反対か。なら最初はアリシアさん達と合流するのがいいかな」
レヴィのイクラ入りネックレスを奪わせたのは、それを運ぶであろう先はきっと重要施設であり、当てもなく歩き回るより目印が合った方がいいと考えたから。だがアリシア達と反対方向にあるのなら、そっちは後回しでもいいかと剣一は判断する。
「よいのじゃ? お主が逃げ出したとわかれば、重要な証拠を処分したりし始めるのではないのじゃ?」
「かも知れねーけど、別に俺、あの将軍の悪事を暴く! とかしたいわけじゃないからなぁ。そんならアリシアさん達を無事に助ける方が大事だろ」
「そうか。ま、お主がそう言うのであれば、ワシの方が言うことはない。こっちは何の問題もないから、ケンイチは好きにすればいいのじゃ」
「おう! じゃ、また何かあったらよろしくな」
「ふふふ、任せておくのじゃ」
ご機嫌な声を残して、耳の側にあった小さな穴が消える。そうしてディアの声がしなくなったところで、剣一は改めて気合いを入れた。瞬間体を拘束していた手錠が斬れ、剣一はウーンと体を伸ばしてほぐす。
「んじゃ、こっちも……ほっ!」
次いで指を二本立てた右手を振るえば、明らかに頑丈そうな金属扉がスパッと斬れた。その向こうには当然見張りの兵士が立っていたが、以前に葛井達の取り巻きをやったのと同じように、その体を吹っ飛ばして気絶させる。
『何だ今の物音は……なっ!?』
『おい、すぐに将軍に連絡しろ! 捕虜が逃げ出したぞ!』
「あー、何言ってるかわかんなくなっちまったな」
レヴィのイクラがなくなったので、もう言葉はわからない。だからこそ剥き出しの殺気に襲われる剣一だったが……
「ま、全部やっつけりゃ同じだろ」
『警報を鳴らせ! 何としても捕らえるんだ!』
騒ぐ兵士達を前に、剣一は気楽にそう呟きながら、悠々と右手を振るい始めた。





